12話

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12話

 それから二週間、志朗は身動きが取れなかった。後半は主に作家の丸太が締め切り前の「書けない」モードに陥ったためだ。ギリギリで締め切りには間に合い、今日はその丸太に頼まれた用事が近県にあったお陰でやっと島に来ることができた。  先に真知子の所に手土産を渡しに寄る。 「わざわざありがとな。やっぱり東京のもんはお洒落やわ。上原くん女の子にモテん言うけど珍しいもんよう知っとるやん」  デパートの地下で買い求めた焼き菓子のセットは、缶のデザインも美麗だと人気だ。 「先輩にこういうの詳しい人がいて教えてもらうんです。あ、先日頂いたハーブティー喜んでた彼のおすすめです」  店で買うものより自分の好みだと青田は言う。 「いや、嬉しいわ。また持って帰ってな。ああ、渚くんには朝あんたが来るんは言うとるけん。頑張りなよ」  励まされて苦笑いになる。 「はい、ありがとうございます」  砂凪家のチャイムを鳴らし、カバンを抱え直していたらそう待たずにドアが開き渚が出てきた。 (ちょうど降りて来てたのかな?) 「こんにちは、ご実家が農家さんの作家さんからお米頂いたんで持って来ました。俺、料理はできないけどご飯だけは炊けるんです。まぁ炊くのは炊飯器だけど。これでおにぎり一緒に作りましょう」  渚の顔が輝いて、すぐに戸惑いの表情が見える。 「でも……本の表紙描いてって言われても、多分無理だよ……」 「今はいいですよ、ほら手伝って」  半ば強引に家に上がる。 「うん」  毎度小さなエプロンを渡されるので、今日は紐の調節ができるサロンを持ってきた。米を研ぎ水を目盛りまで入れるとジャーに入れて炊き上がるのを待つだけだ。 「梅干しと鮭、あとツナ缶に海苔のつくだ煮。焼き海苔と、こっちは味付け海苔使うと聞いたので両方ありますよ。あ、先生は元々東京でしたね」 「どっちも好き。何入れようかな」 (楽しんでくれてるみたいで良かった) 「俺いつも家のご飯食べすぎるので姉に『自分で炊け』って言われて炊くようになったんです」 「へえ」  たわいない話をしていると炊き上がり二人で作ることにした。 「上原くん握りすぎるとお米がつぶれるから、優しく握った方がいいよ」 「手がでかいからですかね。ああ、そのくらいでいいのか」  白く細長い緩やかな動きが、なぜか艶かしく映る。 「綺麗だ……。あ、先生のおにぎり俺にくれますか?」 「うん、いいよ。交換しようね」 「わあこのお米美味しい。ツナマヨも初めて食べた。すごい」  渚はすごいと美味しいを連呼して食べている。 「そうなんですか。たくさん炊いたのも良かったのかな。先生の握ったの美味しいです。残ったご飯はチャーハンにでもして食べて下さいね」 「オムライス……」 「いいな、俺好きなんですよね。美味しいだろうな先生のオムライス」 「じゃあ……」  渚が言いかけた所に玄関から真知子の声がした。 「志朗くんまだおる?」  台所から「はい」と言って顔を出すと、玄関扉が開き強い風が入ってくる。 「ああ、風強うなったけん今きよるフェリーの三時の便でおわりやと。間に合うように帰りなな」 「えー!すみませんわざわざ。じゃ俺もう帰りますね」  サロンを脱いでくるくると丸めて鞄に突っ込んでバタバタと帰り支度をした。 「また来ます、さよなら」  何しに来たんだろうと思わないでもなかったが仕方がない。少なからず距離は近づいていると思う。仕事を受けて貰うには多少の時間はかかるものだ。そう自分を納得させた。 「うん……またね、さよなら」  渚は胸のところで小さく手を振った。 「上原、石橋先生どう?」  志朗は会議の資料をファイリングしていた。 「そうですね、きれいで優しくて料理上手です」  その返事に、聞いた青田が一瞬固まる。 「へ、何しに行ってんの?ご飯食べに?」 「石橋先生にもお考えがあるようで、仕事を無理やり押しつける訳にも……」 「遊びに行ってんなら経費出ないぞ」  黒木に言われて志朗は考えこむ。そもそも遠方の上、船の便数も少ない。乗り継ぎで時間を取られるので落ち着いて話が出来ないのだ。 「…………次は休みの日に行きます」 「え、おい上原!編集長!」  黒木が慌てて、伊藤に助けを求める。 「島に行けばって言ったの私だけど、あんまり入れ込まないでね。他の仕事に支障が出るようなら企画ごとやめさせるよ」  その言葉には頷くしかなかった。 「──はい」 (そんなこと言われても多分もう遅い。俺はもっとあの人といたい……)  結局有給を合わせて休みが取れたのは二十日ほど立った頃。  だが本土の港を出てしだいに波が荒くなり、引き返すかもしれないとヒヤリとした。船は大きく揺れたが無事に島に着いた。雲行きも怪しいので家まで走って行き、チャイムを鳴らすと渚が出てきた。 「風強くてっ、この子そこで飛ばされそうになってて、雨も降り出したから中に入れてもいいですか?」  一応私用なので今日はジャケットとパーカーにジーンズで来た。その上着の中から黒猫を見せる。 「にぃー」  猫が鳴くと渚は頷いた。 「あ、うん。いいよ入って」  志朗の背後で強い風が吹いて扉が閉まった……。
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