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だめだ、顔がにやける。
彼女ができた。
とてもきれいでかわいい彼女が。
一目惚れして、勇気を出して告白して、この手に掴んだ女の子だ。
にやける顔を抑えられない。
青井さんと職員室へ同好会の届け出をしに行ったとき、自転車を押しながら二人並んで帰っているとき、思わずにやけそうになる口許を必死で手で覆い隠していた。
途中でわかれるとき、手を振ってくれた青井さんの笑顔が目に焼き付いて離れない。
帰宅してからもずっと、ふと気がつくとにやけてしまう。
もうひとりでは抱えきれそうになかった。
時刻は夜、八時を回っていたが、俺は親友の悠弥の所へ行くことにした。
悠弥とは幼稚園の頃からの仲だ。
悠弥の所に行くと言えばうちの親は何も言わない。
LINEをすると、間もなくオケと返信があった。
俺は愛用のロードバイクを走らせ、住宅団地を駆け抜けた。目的の家を目指してペダルを踏み込む。
十分ほどで馴染みの家が目に入る。
ロードバイクを止め、インターホンを鳴らすとおばさんが出てきて、いらっしゃいと出迎えてくれた。いつも思うが、お姉さんにしか見えない人だ。
悠弥の家とは家族ぐるみの付き合いで、こんな時間に訪ねても非難されたりしないのはありがたい。
俺はおじゃましますと言って玄関を上がり、階段を上って悠弥の部屋に入った。
「おう」
デスクチェアーに座った悠弥が待っていた。
榀木悠弥。
俺とはある共通点があってつるんでいる親友だ。
ふわりとしたダークブラウンの髪に、同じ色の切れ長の目。整った鼻梁。年齢よりも大人びた雰囲気を持つ、はっと目を見張るような美少年だが、どこか斜にかまえたところがある。背は高いが、なで肩で細身の体格だ。
「おう」
俺もそう応えて、部屋のすみにある折り畳み式のパイプ椅子を持ってきて広げ、座った。
置いてある場所もわかっている、ほぼ俺専用と化している椅子だ。
「んで、今日はどうした?」
悠弥が聞いてきたのは、俺がLINEに、話があるとしか書かなかったからだ。
「あのな……」
俺は今日の出来事を話した。
友人たちとの帰り間際、部活動の勧誘エリアに走っていったところから。
思い切って告白したというくだりで、悠弥が口笛を鳴らす。
「やるじゃんか。お前、見直した」
俺もそれは誇っていいんじゃないかと思っていたので、そう言われると何となく嬉しかった。
「で、どうなった?」
「やったよ悠弥! 俺、彼女ができた!」
俺のテンションは一気に上がった。誰かに言いたくて言いたくてしかたなかったことをようやく言えた。
「お前みたいなやつに彼女ができたなんてな」
悠弥がしみじみと感慨深く嘆息する。
「お前みたいだけ余計だ。同類のくせに」
俺と悠弥の共通点――それは二人とも女顔だということだ。
ジャニーズのような、いわゆる美少年顔ではなく、もっと女性寄りの顔立ちで、それこそ幼稚園のころから俺たちは、気持ち悪いとか不気味とか言われてきた。
そのせいだろう。悠弥は同級生や年下には一切関心を示さず、大学生や社会人といった年上の美人たちと付き合っている。
中学の時には、俺と悠弥にはBL疑惑が持ち上がったこともある。俺は必死に否定したが、なぜか悠弥は意味ありげに笑うだけで否定も肯定もしなかった。おかげでさんざんからかわれた。
また、一部の男子たちからは、寒気のするあだ名までつけられた。あまり言いたくはないが、悠弥は『人妻』、俺は『姫』なんて呼ばれていた。俺にとっては、はなはだ不名誉な黒歴史だ。
俺が一人称を『僕』から『俺』に変えたのもその頃で、少しでも男らしくありたいと思ったからだ。
「それにしても、ずいぶんと高嶺の花を落としたもんだな」
悠弥がにやりと笑った。笑みを浮かべながら続ける。
「一年C組の青井遊っていったら新入生一の美人だ。お前知らなかったのか?」
知らなかった。ぜんぜん。
「彼女、いいよな。かわいくてきれいだし、背高いし、胸でかいし。俺も同級生の彼女ほしくなってきたよ」
