10話

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10話

「美味しい、ハーブティーって初めてです。思ってたより飲みやすいんですね」  挨拶だけして帰るつもりが、真知子に「まあお入り」と招かれ志朗はお茶ををごちそうになっている。 「そら良かったわ。本読んで勉強して自分で色々合わせたりもするん。これはカモミール入っとって落ち着くん。よーけあるけん持って帰り。渚くんは好まんし、息子に送っても要らん言われるんや」 「ありがとうございます。多趣味なんですね、それに本格的だし」  朝来て玄関でも思ったが、リビングも手作りの人形や小物が多い。家具や家自体もこの辺りには見かけない、まるでドールハウスのようだ。 「下手の横好きやわ。ほんでどうなん、渚くん描いてくれるって?」 「いいえ。ラーメン食べて、お手製のプリンごちそうになりました。真知子さんにも持っていくって言ってましたよ」 「なかなかめんどいなあ。ああ、プリン久しぶりやな。兄さんが病気で食べれんようになって滋養があるゆうん聞いて作っとったわ」 「え、あ──そうですか」 (なんだ俺だけ特別じゃないのか……。えっ、いや、別にいいんだけど)  なぜか落胆した自分に驚く。 「優しい人ですね、先生」 「そうやな。むかし兄さんが病気で寝とる時も『病気が移る?』って聞くけん『移る病気と違うけん心配せんでええよ』言うたらちょっとがっかりしよるん」 「…………?」 「なんかと思たら『移ったら半分もらえるのに』って。風邪うつしたら早よ治るとか言うけん、そやに思たんかな」 (ああ、本当に優しい人なんだ。たくさんの困難から救ってくれたお義父さんの病気を半分でももらえたらと思ったのかな)  それすらも自分に向けられたものではないことにまた志朗はモヤモヤする。 「そう言えば、先生に食後にタバコ吸わないのって聞かれたんですが……」 「アハハ。兄さんがヘビースモーカーやったけん、それでやろ。病院で止められとったのに、渚くんに隠れて吸うてあの子に怒られよったな。浴衣に臭い付くけんバレる。こないだ来た時にも羽織っとったかな?もう臭いはせんやろけど、子供が毛布離さんみたいに、あったら落ち着くんやと思うわ」 「ああ」  十年経っても喪失の痛みは変わらないのか、懐かしんでいるだけなのか志朗にはわからない。 「ほんまにもう帰るん?」 「はい、これから九州の作家さんのところに原稿を頂きに行くので。普段郵送なんですが、頼まれた資料が沢山あるので今回は直接伺います」 「大荷物それでな、大変やな」 「体力だけはありますから」 「いやいや男前やし愛嬌もあるで。話しよって楽しいわ。渚くんも昔はよう笑いよったな、今はあんまり見んけど」 「そうですか…………。じゃあ俺これで、また来る前に連絡します」 「気をつけて。またおいでまい」 「ありがとうございました」 「そっか、あの人笑ってたのか……」  はにかんだような渚の笑顔が忘れられない。 (もっと笑顔が見たい。泣き顔も怒った顔も俺に見せてくれたらいいのに)  どうしてそんなことを思うのかわからない。「同情」と言う言葉で括られるものでもない。彼への「想い」をただ持て余すだけだ。 「にぃー」  待ち合いのベンチに座って頭を抱えるようにしていたら、先日の黒猫が横に座っている。 「いい匂いする?鼻がいいね。でも残念、あげられる物ないんだ」  この島には住人みんなで世話をしている猫が結構いるようだ。勝手に餌をやってもいけないだろうし、今は真知子にもらったハーブティーしかない。  頭を撫でていると、彼女の言っていた浴衣の話を思い出した。 「一人で寂しくないのかな、……寂しいよな」  言葉にすると、よけいに渚を独り置いて行くことが罪悪にも思えてきた……。 「きみ一人?時々でいいから、石橋先生のところに行ってくれないかな?彼も一人なんだ。ほんとは俺がそばにいて笑わせたいんだけど」  仕事でそれも無理だし、そもそも渚が自分を近くに置いてくれるかわからない。 「にぃー」  何だか猫に伝わった気がして志朗は微笑んだ。 「ふふ、ありがと。先生が俺に笑いかけてくれなくていいからさ、一人で泣いてないといいんだ……」  今はそれだけでいい。
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