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4
待ち合わせの場所は、駅前の広場。
待ち合わせの時間は、午前十一時。
青井さんとデートすることを意識し、朝から緊張していた俺は、居ても立っても居られなくて午前十時前に家を出た。約束より一時間も早く広場に来てしまった。
当然、青井さんはまだ来ていない。だが、家でじっとしていることはできなかった。
ひとまず本屋でも見ていようと駅ビルに入り、五階の書店に向かった。
店内を当てもなく見て回っていたら、やたらに『恋愛』や『デート』という単語に目が留まる。
意識しすぎだと思いつつ、それらをパラパラとめくり、何か有意義なアドバイスはないかと目で探してしまう。
始まる前からこんなに余裕がなくて大丈夫かと不安になってきたので、本を閉じた。付け焼き刃や一夜漬けはすぐ見抜かれる、と悠弥も言っていた。
とにかく人生初デートなんだから、余裕がないのは当たり前。ただ、迷ったりテンパったりしてると『頼りない』という印象を与えてしまうので、そこだけは注意。
あとは、誠意と真心を尽くすのみ。
偽ったり飾ったりしないありのままの自分を見てもらおう。
約束の時間三十分前になって、待ち合わせ場所に戻る。
エスカレーターは建物の広場側に設置されていて、壁は全面ガラス張りになっている。見おろすと広場を一望できる。今日は休日で暖かいからだろう、親子連れやカップルがたくさんいるのが見えた。
これからデートなんだと思うとまた緊張した。
広場に戻って待つこと十分。
ぴったり二十分前に彼女が姿を見せた。
雑踏の向こうに見えたのは、人目を引く容貌と雰囲気を兼ね備えた彼女の姿。通り過ぎる人たちの多くが一瞬、彼女に目を奪われているのがわかる。
見つけたとたんに俺の体と心のテンションはマックスに急上昇した。
彼女は俺に気づくと軽く手を振り、小走りでやってきた。
「早いね、遊木くん。何分前くらいから?」
「そんなに待ってないよ。十分前くらいかな」
なにげなさをよそおいつつ、かなりさばを読んだ気もするが、まさか一時間も前に来ていたとは言えない。
「わたしの方が早いと思ったんだけどな」
「彼女より遅れてくる彼氏にはなりたくないなって」
「あはは。じゃあ、行こっか?」
「うん。今日はよろしく」
「こちらこそ」
こうしてデートが始まった。
彼女の装いは、ホワイトのワンピースの上にスカイブルーのカーディガン。
清楚で品の良さを感じさせる。彼女によく似合っていた。
やばい。かわいい。きれいだ。
語彙の少なさに情けなくなるけど、正直、すごく好みだった。
俺はデニムシャツにチノパンという無難なコーデに落ち着いた。
青井さんの隣を歩くのに、周りからダサいとは思われたくなかった。
俺一人の問題じゃない。
俺のせいで彼女の評価を貶めることは、死んでもごめんだった。
一瞬、俺は彼女の隣に並ぶに足る男だろうかという思いが脳裏をかすめた。
浮かびそうになった不安をあわてて振り払う。
努めて明るい声で彼女の装いを褒めた。
「えっと、私服もいいね。すごく似合ってて、その……かわいい」
「あ、ありがとう」
彼女は控えめにはにかんだ。
かわいすぎる。
広場から歩いて駅のバスターミナルに向かう。
目的地は郊外の大型ショッピングモール。バスで移動する。
そこにボードゲームの専門店があるらしい。
バス乗り場は三番。
すでにモールに行くのであろう人々で列ができている。俺たちはその後ろに並んだ。
発車時刻は事前に調べておいた。十一時十分発。
バスはほぼ時間ちょうどに到着した。ドアが開き、皆が次々と乗車する。
やがて俺たちの番がきた。彼女を先に乗り込ませて、俺もステップを上がる。
座席は後方にひとつ空きがあった。そこに二人で座った。
彼女が窓側で、俺が通路側。
二人掛けとはいえ狭い席なので、青井さんの肩と腕が俺に密着している。
やわらかい感触はほんのり温かく、彼女の体温を感じさせる。また、甘くかぐわしい香りに鼻腔をくすぐられ、俺はどぎまぎした。
「わたしね……デートするの初めてなの。だから、よくわからなくって」
意識しすぎて石像のようになっていた俺を気遣って、会話のきっかけを作ってくれたのがわかる。
「実は……俺も慣れてないんだ」
「じゃあ、初めてどうしだね」
彼女がそう言って微笑んだ。
デート初心者ということで引け目を感じていた俺は、悪意や厭味のない彼女の言葉に救われた。
なんだろう。彼女の前では、下手に繕ったり見栄を張ったりしなくてもいいんだと言われているみたいだった。
彼女ならありのままの俺を見て、好きになってくれるんじゃないか、そんなふうに思った。
初デートではあるけれど、今日はボードゲームを見に行くのがメインなわけで、俺はその方面はまったくわからない。そこは彼女に主導権を預けよう。
でも、それ以外ではきちんとリードしてエスコートしたいという思春期男子らしい思いもあった。
幸い行き先のショッピングモールは何度か行ったこともある。
まったくアウェイな場所というわけじゃない。
少し余裕が出てきたこともあって、青井さんに聞いてみたかったことを尋ねた。
「青井さんは、その……どうしてボードゲームが好きなの?」
一瞬のぞかせた、きょとんとした顔がかわいかった。
やがてそれは、やさしいともかなしいともつかない笑みをたたえた顔になる。
「わたしね、得意なものって何もないの」
どこか遠い目をして続ける。
「幼稚園の時はクラスで一人だけピアニカがうまく弾けなかったし、小学校に入ってから親は習いごとをさせたけど、どれも満足にできなくてすぐやめちゃった」
その言葉には少し自嘲が混じっているように感じられた。
