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「よし、お前もちゃんとした服に着替えてこい。靴も履いてこいよ。最後の晩だ、お前も格好つけてくれ」
笑いながらルネの背中を押しやり、家の中に戻そうする。
言われてみて気づいたが、主人はアンリから聞いた話とは違い、真新しい一張羅に身を包んでいた。もしかして主人は、どこかに新品の服を隠していたのだろうか。
――いつか迎える〈最後〉の日のために。
一向に動き出そうとしないルネに、主人は優しく微笑みかけた。
「早く行ってこい。心配するな、ちゃんとここで待っているよ」
穏やかな笑みを浮かべる主人に背中を押され、ルネは安心して走り出した。
大慌てで部屋に戻り、マクシムの結婚式用にあつらえた一張羅にふたたび腕を通す。
主人の夜会服にも似た、漆黒のラウンジ・スーツ。黒のボウ・タイ。まだ履き慣れない黒のエナメル靴に踵を押し込み、最後の仕上げに、むかし主人に作ってもらった黒の眼帯を左目の上に付けた。
着替えが終わり、ふたたび颯爽と中庭に現れたルネの姿に、主人は顔を綻ばせた。
「ずいぶんと決まっているじゃないか。お前もだいぶいい男になったな」
「いい男が、ふたり、だろ?」
顔を見合わせ、ふたりは笑う。打って変わって陽気な顔をしたルネは、極上の赤ワインの瓶とワイングラスを両手に抱えていた。
「オーギュ! この素晴らしき夜に祝杯をあげようぜ!」
グラスを打ち鳴らすと、主人の瞳が悪戯に緩んだ。漆黒のオペラ・ケープを蝙蝠の羽のように翻す。
「おいで、ルネ。パリの夜をともに泳ごう!」
主人の腕がルネを抱く。足元が漆黒に浮く。時間が巻き戻ったような懐かしさに胸が詰まる。
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