終.スタッグナイト

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終.スタッグナイト

◇  俺がヒドイ男なら、悟はその遥か上をいく。  まさか呼び出された部屋が、海を一望できるハネムーンスイートだとは思わなかった。  式当日まで花嫁の姿は見てはいけない。だからここには、新郎一人。  いや違うな。  その新郎に二十年も前から想いを寄せている不毛な男と、二人きり。 「奏……来てくれてありがとう」  到着するや、悟はそう感極まった表情で言い、痛いほどの力で俺の両肩を掴んだ。  半年ぶりに見た悟は、見るも無惨、と言っていいほどの荒れっぷりだった。  パーティーでしこたま飲まされたのか、ブラックスーツはヨレヨレ、髪はボサボサ、唇はカサついてボロボロ。  酔い潰れはしていたものの、シャンパングラスに缶ビールを注いでいた時の方が〝御曹司〟らしかった。 「なんか悟……老けた?」 「……かもね。誰かさんのせいで」  そうか。悟は結婚前に、どうしても俺に恨み言を言いたかったのか。  潤んだ瞳の向こうに、俺への恨めしさが垣間見えた。  あれからちゃんと結婚の話を進めたこと、敷かれたレールに背かなかったことを、俺に報告したかった……そうだろ? 「俺は今日、この世で一番最低な奴になるために来たんだ」 「最低な奴……?」  白で統一された眩しすぎるほど幸福に包まれた部屋を見回し、俺は意を決した。  酔っ払っていても顔に出ない悟が、この状態で果たして俺の言うことをきちんと理解するのかは分からなかったが、その方が都合が良い。  何せ俺は、結婚式を三日後に控えた親友に言うべき言葉ではないことを、告げようとしている。  あわよくば慰めの意味を込めて抱き合うくらいは許してほしいと、彼の薬指に詫びた俺は偽善者だ。 「俺……悟のことが好きだった」  悟を背に、俺は真っ暗な水平線を見詰めた。  時が止まったかのように静まり返るハネムーンスイートが、突如として色を変えたような気がする。  悟がこちらへ歩んでくる気配を感じ、俺は勢いのまま続けた。 「俺、悟のことが好きだった。いつから、どんなきっかけかなんて覚えてないくらい、ずっと昔から悟のことが好きだった」 「か、奏……っ」 「今日はそれを伝えに来ただけなんだ。俺たち二人には相応しいスタッグナイトだろ、……っ」  自虐的に笑んで振り返った、その直後だった。  すぐ後ろまで迫って来ていた悟からグイと腕を引かれ、経験の乏しさを露呈するような痛いキスを受けた。 「んっ!」  触れ合った悟の唇は、見た目そのまま荒れていた。酒と香水の入り混じった匂いに、クラクラした。そしてやっぱり、悟の高い鼻はこういう時邪魔だなと、思った。  角度を変えるたびに、彼の鼻と髪が俺の頬を掠める。酒くさい吐息と熱っぽい舌が俺の唇を刺激してくるけれど、俺は頑として彼の侵入を許さなかった。  最低なのは俺だけでいい──。  カサついた唇に、抱き寄せられた力強い腕に、キスの合間に俺の名前を呼ぶ掠れた声に、ついに俺の心臓は壊れてしまう寸前だった。 「さと、る……っ」 「奏、奏……! なんで……っ、どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ! 奏はいつもそうだ! いつも、いつも……っ! 俺がどれだけ悩んだと……!」  見上げた悟の表情は、今までで一番情けなく歪んでいた。  目尻から涙をぽろりと流し、俺の告白が遅かったのだと責任転嫁しておきながら、掴んだ腕は離さない。  俺がどれだけ引き剥がそうとしても、悟は「奏」と必死に呼び、キスをせがんできた。  こうなる事を予想していたわけではないが、後めたさと積年の想いが交錯した結果、賢い俺は僅かな逡巡のあと後者を選んだ。 「それが酔っ払いの戯言じゃないなら、今すぐあのベッドで俺のこと抱いてよ。俺、好きだったんだよ、悟のこと。悟の方がヒドイ男じゃん。俺のこと言えないよ」  これで忘れて、という意味なら、俺は悟に身を委ねる事はない。  ギリギリのところで理性が勝り、彼の舌を受け入れなかったのは、酔いどれだからと「一夜の過ち」にしてほしくなかったからだ。  俺にだって意地がある。  俺は、Fun Toyに負けじと歯を食いしばった父のようになる。戦いに負けた兄さんのようにはならない。  悟の瞳に、プライドが再燃した俺の姿が映っていた。  恥ずかしいほどに必死な、俺の欲情した顔が──。 「── 分かった。でも奏はそれでいいの? 俺、三日後には式挙げちゃうんだよ?」 「この世で一番最低な奴になる覚悟なら、とっくに出来てる」 ◇  それから俺たちは、丸二日をベッドの上で過ごした。  三日後に彼とその花嫁が乱すかもしれない神聖な場所を散々汚して、俺はホテルをあとにした。  けれど俺は、何も後悔していない。  悟の晴れ姿を見られなかったのは残念だけど、俺と悟は遅すぎた春に身を焦がし、背徳の道を選んだのだ。  俺は、花咲グループは、常に二番手だった。  今さらトップを取ろうだなんて、そんな野心は二十年も前にとっくに捨てた。 終
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