「勉強も運動も苦手で、つまらなかった」
そう言って目を伏せた。
「悔しかったのは、子ども会のゲーム大会で下級生の子たちに負けた時」
顔を上げた彼女の表情は笑っていたけど、わずかに、つらい、身にしみるという気持ちが含まれているのがわかる。
「前の日までに、一生懸命ルールを覚えたけど、将棋でも囲碁でもオセロでも、覚えたての子たちにただの一度も勝てなかったんだ。あの日は悔しくて悔しくて涙が止まらなかったなあ」
また笑う。かすかな痛みをともないながら笑っているのが伝わってくる。
「そんなこんなで、わたし、小学校高学年にして無気力児童になっちゃった。だって何にもできなかったんだもん」
俺は何も言えず、彼女の話を黙って聞き続けることしかできなかった。
「でね、小学校卒業と同時に両親の仕事の関係で二年間、ドイツにいたの」
彼女の声の調子がほんの少し明るくなったように感じた。
「そこでボードゲームに出会ったんだ」
笑顔をのぞかせる。かなしみではなくやさしい笑みを。
「ある時ね、ドイツの学校でボードゲームをするっていう時間があったの。言葉もろくに話せないのに嫌だなあっていやいや参加したんだけど……」
彼女が思い出したように笑った。そして――
「勝ったの」
目を大きく見開いて言った。
「生まれて初めて勝ったの」
瞳がきらきらと輝いている。
「嬉しかったなあ。ああ、勝つってこんな気持ちなんだって。嬉しくて泣いちゃった」
それは、深いため息のようであり、心からの喜びのようであり、長い長い暗闇の中からようやく抜け出せた安堵の気持ちをしみじみと感じさせた。
「まあ、実を言うとね、みんながわざと負けてくれたの。学校になじめなくて、友だちもいなかったわたしを励まそうって」
一転、彼女はほんとうにおかしいといった風に笑った。
「でも嬉しかった。だってわたしにとってはまぎれもなく勝ちだったし」
彼女の声の調子からは、深い愛情や感謝の念が込められているのがわかった。
「それからみんなとボードゲームをするようになってね、少しずつだけど打ち解けていったんだ」
そう言って上を向いた彼女の横顔は、とても穏やかで満たされたもののように感じた。
「楽しかったよ」
俺の方を見てにこりと笑う。
「五回に一回くらいはみんなが負けてくれたから」
彼女がおどけてウインクする。破壊力抜群のかわいさだった。
今の、動画に撮って保存しておきたかった。
「そのうち、ボードゲームにすっかりのめりこんじゃって、ドイツを出立する日までボードゲームしてたくらい。お友達とのお別れの時も、またやろうねって泣きながらボードゲームしてたんだよ」
彼女が白い歯を見せて笑った。
「だからね、わたしにとってボードゲームは特別なんだ」
微笑みをたたえながらも真剣であることが感じられる言葉だった。
「ボードゲームがなかったら今ごろ家に引きこもってたかも」
またおどける。
彼女はとても表情が豊かな子なのだと知った。
泣いたり、笑ったり、悲しんだり、喜んだり。その時その時の感情で表情がくるくる変わる。そんな彼女の感受性の豊かさと、時折見せる繊弱げな表情と、どれもが彼女の魅力だった。
すごく素敵だと思った。
これからきみは、俺にどんな表情を見せてくれるんだろう。
俺は彼女とすごす日々に思いをはせて、期待に胸をふくらませた。
バスは三十分ほどで郊外の大型ショッピングモールに到着した。
乗客がぞろぞろとバスを降りる。
俺たちも整理券と運賃を投入してバスを降りた。
俺は先に降りて青井さんの手を取った。
「ありがとう」
青井さんがはにかみながらお礼を言ってくれた。
「どういたしまして」
なるべく自然にと心がけたが、慣れない行動にやはり緊張した。
俺たちは並んでショッピングモールの歩道を歩き始めた。
このショッピングモールは、とにかく大規模だ。
端から端まで一五〇〇メートルもある。中には映画館や病院まであり、一つの街といっていい。たくさんのショップが入っており、とても一日では回り切れないほどだ。
眼前には巨大なショッピングモールの建物がそびえ立っている。
バス停から入り口までの道のりを半分ほど歩いた時、俺の中にある感情が芽生えていた。
青井さんと手をつなぎたい。
バス停の時のように自然に手に触れることはできないだろうか。
悶々としているうちに入り口へと近づいてしまう。あと一〇〇メートルくらいか。
なんとか建物内に入る前にこの想いが伝わってほしい。いや、想いを伝えたい。
隣を歩く彼女は、とても楽しそうな表情を浮かべている。
俺の視線に気づいたのか、彼女が問いかけてきた。
「ん? どうしたの?」
単なる問いかけなのにかわいい。とにかく、かわいい。
俺は勇気を出して言った。
「手をつなぎたい」
言ってから頬が、耳が熱くなるのを感じた。
「いいよ」
彼女も照れているのが伝わってくる。照れながら、微笑んだ。
そっと彼女の手に触る。
さらさらとした肌触りで、繊細で、ひんやりしていて心地よい。
俺はそのまま指を這わせて彼女の手をやさしく包んだ。
そして、一本一本指を絡めていった。
絡めた指にほんの少しずつ力を込めていき、握る。彼女は嫌がることなく俺の手を握り返してくる。
受け容れてくれたんだ。触れ合っている手の感触からたしかな実感が胸の中に広がっていき、喜びで満たされる。
言いようのない幸せな気持ちになって、はしゃぎ出したいくらいだった。
つないだ手は、もう決して離したくないとさえ思った。
こうして俺は青井さんとの関係においてステップをひとつ上がることができた。
そして俺たちは手をつないで入り口を通過した。
「どうする? もうすぐ十二時だけど」
