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6
俺は第三校舎に続く廊下を急いでいた。
ホームルームのあと、すぐ帰る支度を始めた俺は担任に急な用事を頼まれた。クラス委員を務める俺に拒否権はない。時計を見てため息をつく。あきらかに青井さんと行き違いになってしまう。仕方なく俺は、クラスメイトの女子に青井さんが教室にきたら「先に部室に行っててほしい」という伝言を頼んで教室を出たのだった。
担任の用事は少々長引いてしまった。青井さんを待たせてしまったことに罪悪感を覚える。急いで教室に戻り、荷物を抱えてまた教室を飛び出した。しかし、この時もう少し教室の雰囲気に気をつけておくべきだった。
廊下を走らないよう気をつけながらも自然と早足になってしまう。そして、第三校舎に入ってからは一気に駆け出した。
一階から三階まで階段を駆け上がる。そして、一番奥の空き教室――ボードゲーム同好会の部室まで走り抜けた。
青井さん怒ってないかなと心配になる。呼吸を整えてドアをノックした。
しかし、返事がない。
やばい。怒ってもう帰った?
俺はおもむろにドアを開けた。
青井さんは、いた。
椅子の上で膝を抱えて顔を伏せている。
俺には状況がつかめなかった。
「青井さん」と声をかけようとして絶句した。
ゆっくりと顔を上げた青井さんの目は、真っ赤だった。
少し前まで泣き腫らしていたのは疑いようもなかった。
俺は一瞬、固まってしまった。何が起きたのかわからなかった。
しかし、すぐに我に返って青井さんに駆け寄った。
「青井さん!」
俺を見上げる青井さんの瞳は、みるみるうちに潤んでいき、やがて大粒の涙がぽろぽろとこぼれだした。彼女は目許を拭いながらまた顔を伏せた。
「青井さん! 何かあった⁉」
今度こそ俺は事態を把握した。俺が不在にしている間に彼女を泣かせるような何かがあったのだ。
なるべく優しく何があったのか聞こうとしたが、頭に血が上っていた俺は冷静さを欠いていた。だから、青井さんが弱々しく口にした言葉に強く反応してしまった。
「遊木くん……同好会辞めていいよ……」
最初、何を言われたのかすぐには飲み込めなかった。しかし、意味を理解して思わず問い詰めてしまった。
「なんで……そんなこと言うの?」
彼女は答えない。
「青井さん!」
とっさに叫んでしまった。
「遊木くんは! サッカー部だったんでしょ! サッカーやったほうがいい! 絶対その方がいい!」
青井さんが、叫んだ。
俺は驚きを隠せなかった。
彼女がこんなに感情をあらわに大声で叫ぶなんて。
「レギュラーだったんでしょ……こんなところでゲームやってないでグラウンドでサッカーするべきだよ……みんなのヒーローでいるべきだよ……」
か細い声で最後の方は聴き取りづらかったけど、俺には何があったのかなんとなくわかった。
そして血が上っていた頭は、急速にクールになっていった。
「誰かに何か言われた?」
俺は極力優しく尋ねた。
青井さんは無言のままだ。
沈黙が流れる。しかし、俺は青井さんが答えてくれるのを待った。
少しして、彼女が答えた。消え入りそうな声だったけど、しっかり聴いた。
「遊木くんはサッカー部に入るはずだったんだってクラスの子たちが言ってた。高校でも期待されてたのにって。それをわたしが……誘惑して同好会に入らせたって……」
それから、と彼女が続ける。
「廊下で、その、怖い子たちにからまれた。階段の踊り場まで連れて行かれて……すごく怖かった」
青井さんが怯えた様子で身を縮める。
いったい誰だ。クラスの連中にも腹が立ったけど、その比じゃない。俺は怒りを抑えながら尋ねた。
「青井さん、その時のこと詳しく聞かせて」
彼女はためらいながらも少しずつ話してくれた。
「廊下でわたしを呼び止めたのは三人の女子。みんなギャルみたいだった」
「ギャル?」
「うん……二人はオレンジっぽい金髪に黒い肌の子たち……もう一人は、ミルキーな金髪に白い肌の子だった……遊木くんの知り合いじゃないの?」
青井さんが訝しむような表情を浮かべる。
それを聞いて俺は困惑を隠せなかった。ギャルと接点なんてない。心当たりはまるでなかった。
