二十世紀を駆け抜けたドン・キホーテ

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 その話を聞いてからはや十数年。我らが祖国が独立してからも同じ年数が流れ、俺は軍人の道を望んだ。そんな俺に父は砲兵科の道を示した。現在陸軍では装甲車両や有線無線機が導入され、騎馬兵そのものが時代遅れであり、伝令の役割を果たす機会はないと言うこと。自転車部隊か自動車化歩兵であれば伝令の役目が回ってくる可能性もある為、せめて歩兵科に行くようにと。  しかし俺は父の反対を押し切り、騎兵科へと入学した。当時、と言っても二百年程前から我が国の騎兵はその強さを保持していたし、何より私は祖父の語る誰よりも早く戦場を駆ける伝令に憧れ、胸を焦がれていたのだ。  しかし騎兵科に入った俺は失望することになる。騎兵科は貴族の次男三男、教官と言えば前時代的な戦術がそのまま通用すると思っている馬鹿。要するにやる気のない連中ばかりだった。そんな中で唯一、友として認めるのがバルトシュ・ヴィシニェフスキ。貴族の出ではあるが問題意識に厚く、現代にも通用する騎兵戦術を編み出すことに尽力する凄い奴だ。その発言は座学の際には教官を逆上させ、馬術の際には教官に文句を言わせない、言わば騎兵科の問題児であった。外れ者同士で理想や新時代の騎兵の戦術について議論しあった。彼の口癖は次のようなものであった。 「マックス、騎兵が主役を飾った時代は終わったのだ。あと十年もすれば軽車両とって変わられるだろう。しかし指揮の執り方に依っては祖国を勝利へ導くことも出来よう。私は馬に乗る最後の騎兵になりたいのだ」
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