青井さんが左手の腕時計を見て聞いてきた。淡いピンクの革ベルトの腕時計は、彼女の白くてきれいな手にとても合っていた。俺は、さっそくリードできる男であると証明するべく、よどみなく提案した。
「まずはお昼にしようか。青井さんは食べたいものとかある?」
「遊木くんにまかせるよ」
「じゃあ、かるくマックで食べない? そろそろ混み始める頃だけど、まだ十二時前だから座れると思う」
「うん」
よし、今のはよかったと思う。さりげなくリードして『頼れる』ところをアピールできたんじゃないだろうか。悠弥からは、迷うな、テンパるなとアドバイスされた。たとえ内心焦っても顔に出すな、余裕を失うな、と難しいことも言われた。
でも、今のはすごく自然だった。
俺はまだほんの少しだけど余裕と自信を持つことができた。
彼女に受け容れられているという想いは、子どもが母親に守られている安心感にも似た心の安定を俺にもたらし、勇気づけてくれる。
それだけじゃなく、彼女の存在が俺の心を強くしてくれているようにも思えた。
そうこうしているうちにマックに着いた。
マックは二階のフードコートの一角にある。
やや混み始めているといった感じだろうか。俺たちの前には家族連れとカップルが何組か並んでいる。
「俺が注文するよ。何が食べたい?」
「じゃあ、チーズバーガーにポテトとアイスティーのセット頼んでくれる?」
「了解」
そう言ってからつないだ手をいったん離した。めちゃくちゃ名残惜しかったけど、またすぐつなげばいいと自分に言い聞かせて、俺は列に並んだ。青井さんは壁際に退いて俺を待っている。席だけキープするなんて非常識なことはしない。そういう心配りのできる女の子だということが、とても誇らしく、そしてたまらなく愛おしかった。これが俺の彼女なんだとどや顔で自慢したい。
数分後には俺の番がきて、俺は青井さんのセットを注文したあと、テリヤキバーガーにポテトとアイスティーのセットを注文した。
こちらでお召し上がりですか? という店員にはいと答えて、会計を済ませ、番号札を受け取る。
「おまたせ」
「ううん、ありがと」
そう言って彼女がランチ代を手渡した。
ランチ代くらい俺が持つよと言ってもよかったんだけど、初デートなら割り勘の方が自然かなと思い受け取った。
それに、俺はわかっていたけど、彼女が『男がおごるのが当然』というような考え方の持ち主ではないことが嬉しかったし、そんなところにも愛おしさを感じた。
「席どこにしよっか?」
彼女が店内を見渡しながら言った。
ボックス席はほぼ埋まっていたが、俺は窓に面したカウンター席が二つ空いているのを見つけた。右側の席の右隣には仕切り板がある。
「あそこにしない?」
「あ、いいね」
俺たちは窓側に移動して席に着く。青井さんには右側が仕切り板になっている席をすすめ、俺は彼女の左側の席に着いた。
当然だ。彼女をどこの誰とも知れない人の横に座らせるわけにはいかない。
俺の左隣には若い男性が座っていたが、俺たちが席に着いたとたん、席を立った。
その男性にはなんだか申し訳ない気もしたが、俺は心の中で彼にお詫びと感謝の意を表した。
カウンター席はボックス席より彼女との距離がずっと近い。ボックス席で正面に座って見つめ合うのも魅力的だけど、カウンター席は密着感がある。彼女の息遣いが聴こえてきそうなくらい近く、彼女の甘くかぐわしい花のような香りが鼻をかすめ、俺の理性はどうにかなりそうだった。
心臓がばくばくと高鳴る。
「ん?」
彼女が俺の方を向いてくる。
小首をかしげるしぐさがかわいい。
俺も彼女に顔を向ける。
彼女の肌のあまりのきれいさにあらためて驚かされ、見惚れた。
女の子の肌をまじまじと見る機会はそうそうないけど、彼女が飛び抜けていることは俺にもわかる。ああ、きれいだな、なんてレベルじゃなくて、きめ細やかさと光るような艶やかさは一目でわかった。
「いや、きれいだなって」
思わず目を逸らしつぶやく。赤面しているのは丸わかりだろう。
彼女もみるみるうちに赤くなっていく。
「もう」
そう言ってそっぽを向いてしまう。
まるでバカップルのようなやり取りをしているうちに番号が呼ばれ、俺たちはそそくさと立ち上がって、ハンバーガーのトレイを取りに行った。
マックランチのあと俺たちはエスカレーターで五階に向かっていた。
今日のメインであるボードゲームショップが五階にある。
そこには、ほかに書店やCDショップやおもちゃ屋が入っていて、カルチャーフロアとなっている。
「青井さんはよくここに来るの?」
エスカレーターの途中で尋ねた。
「ううん、まだ二、三回しか来たことない」
「そうなんだ。えっと、普段どこでボードゲーム買うの?」
「ほとんどネット」
聞いてから、そりゃそうだよなと納得する。
「じゃあ、新鮮味ないんじゃない?」
そう言うと、青井さんはあわてて否定した。
「そんなことないよ。お店にはお店の良さがあるし、ひとりで来るのが淋しかっただけで、誰かとおしゃべりしながらボードゲーム見て回れたらいいなって、ずっと思ってたの。だから、今日ここに来るのすごく楽しみにしてた。それに……」
一気にまくしたててから、彼女は打って変わって消え入りそうな声で続けた。
「遊木くんと来れて嬉しい」
最後の方は聴き取るのが困難なくらい小さな声だったけど、俺にははっきり聴こえた。
俺と来れて嬉しい、と。
嬉しさのあまり口許がにやけるのを手で隠す。耳も頬も熱い。
彼女のほうも、相当恥ずかしかったのか、赤くなってうつむいてしまっている。
ここは男らしさをアピールすべきところだろうと内なる声が聴こえる。
「俺も青井さんと来れて嬉しい」
彼女にだけ聴こえるように小さな声で、だけど心から気持ちを込めて伝えた。
彼女の顔が真っ赤になる。
でも、うつむいた顔をおずおずと上げ、そして――
