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14話
志朗は暗闇の中、壁に手をつきながら風呂場まで急いだ。
「先生、大丈夫ですか?」
脱衣所から声をかけるが、渚の返事はない。だがすすり泣く声ようなが聞こえてきた。
「開けますよ」
ドアを引くと、窓から入る稲光で洗い場でしゃがみこんでいる渚が見えた。また近くでバリバリと空を裂く音と光がする。
「きゃー」
「大丈夫です、すぐに雷は止みます」
近づいて立たそうと腕を支えるが、イヤイヤするように拒否をする。
「やだ、怖い。雷怖いよう」
「先生落ち着いて」
濡れた渚の長い髪が二人にまとわりつく。持った腕の細さと伝わってくる震えに頼りなさを感じた。十年もの長い間、こんな夜に彼はどうしていたんだろう。嵐が通りすぎるのを独りでじっと耐えるしかなかったのか……。
何度めかの閃光で渚の顔が目の前ではっきりと照らされた。長いまつ毛につぶらな瞳、心細げにわななく唇……。
その唇に志朗は思わず口づけた。そうせずにいられなかったのだ。
ほんの二、三秒。すぐ我に返って唇を離した。
「すみません!俺つい。いや、ついとかで許されることじゃないけど……」
動揺する志朗に渚が消えそうな声で呟く。
「ぼくがエッチだから……」
「え、いやそんな」
「ほんとのお父さんがいやらしいことしてた。先生もぼくがエッチだから抱いてくれたんだ」
(いやらしいこと……?先生って、お義父さんが……抱いた!?)
渚の衝撃的な発言に頭の整理が追いつかない。心がざわついて、全身の血が逆流するような気がする。
「ぼくがいると不幸になる。疫病神だってみんな言う。先生も僕のこと抱いたから死んだ」
「……お義父さんは病気だったんですよ」
「だってあんなに元気だったのに、僕がいたから。ぼくと一緒にいたからみんな死んだんだ!」
いつもは感情を表に出さない渚が、爆発したように言葉を荒らげる。
「違います!……なら俺があなたを抱いて不幸にならないって証明します」
何か言おうとする渚を自分の唇で塞いだ。唇を吸い開いた隙間から志朗は舌をねじ込ませ、今度は長い口づけをした。
「んんんー。嫌だ、いやああ!」
顔を背けてキスから逃げるが、志朗は彼の中心部に手をはわす……。咄嗟に足を閉じて渚が叫んだ。
「ここは好きな人にしか触らせたらだめなとこ!」
雷で光って見えた顔は涙で濡れそぼつ。不安げな表情に志朗はハッとして手を離した。
(俺は、先生に何てことを……)
「すみませんでした!──俺やっぱり帰ります」
志朗が浴室から出ると渚も着いて来た。
「船出ない……」
「泳いででも帰ります。このままいたら……あなたに何するか」
力ずくで、この人を抱いてしまうかもしれない。
「行ったらだめ、死んじゃう。死んだらだめぇ」
渚は後ろから志朗の体を掴んではなさない。
「犯そうとする人間を引き留めるとか、……あなたバカですか!?」
「バカって言う方がバカ」
「……っ!」
渚の言葉に力が抜けてしまった。いや、彼に言ってはならない言葉だった。バカなのは自分の方だ。
「ごめんなさい。そうですね……分かりました。体拭いて、向こう行きましょう」
志朗の背中で首をふり、それでもしがみついた弱々しい手が震えている。
その腕をはがすようにしてこちらを向かせた。手探りでタオルを見つけ体を拭いてやり、そのまま渚を抱きかかえてリビングに戻った。
(この辺りに脱いだはず……あ、あった)
そばにある自分の上着を渚に掛けてソファーに座らせた。志朗は別の部屋に行こうとするが、渚がシャツの裾を掴んで離さない。仕方がないので隣に座った。真っ暗だが息づかいで渚が自分を見ているのを感じる。
「どこにも行きませんよ」
「ほんと?」
「ええ」
渚はゆっくりと志朗の肩にもたれ掛かってきた。
わかってしまった、彼への想いの正体が。弟の譲治に言われるまでもなく、初めて会った日から志朗は渚に惹かれていたのだ。
(俺は先生が好きだ。同性のこの人を抱きたいと思ってしまうほど)
そしてその愛しい男性を抱いた人がいた驚きに頭が沸騰しそうになった。実の父親のことはよくわからないが、砂凪孝介という義父が渚と愛し合っていたことは恐らく間違いない。
渚が眠ったようなのでそっと寝かせ、自分はソファーの足元に寝ころんだ。だがその気配で目を覚ました彼は志朗を探す。
「上原くん……?」
「はい」
彼が下にいることがわかって自分も降りてきて体を横たえた。
そのままでは寝苦しいだろうと腕まくらをすると渚は身を寄せる。志朗がいることに安堵したのか、しばらくして寝息が聞こえてきた。
(不思議な人だ……)
自分を襲う人の心配をして、その隣で眠るなんて……。
愛しい人が腕の中にいる喜びと、これ以上踏み込めないもどかしさに志朗は朝まで眠りにつくことが出来なかった……。
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