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16話
「ああ、志朗くんありがとう。うちは大丈夫や。静かな海や言うてもちょいちょいあるけん」
真知子の家は新しい建物でしっかりしているし、壊れた物もなさそうだ。手土産に持って来ていたブランデーケーキも渡せた。今回も青田のおすすめで、ハーブティーのお礼にと半分お金を出してくれた。それを伝えると真知子は大いに喜んだ。
「あの……少しいいですか?」
「なんなん?珍しい、改まって」
「以前事情は伺いましたが、お兄さんが石橋先生を引き取ったのは他に何か…………その、特別な理由があったんでしょうか……」
いつも直球な志朗が良い淀みながらも尋ねると、真知子の顔色が変わる。
「渚くんと……なんぞあったん?」
「いえ、赤の他人を引き取るってそう出来ることじゃないなって……先生おきれいだし……。ああっ俺、失礼なことを!すみません」
そのまま戻ろうとした志朗を真知子の声が引き止めた。
「多分……あんたが思うとる通りや」
中へ通されお茶を出した真知子がゆっくりと話を始めた。
「うちも最初は驚いたで。十一年前、兄からしばらくぶりに電話かかってきて、養子連れてこっちで暮らすって。まあ、義姉さんと子供亡くしてずいぶん経つし寂しいんやろと思とった」
「お子さんが?」
「お産で嫁さんと赤ちゃんも亡くしたん。生きとったら渚くんと同じ年くらいやな。それがいざ来てみたら綺麗な子で、口数は少ないしちょっと変わったとこもある。島の人には陰でお稚児さんや言われてたな。兄さんは言いたいやつには言わせとけ言うてたけど……」
(お稚児さん……)
「二人の仲ええ姿がうちにもそう見えてきて、一ぺんだけ『夫婦みたいやな』って言うたことがあるん。ほんだら兄さんは『そうや』って。その後はよう聞かんかった」
「ああ……」
それを聞いて関係があったことへの落胆を感じたのではない。今の渚からは想像もつかない、幸せな時を過ごしていたんだろうこと。自分が彼を笑顔にしたいなんて思い上がりだったのだと、志朗は絶望のようなものを感じた。
「兄さん死んだ時、そらもう悲しんで。そんでも周りにはあの子のそばにおると、ようないって言われよったな。兄さんがあの子の父親に刺された言うんも亡くなってから知った」
「刺された?」
「まあ逆恨みやけど。父親は獄中死したらしいわ。兄さんはあの子が困らんように体が動ける間にあれこれ手続きして。うちに、自分が死んだら渚くんのこと頼むって……」
そこまで話して真知子はさっき渡されたケーキの箱をじっと見る。
「志朗くん、東京は楽しいとこやろな」
「ああ、まあそうですね。賑やかな町です」
「うちな、生まれてからずっとここに住んどるん。小学校は大きい島に渡し船で通って、中学高校は本土に通っとった。放課後は楽しいても船の時間になったら帰らないかん。昔から可愛らしいもん好きで町で雑貨屋さんや勤めたかったけど、幼馴染みの漁師と結婚してそのまま島暮らしや。その旦那も亡うなって一人息子は島に寄りつかん。そやのに一生他人の面倒を見よらないかんのかなと……」
「真知子さん……」
「あの子のせいでないし、ええ子やって分かっとるんや。ああ、いややわ。ごめんな要らんこと言うて」
真知子の気持ちも不満も理解できる。拭いきれない嫌悪感もあり、島に縛り付けられている気持ちも。
「いいえ、大変なのに立派にされています。真知子さんがいらっしゃるからお兄さんは安心して旅立たれたんだと思いますよ」
「ありがと、ほんまに志朗くんは人が出来とるなあ。世話言うほどのこともしよらんので。うちは外に出れよるし」
真知子と初めて会った日も本土の帰りだった。むしろ家に籠りきりの渚の方が心配なのは志朗も同じだ。
砂凪家に戻り帰り支度を始めた。
「昼の便からは出るそうです。明日の仕事があるのでそろそろ失礼しますね」
「えっ、ああ……うん」
志朗はテーブルの上に本を置いた。
「これ黄之川先生の本です。読むのが大変かもしれないけど、どんなお話を書く人か知って欲しくて。それで興味を持ってくれたら嬉しいなって。絵は描いて欲しいけど、それは先生の自由なんで」
「うん」
「──また、来てもいいですか?」
志朗が尋ねると、こくりと頷く。
「良かった。それと……先生は何も悪くない。それだけは覚えといて下さいね」
「…………うん」
(悪いのは余計なことを言う周りの人で。……今は勝手にあなたを好きになった俺だ)
「もう帰るんな?」
船着場の券売機でキップを買っていると商店の老人が声をかけてきた。
「はい。昨日は連絡ありがとうございました」
「よその人や、めったに来んから目立つけん。その巨人みたいな背ーでも目立つけどの」
「あはは、そうですね。俺、石橋先生に絵を頼みに来てるんです」
「へえ、ああ孝介のとこの子か」
老人は元漁師で孝介と真知子の父親とも仲が良かった。前任者が本土に帰り委託されて長年商店を営業しているらしい。
「もう十年も前やが、孝介と渚が仲良さそうに船待っちょるん見たのぉ。色々いう人もおったけど、二人ともほんまに楽しそうやった」
「…………」
ここでも渚が幸せだった頃の様子を聞くことになるとは。
「葬式の時はいつまでも棺から離れんかった。孝介もまだ若かったし好きおうとるならむごい話や……」
「そう……ですか」
(俺があの人に出来ることなんて、何もないのかもしれない……)
それでもやはり渚に心からの笑顔を取り戻して欲しい。
初めて島に来た日のように、後ろ髪を引かれながら志朗は島を後にした。
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