「ありがとう」
瞳を潤ませながらにこりと微笑んだ。ここで彼女の唇を奪うくらいのことができたらかっこいいんだけど、残念ながら今の俺にそこまでの勇気はない。
その代わりに、彼女の手を取って握った。
彼女も俺の手を握り返してくる。
二人で顔を見合わせて笑う。
今はそれだけでも十分幸せだった。
ボードゲームショップの売り場は思っていたよりもずっと広かった。
一〇〇円ショップと同じくらいある。
青井さんによるとここまで大きなショップは全国でもめずらしいそうだ。
そのため、わざわざ県外から訪れるお客さんもいるらしい。
これだけの広さがあれば、一時間から二時間は楽しめる。
「どこから見て回ろうか?」
青井さんに尋ねると、わくわくが止まらないといった感じに目を輝かせている。
時計を見ると、まだ十三時にもなっていない。
「時間はたっぷりあるから店中ゆっくり見て回ろう」
「うん!」
いくつもの花が背景に咲いたような笑顔で彼女が答える。
やばい。今の笑顔も最高にかわいかった。
そうだ、あとで写真撮らせてもらおう。
ここではボードゲームを見るのが目的なので手はつないでいない。
ほんとうは四六時中でもつないでいたいけど、それは彼女を束縛しているようで気が引けた。
それに、心から楽しそうな彼女の姿を見ていると、自由にさせてあげるのが彼氏の度量というものだろう。
俺もボードゲームの置かれた棚をゆっくり見て歩く。
「これ全部ボードゲームかあ。こんなにたくさん種類があるんだね」
棚は俺の目線くらいの高さで六段あり、ひざあたりで前に突き出ているのは平積みにするためだ。書店の棚と同じだ。
並べられているボードゲームはどれもパッケージの表面を向いており、まるでお菓子箱が並んでいるかのようで賑やかだった。
「うん。毎年、何千種類ってボードゲームが発売されるんだって。全部が日本に入ってくるわけじゃないけど、それでも数百種類。アマチュアの作家さんも含めると約千種類も発売されてるって聞いたことある」
青井さんの声も普段より弾んでいるように感じる。
「どれもデザインがおしゃれだね」
俺は素直な感想を述べた。
実際、並んでいるボードゲームはどれもデザインが秀逸で、素人の俺にもよく考えられているなと思わせるものだった。
「海外ではボードゲーム専門のデザイナーさんがいるくらいデザインに凝ってて、コンペなんかも開催されてるの」
青井さんが俺に向き直りながら解説してくれる。
その姿を見ていると、初デートの場所をここにして本当によかったなと思う。そこはもう悠弥に感謝だ。
その後も青井さんは歩きながらボードゲームに関するいろいろな雑学や知識、豆知識を話してくれた。
正直、予備知識のない俺にはまったくわからなかったけど、彼女が楽しそうに話す様を見て、とても微笑ましい気持ちになった。
帰ったら俺ももうちょっとボードゲームについて調べてみようと思った。
彼女と共通の話題を持ちたい。
ふと俺は目に留まった小箱を手に取った。
箱には『ラブレター』と書かれている。タイトルだろうか。
西洋的な絵柄のイラストも印象的だ。
どんなゲームなのか気になった。
「あ、それはカナイセイジの『ラブレター』だね」
青井さんが俺の手元をのぞき込みながら教えてくれた。
「え? 作ったの日本人?」
俺は素で驚いてしまった。ここまで見てきたボードゲームはどれも海外で作られたものだったからだ。
「そうだよ。そのゲームでたしかたくさんの賞を獲ってる」
「へえ」
思わず間抜けな声を出してしまって口許を手で隠す。
「どんなゲームか青井さん、知ってる?」
照れ隠しにあわてて彼女に話を振った。
「うん。『ラブレター』はね、お城のお姫様に恋する主人公がラブレターをお姫様に渡すために、お城に仕えるさまざまな身分の人たちにラブレターを運んでもらって、最後にお姫様に届けるってゲームなの」
解説している時の青井さんはテンションが高めだ。どことなくはしゃぎすぎないようにと自制しているのが伝わってきて、俺は口許がほころんだ。
「なんかロマンチックだね」
ラブレターを渡すゲームというのが、なんだか『いいな』と思った。
「気に入った? ルールと遊び方はね……あ、わたし『ラブレター』持ってるから今度一緒にやろうよ」
「ぜひとも」
青井さんが目を輝かせて誘ってくれたので、俺は即答していた。
彼女が一緒になにかしようと誘ってくれるのは、ほんとうに嬉しいものなんだなと実感する。
「そうだ、俺も『ラブレター』買おうかな」
俺は手にした小箱を見ながらそう思った。
「いいの? わたし、持ってるけど」
青井さんは同じものが二つあってもってことで言ったんだろうけど、俺には別の想いがあって――
「いや、だからさ、青井さんとおそろいだなって」
言いながらどんどん頬と耳が熱くなっていった。
青井さんもみるみるうちに顔が赤くなっていく。
「それに、なんか惹かれるものがあった。こういうのは直感が大事だと思って」
俺は感じたままの気持ちを伝えた。
「うん。そういうことなら」
青井さんも微笑んで同意してくれる。
こうして俺は『ラブレター』を買うことにした。
その後も二人で店内を巡った。
大きい箱のボードゲームから小さなカードゲームまで、ほんとうにたくさんの種類がある。このショップだけでも千種類以上を取り扱っているというから、ボードゲーム好きにはたまらないだろう。
青井さんは初心者の俺に合わせて、ルールの易しいボードゲームや所要時間の短いものなどを中心にピックアップしてくれる。
キッズゲームやファミリーゲーム、パーティーゲームなどのジャンルがあることも知った。
いちおう対象年齢が設定されているけど、キッズゲームだから子ども向けというわけじゃなく、基本的にどの年齢層でも楽しめる作りになっているというからすごい。