青井さんはさらに身をすくめ、続きを話そうかどうか迷っているようだった。
「その三人に何かされたの?」
なるべく問い詰めないように慎重に尋ねる。
「ううん。ただ……その白い肌の子と対面させられたの。なんとなくほかの二人の影に隠れるような感じで、うつむいていたから、その子は乗り気じゃないんだって感じたけど。そしたら黒い肌の子たちが……」
青井さんの顔が青ざめていく。これ以上は訊かない方がいい。
でも彼女は顔を伏せながら続けた。
「わたしと白い肌の子の間に割って入って、その子を指さして言ったの『この子、中学の時から遊木くん好きなの。あとからきて取っちゃうなんてないよね。手引いてくれる』って。すごく怖い顔してた」
青井さんは途中から涙声になっていた。そして最後に「怖かった」とかすれ声で何度も続けた。
そんな彼女の姿を見て俺は血が沸騰した。
彼女が受けたのは脅しだ。明らかな脅迫だ。
彼女の怯え方は普通じゃない。たぶんこんな目に遭ったのは初めてだったんだろう。
今も顔を伏せ、膝を抱えながら震えている。
そして、消え入りそうな声で「怖かった」と続けている。
俺の頭の中で何かがぷつんと切れた。
「教室行ってくる……」
身を翻して青井さんに背を向ける。
これ以上彼女を見ていられなかった。
「まだ校内にいるかもしれない」
「……え?」
俺の声がいつもと違うのを感じたのか、青井さんから戸惑いの声が洩れた。
「遊木くん?」
おそるおそる尋ねるような声が背中にそっとかけられる。
「そいつら絶対に許せない! 謝らせる!」
彼女に怒った顔を見せたくなかったから背を向けたままで叫ぶ。
マグマのような感情の爆発を抑えきれなかった。
吹き出した怒りは体の奥から次々とあふれてくる。
握りしめた拳は痛いくらいだ。
「待って、どうするの?」
青井さんが椅子から下りたのがわかった。
しかし、振り返らずに、必死に怒りを抑えながら答えた。
「殴り込みに行く」
「やめて!」
青井さんが叫んだ声が背中に刺さる。でも、決心は変わらない。
俺は教室を出ていこうとした。
「やめて! そんなことしないで!」
背中にぶつかってきた感触がある。確認するまでもなく青井さんだ。
彼女は俺の背中に顔をうずめて手を回し、きつく抱きついてきた。
「お願い……」
青井さんの必死のひと言ですうっと興奮が冷めていく。
「わかった……」
俺がそうつぶやくと、背中の青井さんが深く息を吐き出すのが伝わってきた。
そのまま沈黙が流れる。二人とも無言の時がすぎていく。
「あのさ……聞いてくれる?」
俺は沈黙を破り、背中に抱きついたままの青井さんに語りかけた。彼女がうんとうなずくのがわかった。
「俺、ずっと自分の容姿がコンプレックスだったんだ。子どもの頃から『かわいいね』『女の子みたいね』って言われてきて、その度に心の中で『僕は男なのに』って反発してたんだ。口に出しては言えなかったけど。あ、もとは俺、『僕』って言ってたんだ。男らしくなりたくて変えたんだけど」
思わず苦笑してしまう。そして続けた。
「サッカーを始めたのも男らしく見えるかなって理由で、周りのやつらみたいにサッカーが好きとかサッカー選手に憧れてるとか、そういうモチベーションは全然なかった」
「でもレギュラーだったって……」
青井さんがつぶやくのが聞こえた。
「それにも裏話があるんだ。少年団のサッカー部ってすごくゆるいところがあってね、うまい子がレギュラーを独占するんじゃなく、いろいろな子をレギュラーに起用するって暗黙の了解があったらしい。太っている子、痩せてる子、足の速い子、努力家な子、ムードメーカー的な子とかね。そんな中で俺の立ち位置は、負けず嫌いな子」
青井さんが小声でふふっと笑う。
「そんなもんだよ。でも、中学に入ってからは、がむしゃらに頑張ってレギュラーを勝ち取った。周りから期待されるっていうのは大きなモチベーションになったし、応援されるのも悪い気はしなかったしね。何より、グラウンドでボール蹴ってる時は、俺は男らしいって高揚感を感じられた」
「それじゃあ……」
青井さんの声が不安を帯びる。
「でもね、今はそんなのどうでもいいって思ってる」
俺は青井さんの不安をかき消すように断言した。
