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5話
編集社に勤めるようになって二年。まだそう多くの作家と関わってきたわけではない。さすがにポジティブな志朗でも初めて作家と会う時は緊張する。先輩の青田に言わせると「作家はみんな変人」だと言うし。
(でもたぶん大丈夫だ)
お喋り好きな真知子の兄で、素直で無邪気な渚の父親なのだから良い人に違いないと漠然とした確信があった。
階段を上がってすぐの和室のふすまは開いたままで、おそらく渚は来た時にこの部屋にいたのだろう。入口から見える位置に本棚もあるが、書斎と言うには蔵書が少ない。志朗はいつものように屈んで中に入りお辞儀をした。
「失礼します、伊藤出版の上原と申しま……っ!」
顔を上げて目に飛び込んできたのは、小さな仏壇。危うく大きな声を上げそうになった。
渚はその横にある机に焼きたての餃子を置いて手を合わせた。無精髭の豪快に笑う白い礼服の写真が飾られている。そばに置かれた文庫本の帯には「熊猪豪介、遺作」とある。
(先生のお父さんは亡くなっていたのか……!)
横には笑顔の女性や若い夫婦の写真もあれば、神経質そうな女性が一人でいるスナップもある。
「お父さんと、……お身内の方の写真ですか?皆さん亡くなってるんですね?」
「みんな死んだ。ほんとの父さんの写真はないけど」
「どうしてですか?……あっ、すみません」
言ってから失礼なことを聞いてしまったと頭を下げる。
「言えない。おばさんが他の人に話したらだめだって言った」
渚の口調は落ち着いていて、志朗を責める意図はない。
「そうですね、他人に家庭のこと詮索されたくないですよね。すみませんでした。…………ご挨拶してもかまいませんか?」
「うん」
志朗も仏壇の前に座り手を合わせた。
「伊藤出版の上原志朗と申します。よろしくお願いします」
写真の人物にそう語りかけた。何もかも受け入れてくれそうな懐の大きい人の笑顔に見える。遺影が白の礼服なのも「変人」と言うよりは楽しそうに思えた。
「餃子、美味しかった。ごちそうさまでした」
そろそろ帰りますと申し出て玄関で靴を履いていると、何度目かの礼を渚に言われた。よほど嬉しかったとみえる。
「はい。今日はお会い出来て良かったです。──あの俺、諦めてませんからね。石橋先生に絵を描いてもらえるまで来ますから」
渚は少し驚いて困った表情になる。
「ぼく……描かないよ?」
「でもまたお願いに来ます。お邪魔しました、さようなら」
そう言って深々と頭を下げた。
「さよなら」
渚に手を振られ、志朗も小さく振り返して扉を閉めた……。
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