俺は青井さんに尋ねてみた。
「ボードゲームの魅力って、どこにあると思う?」
青井さんの答えはユニークだった。
「そうだなあ、やっぱり一番は、『みんなで遊ぶのは楽しい』ってところ。一人よりも絶対楽しいよ。みんなで集まって一緒に時間をすごしながら遊ぶのは本当に楽しい。それに、初対面の人どうしでも、すぐに盛り上がれるのがいいね。
それと、『人間って面白い』ってことを教えてくれるところかな。テーブルを囲んだ者どうしで顔を突き合わせて、お互いの表情を読んだり、心理を推し量ったり、しぐさやくせを観察したり……それらをもとに駆け引きやだまし合いを展開したり……。するとね、いろいろなドラマや、ときにはハプニングが起きたりして、それがすごく面白いの。そこで出てくる会話やリアクションなんかも本当に面白いよ。
それから、お互いに知っている者どうしでも、初めて見せる表情や、意外な一面があったりして、それらを知るきっかけになったりもする。
頭をしぼって知恵くらべをする頭脳戦も、相手を出し抜く心理戦も、みんなでわいわい盛り上がれる単純なゲームも、お互いの顔と顔を合わせて、顔を見てやり取りをするから面白いし、楽しいんじゃないかな。
わたしは、家族や友だちでテーブルを囲んでおしゃべりしながら楽しめるのがボードゲームの魅力だと思う」
そう言い終えて、彼女は微笑んだ。
青井さんが考えながら話してくれている間、俺も頭をフル稼働して聴いていたけど、彼女がここまでの哲学みたいなものを持っているのには驚いた。
同時に、単なるゲームではなく、豊かで奥行きのある世界が広がっているんだなということも感じた。
俺はだんだんボードゲームに興味を抱き始めていた。
最初は青井さんの趣味だからって動機だったけど、青井さんが好きになるだけの理由がボードゲームにはあるんだなと思った。
時間はあっという間に過ぎていき、気がつけば三時近くになっていた。
店内はほぼ見て回り、まだ見ていない棚は残すところ二つとなった。
その時だった。
「見て、遊木くん、これはね……」
棚の下段にあるゲームに手を伸ばして、彼女がかがんだ。
その瞬間、俺の目は彼女の胸元にくぎづけになってしまった。
彼女の着ているワンピースは襟ぐりが広く、かがんだ姿勢だと襟が開いて胸元がはだけてしまう。今日、これまでも何度か『見える』瞬間があって、内心どきどきしていたが、今、見えたのはその比じゃなかった。
白いブラに包まれた胸がはっきり見えた。
肌はミルクのように真っ白でもっちりしており、マシュマロのようにやわらかそうだ。
前かがみになって前に張り出しているせいもあるが、彼女の胸はかなりのボリュームがあった。
俺の意識は、吸い寄せられるように彼女の胸元に引きつけられた。
「……くん、遊木くん、聴いてる?」
夢遊病者のようになっていた俺は青井さんの呼び声で正気に戻った。
「あ、ああ、ごめん」
思わず、目を逸らしてしまった。彼女の目を正視できなかった。
「どうかしたの?」
彼女が心配そうに聞いてくる。
「いや、なんでもない」
俺はあわてて否定したが、顔は真っ赤になっていただろう。
女の子の胸を生で見たのなんて初めてだったし、俺は激しく動揺した。
それからのことはうわの空だった。
彼女に対する俺の想いは、初恋の例にもれずとても純粋なもので、異性として意識すること、もっと言うと性的な目でみることにとても抵抗があった。
キスをしたい、いつかはそれ以上のことをしたいと思わないわけじゃない。でも、大事にしたい、汚したくないという想いの方が今は強い。
それに、そんな聖人君子な理由だけじゃなくて、もっと俗な、嫌われたらどうしようという怯えが、そういう見方をすることを拒んでいる。
だから、時折見せる彼女の無防備な姿に、
――勘弁してくれ。
と心の底から思う。
俺だって健康な男子なんだ。
そんな俺の葛藤なんて知る様子もなく、青井さんは上機嫌でボードゲームショップを出た。俺もあとに続いたけど、数分前の衝撃が色濃く残っていて、彼女を意識せずにはいられなかった。
「このあとはどうしよっか?」
青井さんが振り返りながら尋ねてくる。
その声で俺は我に返った。
そうだ、まだデートは終わっていない。このままふぬけていたらせっかくの初デートがいい思い出として残らないかもしれない。二人の記念日なんだ。
俺は心身にまといついて心をかき乱す感情を振り払って気合いを入れ直した。
「青井さんの門限って六時だったよね」
「うん。六時には家に着いてないと。うちお父さん、厳しいから」
「ならあと一時間半くらいはいられるから、いろいろお店見て回らない?」
「いいよ」
彼女は満面に笑みをたたえ、よろこんで聞き入れてくれた。俺は彼女のそんな様子を見て、彼女の好意は俺と同じものだよなと自分に言い聞かせた。
「あのさ……」
俺はおそるおそるあるお願いをした。
「腕……組みたい」
さすがにハードルが高いかなとは思う。手をつなぐのだってどきどきしてるのに、腕を組むとなったらおのずと周囲からの視線を浴びるだろうし。
でも、俺の中に「他人に見られてでも密着したい」という気持ちが芽生えていた。原因は間違いなくさっきの『胸チラ』だろう。
あの瞬間、生まれたのは「触れたい」という抑えがたい衝動だった。青井さんの胸に触れたい。
だからって、そんなことできるはずもない。
少なくとも、今の俺たちの関係では早すぎる。まだそんな段階じゃない。
でも、この衝動は理性で抑えつけるには強すぎた。
その代替行為として腕を組むということを俺は願ったんだろうと思う。
なぜなら、俺の腕に青井さんが手を回せば、必然的に胸が押し付けられるから。