「サッカーに対しても、男らしく見られたいなんて動機で続けてたら失礼だし、周りのみんなにも申し訳ない。いつかはけじめをつけなきゃならないとは思ってた。何より、今の俺には青井さんがいるから」
青井さんから「え?」という驚きの声が洩れる。
「俺、憧れてたんだ。彼女のいる生活に」
恥ずかしさで早口になってしまったが、言えた。
「親友からも言われてた。高校生活を彼女とすごすか、部活に明け暮れるかって。俺は絶対に彼女とすごすほうを選ぶ。それは、何ものにも変えがたい選択だと思ってる。だから、今、青井さんがいてくれてすげー幸せだよ。これから毎日会えると思うと、わくわくとどきどきが止まらない」
「遊木くん……」
青井さんが俺の背中に顔をうずめるのを感じた。
「もちろん、サッカーに未練がないわけじゃない。中学で仲間と三年間打ち込んできたから、それを大事にしたい気持ちは今でもある。でも決めたんだ。俺は青井さんと一緒に高校生活を送りたい。同じ景色を見て、感じて、その想いを共有したい」
恥ずかしさは今や最高潮で、若干噛んでしまった。でも、あとひと言。あとひと言だけ彼女に伝えたい。
「だから、俺を信じてほしい」
俺を掴む両手にそっと力が込められるのを感じる。
そして――
俺の背中に顔をうずめたまま、青井さんは「うん……」とうなずいた。
その声には安堵がにじんでいて、俺も胸をなでおろした。
俺は青井さんの手に自分の手を重ねた。ひんやりしていた彼女の手に、ほんのわずかだけど温かさが戻りつつあった。
俺たちは少しの間、そのままでいた。
「落ち着いた?」
そう声をかけると、青井さんは少し間を置いたあと「うん」と言って、密着していた体をゆっくり離していった。
青井さんの体が離れていくのに少し不安を覚える。
「もう、大丈夫」
二人の体が離れたあと耳に入ってきたのは、とても小さい声だったけど、一語一語はっきりと聞き取れる声だった。
俺は振り返って青井さんの顔を見つめた。
「青井さん、俺のクラスの教室に行こうと思う。ついてきてほしいんだけど、どう?」
彼女の表情に不安と恐怖の色がにじむ。
当然だろう。でも――
ここで逃げれば今日植え付けられた恐怖にずっと苛まれることになる。それは苦しいなんてもんじゃない。
俺は彼女の恐怖を取り去ってあげたい。すべては無理でもできる限り。彼女が俺のクラスの教室を避けたりする必要なんてないよう今日中に片をつけたい。
そのためには俺が行くだけじゃだめだ。
青井さんも行かなきゃならない。
「大丈夫。青井さんには何も言わせない。俺が決着をつける。もちろん、殴り合いなんてしない。きちっと言葉でわからせる。だから見ていてほしい」
彼女の肩に手を置き、目を見つめる。青井さんの目からは、葛藤しているのが伝わってくる。
彼女は一度その目を伏せた。悩み、不安と恐怖と戦っているのだろう。俺は静かに待った。やがて彼女は俺の目を見てうなずいた。
俺のクラス――一年F組の教室にはまだ人がいるのだろう、談笑している声がだいぶ離れたところから聞こえていた。
青井さんが身を硬くするのが、つないでいる手から感じ取れた。小さく震え始めたのも伝わってくる。引き返した方がいいか、一瞬そう思ったけど、それじゃ苦しみを長引かせるだけだ。大丈夫だ。絶対に俺が守ってみせる。
「怖い? 青井さん」
「それは……怖いよ。すごく怖い。でも、遊木くんが守ってくれるんでしょ?」
「ああ、心配しないで。青井さんは見てるだけでいい」
「うん……」
彼女がつないでいる手に力を込める。俺もやさしく握り返した。
F組の教室の手前で立ち止まる。
踏み込むのはタイミングを見計らってからだ。
教室からはけらけらと笑い声が聞こえてくる。
「しっかし笑えるよね。遊木くんと青井さん付き合ってるらしいじゃん」
「それで遊木くん、サッカー部辞めちゃったんだもんねえ」
「そうそう、んで、青井さんのゲーム部かなにかに入ったんでしょ?」
「えー、なにそれ。ゲームすんの」
「もったいないよねえ。せっかく期待されてたのに。一年からレギュラー候補って話もあったとかってウワサだよ」
「あたしはそこまでするかって思った。いくら青井さんが美人でスタイル良くても、男が女の尻追いかけるのって正直、引くわ」
