11話

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11話

「ただいま」  自宅の玄関を開けると見慣れたエナメルの靴がある。 「お帰りアニキ。出張だったんだろ、お土産は?」  志朗がリビングに入るとソファーに寝転ぶ弟の譲治が手を出してきた。カールした金髪にルビーのピアス、タンクトップの上はスタジャンで革のズボンを履いている。スーツとジャージしか持たない志朗はそれがおしゃれかどうかはわからないが、派手な顔立ちに似合っているとは思う。  「だから俺、仕事に行ってたんだけどなー」 「んー、お疲れさま。俺も今帰ったとこ」  三歳年下の譲治は高校時代からバイトをしていたレストランで卒業後も働いている。女性客のファンは多いし、仕事ぶりは真面目でマネージャーからの信頼も厚い。 「お疲れさん。この間行った時に讃岐うどん食べたいって言ってたから」  志朗は紙袋を机の上に置いた。 「おっサンキュー。今食う?」 「いや後でいい。…………はああー」  ソファーに深く座って大きく息をついた。譲治が心配して起き上がってくる。 「アニキがため息とか珍しい。……どしたの、仕事上手くいかなかった?」 「資料届けて原稿受け取って、会社寄ってから入稿してきた」 「うん。で?」  促され、島での出来事を差し障らない程度に話すことにした。昔からこうして譲治は話を聞いてくれた。話しているうちに頭が整理されるし年下だがアドバイスをくれることもある。 「島で一人暮らししてる画家の先生に仕事の依頼しに行ったらさ、俺が行くの分かってプリン作ってくれてたんだ。喫茶店で出るみたいなやつ」 「へ……え……」  譲治の顔色が変わる。 「嬉しくて美味しかったんだけど、他の人によく作ってたものだって聞いたら胸がモヤモヤして。笑顔が可愛くて、でもその人といた時はよく笑ってたとか聞いてさ。俺の前でももっと笑ってくれたら良いのにとか思うの何でかなって……」  一瞬の間の後、譲治は絞り出すようにして言葉を発した。 「……っえー、そんなことも分かんないの?」  志朗は身を乗り出す。 「お前分かるの?」 「まあアニキよりはね。教えてあげる、それはヤキモチって言うんだ」 「え、あ、はあ?」  真剣な顔で聞いていた志朗が、再びソファーに身を沈める。 「アニキはその人が好きなの。鈍いなあ、だからモヤモヤしてんだよ。あー、話聞いて損した。俺うどん食おうかな」  袋を開けると中からラッピングされたハーブティーが見える。 「これ……彼女のお手製?」 「え、いや。いやいや!きれいな人だけど男性だぜ、十歳近く上の。前にプリン作ってたのは亡くなったお父さんにだし。あ、ちなみにそれは世話好きの彼のおばさんがくれた」 「あ……えー、なんだあ。久しく彼女のいないアニキに春が来たかと思ったのに」  拍子抜けしたような少しだけ安堵の表情になる。 「なんだよそれ」 「だって……話だけ聞くとやきもちだよ?」  穏やかで心を見透かすような瞳が志朗を見つめてくる。 「会ってそんなに間もない人に?」 「時間じゃないだろ、ついでに言うと性別も関係ない。笑顔が見たい、好意が自分だけに向いて欲しい……これって恋だよね」  言われて志朗は腕を組んで考える。確かに会ってからずっとあの人のことばかり考えている。綺麗で優しくて、もはや性別も関係ない気がする。いや、あるのだろうが。だが経験不足過ぎて、これが恋かどうかわからない。 「…………一緒に料理作ったり食べて楽しかっただけだよ」 「えっアニキが料理?」 「いやー、まあ、俺は鍋や皿だして箸並べただけだけど」  言い訳が途中からモゴモゴとなる。 「やっぱり。ふふ、でも、珍しいね。人当たりいいから好きになられるの多いけど、誰かのことそんなに気にするなんて」 「そうか?」 「ん。ま、何かあったら相談に乗るよ」 「はいはい。恋多き弟くんにご教授願います」 「こう見えて結構一途なんだけどなー」  片方だけほっぺたを膨らませて怒ったふりをする。 「やっぱ腹減ったな、俺もうどん食う。大盛りでよろしく」  志朗が言うと指で輪っかを作る。 「オッケー」  譲治が台所に行きながら志朗に聞いた。 「──プリンも、食べたいなら作るけど……」 「ん?いやいいよ。あ、俺も手伝う?」 「ううん。荷物片付けてシャワーでもしてきなよ」 「おう、サンキュー」  鍋に水を入れながら譲治はシンクに両手をついてポツリと言った。 「プリンなんて俺がいくらでも作ってやるよ……」  脱衣所で出張中の洗濯物と着ていた服を入れた志朗は、そのまま風呂場に行きシャワーのコックをひねる。  (あの人にいつもそばで笑ってて欲しいだけなんだ。それを恋だというんだろうか?)  弟の言うことが一つ一つ納得できるようで、だが確信も持てない。  志朗は自分の恋愛の耐性のなさに苦笑いするしかなかった。
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