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4話
家の中に通されると右手は応接間、次にリビング。入る前に大きなガラス窓が見えた場所はその奥のアトリエだろう。
志朗は渚とリビングの隣の台所に入る。
中央にテーブルがあるダイニングキッチンで、物は少なくすっきりと片付いている。女性らしい物もないので、志朗は父親との二人暮らしではないかと推察した。渚は浴衣を脱ぎ慣れた手つきで畳んで置くと、壁に掛けたエプロンをつけてシンクで手を洗った。
半袖のTシャツ姿で剥き出しになった腕は細く、血管が透けるような薄い皮膚に水が流れていく。志朗はその姿を凝視している自分に気づき慌てた。
「俺も手伝います。……と言ってもあんまり料理できないけど」
「うん、えっと……」
「あ、上原です。呼び捨てでも何でも良いですよ」
長く運動部にいたので、年功序列が身に付いているのだ。
「じゃ上原くんもこれ着けて」
「ありがとうございます」
引き出しから白いレースのついた前掛けを渡されるが、広げてみるとずいぶん小さい。後ろに回したリボン状の紐もギリギリだ。母親の物でないなら先ほどの真知子が来る時の物かもしれない。
「表札見たんですが先生の本名は佐柳渚さんなんですか?サナギナギサ……って少し回文みたいですね」
黙っているのもと話しかけるが、紙袋の中を熱心に覗いている彼からの返事はない。
渚はフライパンを火にかけサラダ油を入れて餃子を焼きだした。もう一つのコンロで少しの水を沸かし、フライパンに入れて蓋をする。テーブルのメモを見てみると、一度に二人前焼く時は温度が下がらないようにお湯を入れた方がいいと書いてある。
見慣れない漢字にルビを振っているのは店主が中国人だからかと思ったが、簡単な漢字にもふりがなが付いている。
(そういえば奥さんが何か言って書き足してたっけ)
わざわざエプロンを着けたが志朗が手を出す必要はなく、すぐに野菜と肉の芳ばししい香りがしてきた。
「いい匂い。いつも料理は先生が作っているんですか?」
「時々おばさんが持ってきてくれる」
(お父さんは作らないのか)
蓋を取り、パチパチと水分が飛ぶ音がして焼き上がった。
「うわあ、うまそう。あ、すみません」
「お皿。取って」
言われた志朗が食器棚から目についた皿を出して渚に向ける。
「これでいいですか?」
「その右の三枚」
「はい」
白い楕円形の平皿を出してコンロの横に置くと、フライ返しで餃子を返すように入れて分けた。良い具合に焦げ目がついている。
「へえ。お店みたいですね」
今日は特別に譲ってもらったが、本来は生では販売していない。焼き上がりは頼みに行った際に見た通りの出来映えだ。
店主が小さな容器に入れてくれた餃子のタレを、小皿に出して二人で食卓につく。
「いたーだきます」
渚が手を合わせ志朗は手を組んだ。
「いただきます」
渚が熱々の餃子にかじりつく。
「ん、おいしい!李さんの餃子だ、すごいね、お祝いだね。ありがとう上原くん、持って来てくれて」
さっき会った時とは別人のようによく喋る。
「はい。おいしいですね」
「あのね、李さんのとこ、ラーメンもチャーハンもすごくおいしいんだよ」
子供のように無邪気にはしゃぐ様子に志朗も目を細めた。
「そうなんですか」
「あ、そうだ」
渚が手つかずの一皿を持って廊下に出たので、志朗もダイニングから顔を出した。
「お父さんにですか?お邪魔でなければ俺も一緒に行ってかまいませんか?」
(執筆中かもしれないけど少しならご挨拶してもいいだろう。この先もお願いに寄るわけだし)
「うん、いいよ」
志朗は渚の後ろから着いていった。
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