「あはは、相変わらずきびしいねー」
「ま、結局さあ、遊木くんもただの男だったってことだよ」
「青井さん、胸大きいもんねえ」
「結局、乳かあ」
「なんか幻滅しちゃった」
「遊木くん、イケメンだったのにねー」
「くっそー、美男美女でくっつきやがって。納得いかねー」
「でもさあ、遊木くんって女顔じゃない? あの二人のエッチってどんなだろ?」
「青井さん、案外あれで激しかったりして」
「きゃはは。うける」
「遊木のやつ、青井さんの乳揉めるのかあ! 羨ましすぎ!」
「俺も揉んでみてー」
「ばーか、遊木に殺されるってーの」
「ぎゃははは」
「好き勝手言ってくれてんな」
「……は?」
「え?……あれ?」
俺が教室に踏み込むと、机に座って駄弁っていた連中は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたかと思えば、金魚のように口をぱくぱくさせている。
ぎろりとにらみつけると、みんなきまり悪そうに目を逸らし、顔を逸らした。
俺は込み上げてくる怒りを吐き出した。
「おい! みんなに言っとく! 俺は青井さんが好きだ! そして、サッカー部辞めたのは俺の意思だ! 誰のせいでもない! もし、何か言いたきゃ全部俺に言え! それと、俺たちの邪魔すんな! 以上!」
「遊木くん……きゃ」
俺の後ろでうつむいていた青井さんが顔を上げたと同時にその手を取る。
そのまま引き寄せて、そして抱き寄せた。
青井さんは拒むことなく俺に身を預け、肩を抱かれている。
クラスメイトたちはぽかんとしたまま固まっていた。
鼻息荒く宣言した上、クラスメイトの目の前で彼女を抱きしめてしまった。
正直、完全に勢いだった。
青井さんは顔を真っ赤にしながら目をしろくろさせている。
俺も自分の行動の大胆さに驚いていた。
「そういうことだ。じゃ、行こう青井さん」
青井さんの手を取りF組を出て行こうとして、俺は思い出した。
「そうだ、うちのクラスに来て青井さんを連れ去った奴ら知らない?」
そう尋ねると、クラスメイトたちは顔を見合わせた。
「あ、あの子たちは……」
誰も知らなかったら困るところだったが、幸い知っているクラスメイトがいた。
俺は一年G組の教室へ急いでいた。
廊下を走るのは校則違反だが、例の奴らが帰ってしまってからでは遅い。小走りにG組を目指した。
青井さんには部室に戻って鍵をかけているようにと言って、いったんわかれた。
ついてくると言ったけど、今度ばかりは連れて行くわけにはいかなかった。
ここからは危険な気がしたからだ。
うちの学校の一年生は、第一校舎と呼ばれる建物に教室を与えられている。それぞれ、一階にA組からC組、二階にD組からF組、三階にG組からI組といった具合だ。A組からI組までは成績順に振り分けられており、一階のA組は特待生のみで構成されている秀才の集まりだ。
それはつまり、三階は成績が悪い生徒のみが集められたフロアであることを意味する。
人を学校の成績のみで判断するのはいけないとは思う。
しかし、三階と一階はまるで別世界のように雰囲気が違うのもまた事実だった。
一階が見るからに優等生の集まりに見えるのに対して、三階には不良とおぼしき生徒がちらほらいて……いわゆるヤンキーやギャルがいる。
一階と三階は完全に断絶しており、俺がいるF組のある二階を隔てて、物理的にも交差することなどまずあり得なかった。
その三階に俺は向かっている。
三階の生徒たちで放課後教室に残っている者などほとんどいない。
階段を駆け上がって三階に着いたとき、女子の怒鳴り声が廊下にまで聞こえてきていた。
俺は即座に目的の連中だと直感した。
案の定、声の出所はG組だった。
そっとG組の教室をのぞき込むと、青井さんの言っていたとおりの、黒ギャルと白ギャルがいた。
黒ギャルは二人で、特徴は青井さんから聞いたままだった。二人ともオレンジに近い金髪に黒い肌で濃い化粧をしている。そのせいで双子に見えた。
白ギャルの特徴も青井さんから聞いたとおりだ。ミルキーな金髪をツーサイドアップにした髪型で、白い肌に薄くメイクをしていた。
その三人のやり取りをしばらく観察する。
