地下の怪人

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地下の怪人

 春の日差しに温められた教室に、たくさんの頭がゆらりゆらりと揺れる。船を漕ぐとはよく言ったものだ。皆、心地よく微睡みながら、明るい波の狭間を漂っている。 「――leniter arridens Scipio, St! quaeso, inquit, ne me e somno excitetis, et parumper audite cetera」 (――スキーピオーは穏やかに微笑みかけ、『どうか静かに』と、『私を眠りから起こさぬように。そしてしばらく残りの話を聞いてください』と言った)  そこまで読み上げたルネはテキストを机に置き、ふいに教壇から立ち上がった。真っ直ぐ窓辺へと向かい、勢いよく窓枠を引き開ける。  途端に、まだどこか冷たい春先の風が津波のように教室に流れ込んだ。その冷風に煽られ、沈んでいた学生たちの頭がつぎつぎに飛び起きる。 「――ルネ先生、寒いです!」  早速、学生のひとりが文句を言った。  この学校――リセ・コンドルセの学生は、裕福な家庭の子息が多い。そのせいか態度が横柄で、我儘で、平然と教師に楯突く。相手が新米教師であればなおさらだ。 「文句を言うなら、寝るんじゃない!」 「寒くて風邪引いちゃうってば!」 「ルネくん、窓を閉めてよ、お願い」 「ラテン語って子守唄より熟睡できるよな」  つぎつぎにふざけはじめる学生たちを、ルネは、うるさい!と一喝した。 「お前らのなまりきった頭が冴えてちょうどいいだろ!」  声を上げたと同時に授業終了の鐘が鳴った。学生たちは担任教師の合図も待たぬまま席から立ち上がり、大騒ぎをしながら教室を飛び出していく。――給食の時間だ。  ルネは短いため息を吐き、ラテン語の辞書とテキストを片手に抱えた。  1910年、春。ルネはリセ・コンドルセのプティ・リセで、初学年である第六年級を教えていた。
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