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3話
十分少々歩いて、女性は自転車を一軒家の門の前に停めた。
「家ここなんや。荷物そこに置いとってくれたらまがらんけん」
「まがらん……?」
「えーと、どやに言うんやろ……邪魔にならん……言うんかな」
「ああ、はい。わかりました」
来るまでに見た瓦ぶきの木造住宅とは違い、ここはコンクリート造りの二階建てだ。東西に長く右手には南向きの大きなガラス窓が見える。
表札には「砂凪」とあり、志朗は言われるまま荷物を自転車の脇に置いた。彼女は勝手知ったると、鍵のかかっていない玄関ドアを開けて声をかける。
「渚くん、真知子やけどおる?お客さん連れて来たでー」
女性は真知子と名乗り、手招きされて志朗も玄関に入ったが中からの返事はない。
「散歩にでも行っておらんのかいな?まあちっとしたら帰ってくるやろ、散歩言うても近所歩くだけやし」
(えっ、家の鍵掛けないで散歩って不用心じゃ……)
志朗はそう思ったが、確か港の駐輪場でも自転車の鍵を外す様子もなかった。人も島民しかいないようだし、ドアを閉めておけば野良猫も入らないのだろうか。そう考えていると、階段が軋みペタペタとはだしの足音がする。
さすがに志朗ほどではないが背の高い浴衣の男性が降りてきた。帯を締め着ているのではなく服の上に羽織って、腹のところで持ちあげている。外の明かりが届くところまで来ると顔立ちがはっきりと見えた。
(ああ、綺麗な人だなあ……)
散歩に出るとは言っていたが、陽に当たっているのか心配になるほどの青白い肌をしている。長い後ろ髪と女性のような面差しに志朗はじっと見入ってしまった。
「なんやおったんな」
「うん……」
消えそうな声で言って頷く。
「お客さんやで。大きい人やろ、バレーしよったんやと。えーと、そういや名前聞いてなかったわ。何くんかな?自分」
「上原です、上原志朗です。東京の伊藤出版から来ました」
「東京……」
反芻するように呟いた。
「伊藤延子さん、兄さんの担当さんでべっぴんさんおったやろ。あそこの会社のこの人が渚くんに絵の仕事、頼みたいんやって」
「え……」
小さく開いた唇がそのまま止まった。薄白い唇の中は思いがけなく紅く、また志朗の胸が高鳴った。
「うち買い物片付けんといかんけん後は二人でな。重たいのに持ってくれてありがとな、しろうくん」
「いえ、こちらこそありがとうございました」
頭を下げると真知子が出て行き、玄関先に二人きりになった。
(後は……って言うけど)
今ほとんど話をしてもらった。だが仕事の依頼をしなければ。
「本の表紙をお願いしたくて。実は作家さんが……」
急いでポケットから名刺を取り出したが彼は首を振る。
「描かない」
「あの、話を聞いて頂くだけでも……」
「いらない」
「石橋先生」
「帰って」
島に来たのにとりつく島もないと頭に浮かんだが、冗談が通じる相手ではなさそうだ。
「あ、じゃあせめてこれだけでも受け取ってください。大陸食堂の餃子です。伊藤からお好きだと聞いたので……」
あわてて名刺を靴箱の上に置き、持って来た紙袋を掲げるように付き出した。
「李さんの餃子!?大将元気?」
先ほどまでとは違い、目を輝かせてくる。
「あっ、はい。先月お孫さんが生まれたそうです。これ生なので傷まないようにドライアイス入れて来ました。早めに召し上がって下さい。中に焼き方のメモが……」
すると渚は発泡スチロールの入った紙袋を奪うように受け取った。
「入って」
「え?あのでも、今……」
「焼くから一緒に食べて。もらったから」
急な態度の変化に戸惑いながら思考を巡らせる。
(えーと……。ああそうか、俺にもらったお礼をしたいから一緒に食べてってことなのかな?)
真知子の言った“話がしにくい”とはこう言うことかと理解した。
「──はい、じゃあ一緒にいただきます」
せっかくここまで来たのだ、少しでも話を聞いてもらえたらありがたい。そして彼女が言っていた作家の存在が気になった。
「あの、お父さんはどちらに?」
志朗の問いに彼が上を指差す。
(二階で執筆中なら静かにした方が良いのかな?)
「お邪魔します」
靴を揃えながら小さな声で挨拶をした。
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