どうやら黒ギャル二人に白ギャルが責められているらしいということがわかった。
やがて細かいやり取りも聞こえてきた。
「だからさー、遊木からオンナ追い払ってやったんだから、リョーくん先輩とデートしたげてよー」
「そんなこと頼んでないし、約束もしてません」
「へー、あんた、アタシらタダ働きさせといて、言うこと聞けないっての?」
「そんな無茶な……」
「あーもー、いーからアタシらの言うこと聞けよ! リョーくん先輩とちょっとデートするだけでいいんだから、そんくらいいいだろ!」
「じゃなきゃカネ返せ! 今すぐ!」
「お願いします! それだけは許してください! お金も必ず返しますから! どうか……」
「なあ、遊木とは付き合えるようにしてやっから、ハジメテは先輩にあげちゃってよ。そのあとはいくらでも遊木とヤれんだからさあ」
「それともカネ用意できんの? 即金で十万」
「いいか、先輩にテメーの処女差し出すか、カネ返すか、どっちか選べよ」
「まるでギャングのやり口だな」
聞くに堪えなくて俺はG組の教室に入った。すると黒ギャルたちは血相を変えた。
「だ、誰だ!」
「テメー、遊木、いつから……」
「おまえら人間じゃないよ。同級生にできる仕打ちとは思えねー」
「るせー、とっとと失せやがれ! 余計なことにクビ突っ込むとテメーも痛い目見るぞ!」
「いいや、見すごせないね。おまえらのやってることはれっきとした犯罪だ。これ以上は警察沙汰になるぞ」
「ハン、証拠はあんのかよ?」
「そうだ! 証拠出してみろ! 証拠!」
「こいつが証拠だよ」
俺はポケットからスマホを取り出して見せた。
そして、画面を呼び出し、あるアプリを立ち上げた。
すると――
スマホの画面に黒ギャルたちが映り、音声も流れた。
先ほどの一部始終が再生される。
動画アプリだ。
「さっきの撮影させてもらったよ。証拠には十分だろ」
「て、テメー、この、盗撮野郎!」
黒ギャルたちが明らかに狼狽している。
たたみかけるなら、今だ。
「この動画を警察に提出すれば、おまえらは間違いなく捕まるよ。リョーくん先輩とやらは塀の中まで助けに来てくれるのか?」
「このクソ野郎!」
もう彼女たちには悪態をつくことしかできない。
俺はとどめのひと言を放った。
「さあ、今度選ぶのはおまえらの方だよ。その彼女から手を引くか、警察のご厄介になるか。それとも俺からこのスマホを奪ってみるかい? でも残念、今しゃべってる間にバックアップを取らせてもらった。データは既にクラウドさ」
「テメー、このクソ遊木!」
「おぼえてやがれ!」
捨て台詞を吐いて黒ギャルたちが逃げ出していく。
彼女たちの姿が消えたあと、肺からゆっくり息を吐き出す。
緊張が解け、全身の筋肉が弛緩していく。
さすがにどっと疲れた。
こんな神経戦を戦ったのはもちろん初めてだ。
今度は大きく伸びをする。
「遊木くん」
そんな俺の背中に呼びかける声があった。聞き間違えることなどない声。
俺は声の主に振り返った。
「青井さん!」
「ごめん、来ちゃった。じっとしていられなかったの」
青井さんの姿を目にしたときには、彼女に駆け寄っていた。
次の瞬間、俺は彼女を抱きしめた。
青井さんも抱きしめ返してくる。
「ここは危ないって」
「うん。でも、遊木くんが守ってくれるから」
「片時も離れずに守ることなんてできないんだよ」
「じゃあ、遊木くんの目の届く範囲にいるよ」
「馬鹿だなあ遊は」
「ふふ、守ってね青」
ふと、何かが倒れるような音がした。
振り返ると、白ギャルが床にへたり込む音だった。
少しして、彼女は泣き崩れた。
泣きながらごめんなさいと繰り返す。
その彼女の姿は不憫だったけど、俺たちにできることは残念ながら何もない。
彼女が泣き止むまでの間、俺たちは待ち続けた。
十分から十五分くらいだったろうか。
やがて彼女が落ち着くのを待って、わけを聞いた。
話を聞くと、すべて黒ギャルたちに仕組まれたことだったと判明した。
無理矢理付き合わされたカラオケでの会話の流れで、好きな人を言うことになった白ギャルは、中学の委員会活動で一緒だった俺の名前を挙げた。
