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エピローグ
青井さんと二人並んで帰る帰り道。
白石にも一緒に帰るかと声をかけたけど、やらなきゃいけないことがあるからと言って先に帰った。気をつかわせたかなと軽い罪悪感を覚える。
自転車を押しながら今日の出来事を思い返していると、
「いろいろあったね」
と青井さんから心の中を読んだのかと思うような言葉が出てきて、思わず立ち止まってしまった。驚いて青井さんへ視線を向けると、一瞬きょとんとしたあと、
「わたしも今日の出来事が頭に浮かんでいたから」
と言ってかすかに微笑んだ。
「うん。いろいろあったよな」
俺も笑みを返そうとしたけど、失敗してぎこちない顔になってしまった。
それを見た青井さんが苦笑いしている。
その後、どちらともなく今日一日の振り返りを始め、あっちへ話が跳んだり、こっちへ話が跳んだり、話は尽きなかった。
気づけば、あっという間に分かれ道。
いつもはここでわかれる。でも――
「送るよ」
今日は名残惜しくて、俺は青井さんにそう告げた。
すると、青井さんははにかみながら「うん」とうなずいた。
それから俺たちはしばらく黙り込んだ。
せっかく一緒に帰れる時間が少し伸びたわけだけど、なんとなくそんな気分だった。
言葉のいらない濃密で満たされた心地よい沈黙。
無言で歩いていると、二十分ほどで青井さんの家が見えた。
家の前で自転車を止める。
「それじゃ……」
青井さんが「ありがとう」と言いかけたその時、俺はあっと大きな声を上げてそれをさえぎった。
彼女は突然の大きな声に驚いて、えっと目をぱちぱちさせている。
「いつまでも『青井さん』と『遊木くん』じゃなくて、名前で呼び合いたい」
俺がそう提案すると、彼女は「う、うん」とうなずいた。
「青井さんは嫌?」
「そんなことないけど……なんか照れるなって……」
「じゃあ、ちょっと練習してみよう」
「……今、ここでじゃなきゃだめ?」
「こういうのは思いついたときが最高のタイミングだよ」
青井さんは少し悩んでいたけど、やがてこくりとうなずいた。
「いくよ」
「うん」
「遊……」
「いきなり呼び捨て⁉」
「だめ?」
「だめじゃないけど……」
「じゃあ、呼び捨てで呼びたい」
「……わかった」
「遊」
「……青」
「やばいやばい」
「でしょ」
「でも、もう一回」
「いいけど……」
「遊」
「青……」
「続けよう。遊」
「青。なんか感情がこもってくるね」
「いい感じだよ。遊」
「恥ずかしいけどね。青」
次第にテンションも上がってくる。それと同時に、自然に二人とも距離を詰めていったんだけど、間近まで気がつかなかった。
そして、いつの間にか、お互いに触れられるまで近づいた。
「なんか、いいね」
俺は素直な気持ちを隠さずうち明けた。
青井さんは、ふふっと微笑んで、
「うん。いいと思う」と答えた。
そんな彼女を見ていたら、俺はもどかしくて叫んでいた。
「あー! めちゃめちゃ抱きしめたい!」
ここは彼女の家の前で、住宅街だということも忘れて、今の抑え難い衝動を吐き出した。
「いいんじゃない」
意外にも彼女は簡単に応じて、続けた。
「わたしもめちゃめちゃ抱きしめられたい」
それを聞いて、俺はぽかんとしてしまった。
相当間抜けな表情をしていたのか、青井さんはくすくすと笑った。
時間にして数秒固まっていたけど、彼女の言葉を思い出して我に返った。
そうしたら、猛然と喜びが込み上げてきた。
次の瞬間、俺は青井さん――遊を抱きしめていた。
遊も俺を抱きしめ返してくる。
強く抱き合いながら俺は「ずっとこうしていたい」と遊の耳元にささやいた。
「ご近所さんに見られてないかな」と遊がおどける。
俺は愛おしくて「遊」と呼んだ。
すると「青」と返ってくる。
俺たちは体を離すともう一度「遊」、「青」と呼び合った。
遊の目には俺が写っていて、きっと俺の目には遊が写っているのだろう。
しばらくそのまま見つめ合った。
そのうち、なにか押し戻せない感情が高まってきた。それは濁流となって全身をめぐり、血液を沸騰させる。煮え立つ血液は心臓の温度を上げ、鼓動を早くする。苦しいくらいの胸の高鳴りは、だんだんに心地よいものに変化してきて――
俺と遊は唇を重ね合わせた。
引き寄せられるように顔を寄せ合い、首を傾け、唇を寄せてキスをする。
人生で初めてのキスは言葉では表現できないくらいに気持ちよくて、全身が幸福で満たされていくようだった。ただ唇が合わさっただけなのに、彼女の全身から満ちる自分の存在を伝えてくるような、穏やかで心地よい刺激があって、そして形容できない気持ちのいい感触と快感は一生忘れることなんてできないだろう。
俺は感動のあまり泣きそうになった。
遊も頬を上気させ、閉じた瞳からは涙がひとすじ、ふたすじと流れ落ちた。
唇を離してまたお互いに見つめ合う。
遊ははにかんだ表情を浮かべている。俺も同じ顔をしているに違いない。二人でキスの余韻に浸っていた。
先に口を開いたのは遊だった。
「キス、しちゃったね」
「だね」と応じる。
「どうだった?」
と遊が聞いてくる。
「遊がめちゃめちゃかわいくてどきどきした」
感じたままを隠さずに答える。
「遊は?」と俺も尋ねた。
「わたしもすごくどきどきした」
と言って遊も微笑んだ。
ほんのり赤みが差した遊の顔はすごく色っぽくて、俺はなりふりかまわず再び叫んだ。
「もう一回キスしたい!」
「ええ⁉ もう、あと一回だけだよ」
遊をもう一度抱きしめてキスをした。
さっきよりちょっとだけ情熱的なキス。
遊が受け入れてくれていることが嬉しくて愛おしくて大胆になる。
本当に、もう思い残すことなんかないってカンジ。
キスを終えて、はにかんでまた見つめ合う。もう何度目だろう。
「キスってすごいね」
「うん」
すると、今度は遊が顔を寄せてきた。
遊は、これからもずっとよろしくね、と言って俺の唇にチュッとキスをした。
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