青井さんの胸に触れる勇気はない、でも、彼女の胸の感触を想像して高鳴る心臓の鼓動は激しさを増すばかりで、俺は息苦しさを覚えていた。
俺が、高まるリビドーを満たす方法として、心の内の俺に提示したのが「腕を組む」という行為だったんだ。
それに、「腕を組む」までならぎりぎり許されるんじゃないかという強気の俺が存在するのもまた事実だった。
今日の一日で彼女が示してくれた態度や気持ちは、たしかに好意だったはずだ。親密さも高まっていると思う。
それが俺自身を後押しし、自信を与えていた。
「だめ、かな?」
俺はもうひと押ししてみた。
彼女は迷っているように見えた。無理もない。胸という体のかなりデリケートな箇所に触れるのだから。恥ずかしさもあるだろうし、体の触れ合いにためらいを持つのは、高校一年生の女の子なら当然だろう。
彼女は――
かなりためらいつつも俺の左腕に手を回した。
顔は真っ赤に染まっている。
でも、決して嫌がっているわけじゃないのは伝わってくる。
俺の全神経が左腕に集中したと言ってもいいくらい、鋭敏になっていた。
そして、待ちに望んだ瞬間が訪れた。
俺の左腕の肘と二の腕あたりにやわらかくて温かい感触が生まれる。
間違いない。彼女の胸のふくらみだ。ブラとワンピース越しだけどたしかに感じる。
今年、十六年目を迎える俺の人生で、初めての感動だった。俺は感動のあまり泣きそうになった。
「これで……いい?」
「うん……」
ところが、あろうことか、俺はそのまま硬直してしまった。このまま腕を組んで歩き出したいのに、足が動かない。
青井さんも俺にぴたっと密着したまま動かずにいる。
何やってんだ俺! ここで俺がリードしなくてどうする! せっかく青井さんが腕を組んでくれたのに!
俺は体を動かそうと必死になったけど、意に反して体は金縛りにでもあったかのように動いてはくれなかった。
「……ねえ、遊木くん? さっきまでみたいに手をつないで歩かない? こうして腕を組むのは嫌じゃないけど、その……すごく、恥ずかしい」
青井さんに心配されてしまった。
俺、カッコ悪すぎだろ。
俺は情けなさで泣きたくなったけど、はっと悠弥の言葉を思い出した。
悠弥からは、いろいろ無理難題を言われたけど、付け加えて言われたことがあった。
何かトラブって失点してもそれに囚われるな。次の展開で取り返しゃいい。一番だめなのは、失点したあとくよくよして、そいつを顔や雰囲気に出しちまうことだ。それまでの加点を一気に失うぞ。初デートなんて失点どころかオウンゴールだってやらかすもんだ。だが、それを上書きしちまうくらい楽しい思い出を提供できるかどうかが、女と付き合えるかどうかの差だ。
そうだ、まだ腕組んだことに緊張しただけだ。失点のうちにも入らない。取り返せる。取り返してみせる。
俺は脳内のネガティブなイメージを一掃して、青井さんに顔を向けた。
「ごめん、青井さん、ちょっと前のめりになりすぎた。手つなごう。でも、腕組んでくれてありがとう。すごく嬉しかった」
笑顔でお礼を言う。
青井さんもほっとした表情で微笑んだ。
彼女は俺の左腕に絡ませている右手をするっと落とし、俺の左手に持ってきた。
俺はその手をやさしく握り、指を絡ませていく。
お互いに指と指をしっかり絡ませ、外れないようにする。
少しの間、そのままでいて、どちらともなく顔を見合わせる。
そして笑みを交わした。
「ごめんね。腕組むの恥ずかしくて」
青井さんが謝るのを俺はあわててさえぎった。
「いや、俺ががっつきすぎたよ。こっちこそごめん」
彼女が俺の立場を慮って、自分に非があるように言ってくれたのがわかる。その心づかいが嬉しくて、たまらなく愛おしかった。
「今はその段階じゃないんだと思う。でも、いつかは堂々と青井さんと腕を組んで歩きたい。お互いそうなれるまで、あと、俺が自分に自信と勇気を持てるまで待ってて」
「うん!」
そううなずいて微笑んだ彼女の笑顔は、今日一番の輝くような笑顔だった。
それにしても、左腕にそっと触れていたあのやわらかくて温かなやさしい感触は忘れられそうにない。
そのあと俺たちはショッピングモール内のいろいろな店を見て回った。もちろん、手を恋人つなぎにしながら。
彼女はファッションエリアの服や小物、コスメなどにも関心を示し、『女の子』の顔でそれらを見ていた。
そこには、ボードゲームへの『好き』とはまた違った、等身大の女の子の姿を見て取ることができ、俺はそんな彼女の女の子らしさに嬉しくなった。
意外に盛り上がったのは、趣味のエリアだった。
絵画や書、陶芸、手芸、クラフト、レザーなど、お互いにそういう趣味をもっていなかった俺たちは、興味津々でそれらのコーナーを巡った。
青井さんが足を止めたのは、手作りアクセサリーのコーナーだった。
そこにはビーズや宝石、チェーンなど、オリジナルのアクセサリーを作ることができる材料が並んでいた。
宝石といっても、ジュエリーショップで売られているような高価なものじゃない。いわゆる、『宝石』としての価値はない天然石を加工したものだ。だから、高校生のおこづかいでも買える値段で売られている。
翡翠、アメジスト、アクアマリン、トパーズなどがあった。
「青井さん、興味あるの?」
「うーん、興味はあるんだけど、わたし不器用で」
俺が尋ねると、彼女は苦笑いしながら答えた。
「こっちには完成品も置いてあるね」
「すごいね。これは造形作家さんの作品みたいだよ」
材料の棚の隣にはネックレスやペンダント、イヤリングにピアスなどが並んでいた。
値段はピンからキリまであって、数百円くらいのものから何万円のものまである。
俺はふとあるネックレスに目が留まった。