「わ、渡さないからな」
俺の顔には思い切り警戒感が出ていたのだろう、悠弥が声を出して笑った。
「心配すんな。親友の初彼女を奪ったりはしないさ」
俺はほっと胸をなでおろす。
わかりやすい反応だったのか、また悠弥に笑われる。
「ま、よかったな。巨乳好きのむっつりスケベのお前にゃ、一生彼女ができないんじゃないかと心配してたんだ」
「うっせ。巨乳好きはお互い様だ」
女顔が顔を合わせて巨乳がどうのと語っている姿は、相当滑稽だったと思う。
俺は話を続けた。
サッカー部の件については、全然気にする必要はない、というのが悠弥の意見だった。
「お前、別にサッカーがしたくてサッカー部に入ってたわけじゃないだろ。なんとなく男らしいとか、そんな理由だったじゃねえか。遅かれ早かれ行き詰まったと思うよ。
それに、二度とない青春を部活に捧げるか、それとも彼女に捧げるか、俺に言わせりゃ、単純なその二択でしかない。言うまでもないが俺は後者だ」
そう。悠弥は部活や委員会にはいっさい所属する気はないという。学校というものにほとんど興味を示さない。
中学時代から学校はサボりがちで、いろいろな楽器をやったり、小説や詩を書いたり、日本画や西洋画など絵を描いたりと芸術家肌な片鱗を見せていた。
家にこもるタイプではなかったから、積極的に外に出て、独自の人脈を広げていった。大学や社会人サークルなどに顔を出し、年上の美人と遊んでいた。
「で、青井さんの同好会って何だ?」
「ボードゲーム同好会だって」
「……お前、ボードゲームやったことあるか?」
「ない」
「あのな。彼女の趣味くらいすぐ調べろ。消極的だとすぐバレるぞ」
「え?」
俺は完全に虚を突かれた。
悠弥はデスクチェアーから立ち上がると、クローゼットを開けて何かの箱を取り出した。
「俺もそんなに持ってるわけじゃないが、これがボードゲームだ」
悠弥が取り出した箱には『カルカソンヌ』と書かれていた。
渡された箱を開けてみると、タイルやコマがたくさん入った透明な袋が入っていた。
「このタイルを並べてボードを作っていくゲームだ。このコマはミープルといって、タイルに置いていく。タイルが全部置かれた時点でゲーム終了だ。試しにやってみるか」
そう言って悠弥は部屋のすみの折り畳みテーブルを持ってきた。
そして、袋を開け、中身を取り出した。
俺はよくわからなかったが、悠弥のルール説明を必死に聞いた。
そして、終始、悠弥に教わりながらカルカソンヌをプレイしてみた。
学校の勉強とは違う頭の使い方をするゲームだなと思った。
そして、めちゃくちゃ脳が疲れた。
そんな俺の様子を見て、悠弥が苦笑した。
「まあ、初めてのボードゲームがカルカソンヌじゃ敷居が高すぎたな。ほんとはもっと簡単なカードゲームとかがあるんだが、やってみた通り、ボードゲームはけっこう頭を使うものだ。お前、大丈夫か?」
「大丈夫じゃないかもしれない。どうしよう」
俺は一気に自信をなくした。ボードゲームなんてもっと簡単なものだと思ってた。
「青井さんもいきなり高難易度なボードゲームをやろうとは言い出さないと思うけどな」
悠弥のフォローも耳に入らなかった。
どうしよう。青井さんに失望されたらどうしよう。
そんな俺の様子を見ていた悠弥が膝を打った。
「お前、青井さんをデートに誘え」
「は?」
俺は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
だが、悠弥は至極、真面目だった。
「今から電話しろ。連絡先は、まさか交換してあるんだろ?」
俺はこくこくとうなずく。
「だったら電話だ。今ここでな」
「ここで⁉ 今⁉」
俺は思わず叫んでいた。あわてて口を押さえる。
「なんで今?」
俺が小声で尋ねると悠弥は言った。
「お前、ボードゲームについて何も知らないだろ? 失点を重ねる前に得点を稼いでおくんだよ」
「で、でも」
「何びびってんだよ。そんなんじゃ、すぐに青井さん誰かに盗られるぞ」
絶対に嫌だった。それだけは絶対に。
「わかった……電話する」
