新月と太陽

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 そのとき、主人が取り上げたナイフの先端がルネの頬をかすった。  白い頬に、じわりと浮びあがる――紅い新月のような傷痕。鼻先を通り過ぎる、かすかな血の匂い。  その蒼の瞳に、果てしない恐怖が滲んだ。ナイフが手から滑り落ち、乾いた音を立てる。主人は床に泣き崩れた。 「……ああ、ルネ。許してくれ。お前に、こんな――」  その嗚咽(おえつ)が、ナイフのようにルネの胸を(えぐ)る。 (どうしてこんなに上手くいかない。ただそばにいることが、これほど難しいなんて。こんなふうに苦しませたかったわけじゃない。その苦しみを、追い払ってやりたいのに)  ルネの瞳から涙がこぼれ落ち、血と滲み、流れた。涙の粒が雨のように、床板に円い染みを作っていく。  床にうずくまる主人をルネは見下ろした。 「――俺がそばにいたいんだよ、オーギュ。あんたがいないと生きていけない」  嗚咽に震える黒い髪。指を伸ばし、その頭を胸の中に抱えた。 「――最後のお願いだよ。このままずっとそばにいろって言って。それ以外、もう何も要らないから」  主人は泣き濡れた顔を上げ、こんどはルネを腕に抱いた。
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