シルバーチェーンに丸く加工された天然石があしらわれているシンプルなネックレスだ。天然石の名前は、ブルームーンストーンとあった。白い石の中にぼんやりと青い輝きがみられるきれいな石だった。
このネックレス、青井さんに似合うだろうなと思った。
青い輝き――青井さんを象徴しているかのようだ。
ある造形作家の手作りの作品で、一点もの。よく見ると同じものが二つ――ペアネックレスだった。
俺にまた電流が走った。
これは俺に、俺と青井さんのために用意されていたものじゃないのか。
値段を見ると、俺の所持金でも買える値段だった。
確信した。これは俺に買えというお告げだと。
「青井さん、このネックレスどう思う?」
「うわあ、きれいだね!」
「決めた! 買ってくる!」
「え!」
「俺からのプレゼント!」
「そんな……わるいよ」
「いや、俺がそうしたいんだ! そうさせて!」
「でも……」
「今日の記念にさ、何か身に着けられるおそろいのものほしいなって思ってたんだ。もし嫌じゃなかったら……」
「ううん、嫌なわけない。嬉しい……でも、けっこうお値段するよ。わるいよ」
「大丈夫。これ買っても、帰りのバス代くらいならあるから」
「そ、それなら、半分わたしが出すよ!」
「いや、ここはカッコつけさせて……」
「これ、ペアネックレスでしょ。わたし、遊木くんが買ってくれたもの身に着けるから、遊木くんはわたしが買ったの身に着けるの。どう? よくない?」
「だけど……」
「わたしがそうしたいの。じゃないともらえないよ」
「……わかった。青井さんがそこまで言うなら二人で買おう。それじゃ、俺、買ってくる」
「わたしも行く。一緒に買おう」
「そこは男心をわかって! カッコつけたい男心をわかって!」
「だめだよ。遊木くん、わたしからお金受け取らないつもりでしょ? 一緒にお会計する」
はたから見たら完全にバカップルなやり取りをしてしまったと思う。
結局、青井さんが折れることはなく、俺たちは二人でレジに向かった。
レジの店員さんは、知的な感じのする眼鏡をかけた若い女性だった。
俺がネックレスを手渡す。
すると、俺と隣の青井さんを交互に見て、
「彼からのプレゼントですか?」
と聞いてきた。
俺は、当然「はい」と答えたかったが、青井さんは、「お互いに贈り合うんです」と笑顔で答えていた。
それを聞いた店員さんは目を細め、微笑ましそうな表情で「うらやましいですね」と言った。それから、
「ブルームーンストーンは、中世ヨーロッパでは恋人どうしが贈り合う『恋人たちの石』だったそうですよ。お二人にぴったりですね」
と言ってにっこり笑った。
そんな由来があったなんて知らなかった俺たちは、嬉しいやら恥ずかしいやらで、顔を見合わせ二人そろって頬を赤く染めてしまった。
店員さんは終始にこやかに俺たちを見ていた。
そして、二人でお金を出し合って会計を済ませたあと「よければ今、お着けいたしましょうか?」と聞いてきた。
レジには今俺たちしかいない。誰にも迷惑にはならないだろうと確認してから、「お願いします」とこれは俺が言った。
「承知いたしました。ではこちらに……」
そう促され、レジ横のサービスカウンターに通される。
そこで、まず青井さんに着けてもらい、そして俺に着けてもらった。
思った通り、青井さんにすごく似合っている。
「素敵ですよ。お二人にとても良くお似合いです」
店員さんは、そう言ってまたにっこりと笑った。
俺はあることを思いつき、店員さんにもうひとつお願いをすることにした。
「あの、写真、撮ってもらえませんか?」
「かまいませんよ」
店員さんは快諾してくれたが、青井さんが「ちょっと待って」と言って、バッグから小さな鏡を取り出し、髪の毛や服装を整えていた。
それは、男の俺から見たらどこが気になるんだろうというような微妙なものだったが、青井さんが写真写りを気にしている姿を見て、やっぱり『女の子』なんだなあと微笑ましく思った。
そして、彼女が「お待たせ」と準備が完了したので、俺たちは壁際に移動し、写真撮影となった。
写真は俺のスマホを渡して撮ってもらうことにした。
「それでは撮りますよ」
店員さんがスマホのカメラを俺たちに向ける。俺たちはネックレスを手に取り、寄り添った。すると、店員さんが微笑みながら「もう少し寄りましょう」と言ってきた。
もう十分近いけど、もっと寄れって。これ以上距離を詰めたら体がくっつきそうなんだけど。
でも、俺たちは言われる通りさらに寄った。肩と肩、腕と腕が密着する。何より顔が近い。お互いの息遣いまで聴こえてきそうだ。俺はどぎまぎした。さらに、青井さんから香る花のような香りが全身をとろけさせる。
俺は体が火照っていくのを感じ、早く撮ってくれと願った。
「いい感じです。では、撮ります」
店員さんがシャッターを切る。
そのまま、三、四枚と撮ってもらう。
早速、撮れた写真を確認する。
写真の中の青井さんは、もうモデルかアイドルかといったくらいにきれいでかわいかった。いや、俺の知る限り、ここまでの美貌を持った芸能人なんて思いつかない。
その隣に写っている俺は……写りは悪くない。だが、ネックレスを手にした絵面がまるで女の子のようで、俺はへこんだ。
そんな俺の気も知らないで、店員さんは、「お二人ともとてもかわいいですよ」なんて言った。
男に『かわいい』っていうのはほめ言葉にならないんですよ、店員さん。
しかし、青井さんは俺の気持ちを察したのか、「遊木くん、すごくカッコよく写ってるよ。あとで写真送ってね」とフォローしてくれた。
店員さんもうっかりに気づいたらしく、「お二人とも美男美女でうらやましいです」と言い直してくれた。
まあ、こういう反応は慣れてるけどね。もとはと言えば俺が女顔だからだし。青井さんが喜んでくれるならそれでいいやと納得する。