「よし。まず、電話してもいいかLINEしろ」
俺はスマホを取り出すと、LINEアプリをタップして青井さんとのトーク画面を表示した。そこには、ありがとうの文字とスタンプが載っている。そこに続けて、今から電話してもいいかなとメッセージを入力する。
そして――
「送信しろ」
悠弥に言われて送信をタップする。タップする手が思わず震えた。
次第に動悸が高まっていく。
しばらくしてメッセージに既読が付き、返信があった。そこには、
『いいよ。ちょっと待ってね。十分くらい』
というメッセージとスタンプがあった。俺は、『了解』とだけ入力した。
十分という時間を与えられたことを俺は天に感謝した。
「で、どうしたらいい?」
「突然だけど、週末予定ある? とか」
「どこに誘うんだよ?」
「決まってるだろ。『俺はボードゲーム初心者だからボードゲームを見てみたい。売ってるところ見に行きたい。青井さん一緒に行かない?』って誘って、ボードゲーム売ってる店に行くんだよ」
「そ、そうか」
「お前、それくらい自分で考えろよ」
「しかたないだろ! お前みたいに経験ないんだから!」
俺はやけになって小声で叫んだ。
われながら自分の恋愛偏差値の低さに絶望的な気持ちになる。どうして今まで経験値やレベルを上げておかなかったのか、心底後悔した。
肝心な時に手も足もでないようじゃ、話にならない。
でも、今さら言っても始まらない。今のレベルで立ち向かうしかない。
俺が覚悟を決めた頃、LINEが届いた。
『電話できるよ』と青井さんからメッセージがあった。
俺は、『今からかける』と返信した。既読が付く。
「じゃ、じゃあ、かける」
悠弥が無言で手で促す。
俺は、LINE通話の『青井遊』をタップした。
鳴り始めるコール音。
スマホの『青井遊』の表示が出ている間――つながるまでの空白――俺の心臓の鼓動は跳ね上がった。
やがて、三回目のコール音の終わりで、彼女が出た。
『はい青井です』
電話越しだけど、俺は彼女の声を聴いて安心した。ほっと胸をなでおろす。
「あ、青井さん、今、大丈夫?」
『うん、大丈夫』
「よかった。あのね――」
呼吸を落ち着けて続ける。
「今日はありがとう」
『ううん、こちらこそありがとう』
今日何度目かの『ありがとう』だけど、何度聴いても嬉しい。
「急に電話したいなんてごめん。びっくりした?」
『ちょっとだけ』
彼女がかすかに笑ったのが伝わってくる。
俺も自然と笑みが洩れる。
空気が和んだ。
いい感じなんじゃないか。
悠弥が「行け」というしぐさをする。
俺はうなずき、小さく息を吸い込んで言った。
「あの、突然だけど、週末予定ある?」
心臓の鼓動が早くなる。
『ない、けど』
彼女も緊張しているのか、かすかに声が震えている。
彼女も照れているのかもしれない。
「よかったら、一緒にボードゲーム見に行かない? いろいろ教えてほしいんだ」
少し早口になってしまったが、なんとか言うべきことを言えた。
『う、うん、いいよ』
心なしか彼女の声に喜びがにじんだ気がした。俺は嬉しくなって続けた。
「ありがとう。じゃあ、土曜日はどう?」
ほんの少し余裕が生まれて、自然に言えたと思う。
『いいよ。大丈夫』
彼女が承諾してくれた。
俺は、ぴんと張り詰めていた糸が緩むのを感じた。
それと、彼女の声が弾んでいたと感じたのは俺の思い上がりだろうか。
「じゃあ、明日また学校で」
『うん』
名残惜しさで、なかなか通話を切るタイミングが計れなかったが、そんな間にも幸せを感じてしまう。
なんとも甘酸っぱい間だった。
そっと耳を離すと、一、二、三、と数えてから「通話を切る」をタップした。
次の瞬間、喜びと嬉しさが込み上げてきた。
「やった!」
俺はスマホを握りしめたままガッツポーズを取った。
悠弥もにやりと笑う。
「よかったな」
「ああ、嬉しい。死ぬほど嬉しい」
目頭が熱くなる。俺は背中を押してくれた悠弥に心から感謝した。
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