12人が本棚に入れています
本棚に追加
/54ページ
渇きを潤すのにビールは勿体ないからと、ビールの済みに追いやられたお冷やに腕を伸ばす。料理で華やいだテーブルにおいて、無色透明な水になぜか安心感を覚えた。ついついおかわりをしてしまうのは、無料だからだ。
「なんかすいません。最近、忙しいんでしょ」
仕事は終えたとばかりに出て行く店員が、恨めしい。恋しく見送るのをなんとか堪えて、割り箸を割る。
「よく言う」
中村のスケジューリングを利用して誘ってきたくせに。誘いがなければ、メッセージがアヤカさんにバレなければ、今頃は中村もスタッフも交えた宴会だったのだ。
「体調の方は?」
「元気よ。なんとかね」
やめよう、年甲斐もなく。断らなかったのは私の判断。個室を予約したのも、私の判断だ。
「フリーって、聞いたんすけど」
さあ、つけよう、決着。
ベジファーストと口の中に放り込んだレタスは、シャキシャキと小気味よい音を立てている。
「まあね」
「それ、自惚れていいんすか」
レタスの上で艶めくミニトマトから目を離して、顔を上げる。背筋を伸ばして固まっている男は、料理どころか箸にも手をつけていなかった。
まっすぐ、見つめ合う。角張った鼻と薄い唇は、なんだかアンバランス。顎に残ったニキビ跡は、まだ消えていないらしい。気まずそうに黒目が泳ぐものの、伸ばした背筋は曲がらない。
目を逸らしていたのは、私の方だったのかもしれない。
「あのう、陽さん、」
まだ酒も入っていないのに、赤くなっていく肌が面白い。
「べつに。恋愛よりも仕事が楽しくて、そのままこの年まで来ただけだから」
「そっ...すか」
特別誰かのために取っておいたわけでもない。けれど誰かさんが大っぴらに告白してくれたおかげで、スケートの人間との出会いは望めなくなった。そういう意味では先手必勝と効果的に物事を運んだといえるし、自惚れてもいいんじゃないかな。
考えが巡ったところで、言葉にはしなかった。ぬるくなるとビールが可哀想だし空腹のまま待つ私も可哀想なので、遠慮なくいただきますをする。どうせ料金は私持ちなのだ。
大盛りの親子丼を半分に取り分けて、残りを差し出す。
「相川くんの方は?いつか聞かせてもらったけど、あれ、忘れた方がいいカンジ?」
余裕ぶってはみたものの、落ち着かなかった。伺うように見上げてしまったのが、痛々しい。
「まさか!だから誘ったのに」
「あら」
熱烈だこと。
どんぶりがなくなっても、手の形は変わらずで、伸ばした腕も戻せない。
無邪気に放たれた愛に、顔を上げられない。だって、顔が熱い。
まだ、酒も入っていないというのに。
「じゃあ約束、...も覚えてる?」
最初のコメントを投稿しよう!