俺たちは店員さんにお礼を言って、レジをあとにした。
「ありがとう、遊木くん」
「俺のほうこそ、ありがとう」
お互いに感謝の気持ちを伝え合った。
「わたし、一生大事に身に着けるね」
青井さんがネックレスを手に微笑みながら言った。
「俺も肌身離さず身に着けるよ」
同じようにネックレスを手に取って俺も笑みを返す。
「今はこの値段のものが精いっぱいだけど、自分で稼げるようになったらもっといいものプレゼントするから待ってて」
「ううん、こういうのは値段じゃなくて気持ちだと思う。だって、初めての彼からもらった初めてのプレゼントだもん。一生の宝物だよ」
俺たちはどちらともなく手を握り、恋人つなぎをした。
スマホを見ると四時を過ぎていた。名残惜しいがそろそろ帰らなければならない時間だった。俺たちは出口に向かった。
「今日は楽しかった」
「うん」
「あ、家に着くまでがデートだよね。振り返るのはまだ早い」
「あはは、そうだね」
「一日、あっという間だったね」
「ね。また……行きたいな」
「行こう! 次はどこ行きたい?」
「とっさには思いつかないよ」
「次も楽しみにしてる」
「わたしも」
そのあと、バスに乗って駅に向かった。帰りも二人掛けの席に座ることができた。帰りのバスの車内は西日が当たってほどよい温かさで、青井さんはうとうとしていた。
今日は半日遊び回ったから疲れたんだろう。俺は彼女をそっとしておいた。終点の駅までは三十分かかるし、着く頃になったら起こせばいい。
ふと青井さんが体を俺に預けてきた。それだけで俺の全神経は敏感になった。隣の彼女を全身で意識する。さらに、俺の肩に頭がちょこんと乗って、シャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。とてもいい匂いだった。
目線を彼女に向けると、鎖骨から胸元へかけての起伏に富んだ芸術的な曲線が目に入ってどきりとする。彼女の呼吸に合わせて胸のふくらみも上下する。見ないようにしようとしても目を逸らすことができない。エレガントな純白のブラのレースのデザインまではっきりと見える。混じりけのない純白は、青井さんのイメージそのものだった。
結局、俺はバスに乗っている間、青井さんの胸元に全意識を集中していた。
男のかなしい性だよな。
やがてバスは駅に着き、俺は青井さんをそっと起こした。閉じられた長いまつげがうっすらと開いていく。眠り姫が目を覚ましたようなその様子は、まるで映画のワンシーンのようだった。
バスを降りる際には、また青井さんの手を取った。
「うーん」
青井さんが伸びをした。
背筋を伸ばして、すらりとした細い腕を天に突き出す。反らせた胸がふくよかなふくらみを強調する。
俺は思わず目を逸らしてしまった。バスの車内でずっと青井さんの胸をガン見していたせいだろう。後ろめたさが急に襲ってきた。
でも、彼女の無防備な姿を独占できるのは自分だけなんだという優越感も湧き起こってきて、嬉しさが込み上げてきた。
男なんて単純なもんだなと思う。
それから俺たちは帰路に就いた。俺は青井さんを家まで送る。当然だ。春になって明るくなったとはいえ、どこにどんな危険が潜んでいるかわからない。家に着くまでは安心できなかった。
それに、一分一秒でも長く彼女と一緒にいたい。
帰りは、今日一日を振り返りながらゆっくりと歩いた。
手はずっと恋人つなぎにしながら。
そうして四十分ほど歩いた先に青井さんの家はあった。
青井さんはどことなく育ちの良いお嬢様っぽいところがあるから、すごい豪邸に住んでいたらどうしようと思っていたけど、着いた先の家はだいたい俺の家と同じくらいの大きさの二階建ての白い家で、俺はなぜかほっとした。
「遊木くん、わざわざ送ってくれてありがとう」
家の前で青井さんが頭を下げる。
「いや、彼女を家まで送るのは彼氏の義務だから気にしないで」
俺はあわてるのと同時に、照れて顔が熱くなった。
「今日、すごく楽しかった」
「俺もめちゃめちゃ楽しかった」
「また、デートしようね」
「もちろん! 次のデートプラン考えとくから楽しみにしてて!」
「うん! 楽しみにしてる!」
そう言って青井さんは満面の笑みを浮かべた。
そして、じゃあ、また月曜日に学校で、と言って微笑んだ彼女の顔を見たとき、俺は唐突に、返したくない、と思ってしまった。
次の瞬間、俺は青井さんの手を取って、ちょっと強引に引き寄せた。
そして住宅街ということも忘れて抱きしめてしまった。
自分でも大胆なことをしたと思ってる。でも、止められなかった。
青井さんは一瞬、驚いた様子だったけど、嫌がることなく俺に身を預けてきた。
やわらかくて温かな感触とともに、ふんわりと体を押し返してくるたしかな実感がある。やさしく存在を主張するかのように。
俺は彼女の背中に手を回し、彼女も俺の背中に手を回した。
受け入れてもらえた喜びが胸の中に広がっていく。
「好きだ」
思わず口をついて出た言葉は、くだけた口調になった。
「わたしも好き」
彼女の声はしめり気を含んでいて、どきっとするほど色っぽかった。
同じ気持ちを伝える言葉が彼女の口からこぼれる。彼女から「好き」と言われたのはこれが初めてだった。だんだん嬉しさが込み上げてくる。
抱きしめる両腕に少し力を込めると、彼女も同じようにしてきた。
どれくらいそうしていたかはわからないけど、このまま時が止まればいいのにと願ったのは俺だけじゃないと思う。
青井さんもきっと、ずっとこうしていたいと思ってくれていたはずだ。
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