俺に彼女がいるとの噂を聞いていた黒ギャルたちは、俺の彼女である青井さんを追い払って、白ギャルが俺と付き合えるようにしてやると企み、まず青井さんの排除を実行した。
しかし、黒ギャルたちは白ギャルに、俺と付き合えるよう手を貸すから、自分たちの先輩と一度デートするよう強要した。
それは暗にその先輩にセックスをさせろという要求だった。
さすがにそれを察した白ギャルは、拒否した。
すると黒ギャルたちは態度を一変させ、脅迫してきたのだ。
白ギャルは、こんなことになるとは思わなかったとまた泣き出した。そして、ごめんなさいと謝罪を繰り返した。
そんな白ギャルを見ていられなかったのか、青井さんが彼女に駆け寄る。
そしてやさしく彼女に言葉をかけた。それをそばで見ながら、俺のほうは驚きのあまり言葉を失っていた。
白ギャルの正体に。
彼女が名乗った名前の子とはたしかに中学の委員会活動で一緒だった。
しかし、その時の彼女は、眼鏡におさげの物静かな子だった。
いったい何があったんだ。
聞けば、彼女は高校進学を機にまずはコンタクトレンズにしたそうだ。
生徒手帳を見せてもらうと、そこには清楚系の見た目の女の子が写っていた。
しかし、入学後に絡んできたのが黒ギャルたちだったらしい。
黒ギャルたちに強要され、まず黒髪を金髪に染めてパーマをかけた。
それからピアスホールを開けさせられ、化粧をさせられ、ネイルをさせられ、香水をふりかけられた。
お金の出所は黒ギャルたちを介してすべて件の先輩からだった。
総額およそ十万円。
とても高校一年生に返せる額じゃない。
なにもかも黒ギャルの背後にいる先輩の命令だったのだろう。
先輩の好みに彼女を改造する、それが黒ギャルたちの使命だったのだ。
おそらく彼女は入学式には目をつけられていたに違いない。
事情を知った青井さんは、白ギャル――白石雪菜を抱きしめた。
そして、彼女を守ってあげられないかな、と切り出した。
俺は悩んだ。
白石を守ろうとすれば、黒ギャルたちや件の先輩と衝突することになる。
それに再び青井さんが巻き込まれるようなことは絶対避けたい。
やはり警察に相談すべきではないかと思う。
でも、白石は警察沙汰は避けたいだろう。
彼女の家族は、彼女の突然の変わりように既に勘当を言い渡す寸前だという。もし警察沙汰になったら、本当に勘当されてしまうかもしれない。
青井さんが心配そうな顔をして俺を見てくる。
俺は悩んだ末に結論を出した。
さっきの録画がある限り、黒ギャルや件の先輩が乱暴な手段に出てくることは考えにくい。
特に、件の先輩のような人種は、トラブルは避け、蟻地獄にはまった蟻のように確実な獲物しか狙わない。
この時点で彼女は既に件の先輩のターゲットから外れたかもしれない。
ただし、すべては希望的観測にすぎないから、いざという時は学校や警察を頼る。
そして、俺の目の届く範囲にいる限りは、俺が守る。
これが俺の結論だ。
それを聞いて安堵したのか白石がまた泣き出す。
青井さんは再びそっと白石を抱きしめた。
その時、ふと、青井さんが何かをひらめいた様子で言った。
「ねえ白石さん。わたしたちの同好会に入らない?」
青井さんはボードゲーム同好会の話を白石に聞かせた。
そして、俺たちの近くにいたほうが安全だと説いた。
ためらう白石に彼女は歓迎の意を表する。
なおもためらう白石に、青井さんは俺にも賛意を求めてきた。
「いいんじゃねえの」
俺がそう答えると、青井さんは、
「ね。一緒にやろうよ」と白石に手を差し伸べた。
白石はその手を取り、うなずいた。
こうして、ボードゲーム同好会は三人になった。
これは後日談になる。
白石雪菜はその日のうちに金髪を黒髪に戻し、パーマもストレートに戻した。
メイクと香水を落としてピアスも外した。
両親には土下座して詫び、許しをこうたらしい。
白石の両親も彼女を許したそうだ。
後日、白石は十万円を黒ギャルたちに返した。
両親の許可を得て自分名義の銀行口座から引き出したお金とのことだった。
黒ギャルたちは脅し文句のひとつも言いたいところだったのだろうが、白石の後ろで俺がにらみをきかせている状況では黙っていた。
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