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何かを考えるように少しのあいだ沈黙が続く。ふたたび顔を上げたジャンは、ひどく神妙な顔をしていた。
「――ねえ、兄ちゃん。誰かエミリーをもらってくれないかな。エミリーはまだ3歳なのに、こんな生活をさせるのは可哀想だよ。エミリーは顔も可愛いから、もらってくれる優しい人がきっと見つかると思うんだ。俺ひとりだったらこんな生活でもどうにかなると思うしさ」
ジャンが口にした言葉に心臓が止まりそうになった。真っ直ぐなその瞳が心の襞を逆撫でる。
ジャンは自分と同じだと思っていたことが恥ずかしかった。
(この子はあの頃の自分より遥かに強い。自分自身を犠牲にして、血の繋がりもない妹を必死で守り、そしてまたあの過酷な世界にたったひとりで戻っていこうとするなんて――)
「おい、ルネ! 風呂の準備ができたぞ!」
そのときアンリがダイニングにいるふたりに声をかけた。
風呂、という言葉を聞いたジャンの瞳が明るさを取り戻す。
「兄ちゃんたちの家、風呂まであるの?! 風呂がある家なんて俺、初めて聞いたよ。家がでかいからそうなんじゃないかと思ったけど、やっぱりすっごいお金持ちなんだね!」
自分を手招きするアンリを見て、ジャンはパッと椅子から飛び降りた。よく懐いた小狐のように、アンリの元へ駆け寄っていく。
「そうだよ。俺んちはフランスでも指折りの金持ちなの。お前、あの兄ちゃんに見つけてもらって運が良かったな」
何でもないような顔でそんなふうに言うアンリを、ジャンは羨望の眼差しで見上げた。
「しっかしお前の服、真っ黒だなぁ。ほら、脱げ脱げ! 新しいやつ、明日俺が買って来てやるから!」
「買ってくれるの?! お金持ちってすごいね!」
「そうだろう、そうだろう。お前も将来金持ちになれよ」
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