序章 すべての始まり

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…あぁ。 目が覚めた。ここは村から少し離れた、みさきおばあちゃんの物置小屋。 村の人たちはそれぞれ、自分の大切なものだけをもって 様々な場所へと旅立った。 仲が良かった村人たちは、それぞれのこれからの幸福を祈って 散り散りに各々の場所へと歩み始めた。 僕はあの後みさきおばあちゃんが面倒を見ていてくれている。 面倒、というと、実は次の日目が覚めたら僕はとっても高い熱が出ていて。 動けないし、目を開けているのでさえ辛いような状態だったんだ。 自分も大変な時期なのに、おばあちゃんは絶対に僕を一人にはしない、 置いていかないといって面倒を見てくれている。 …また、目から涙が零れ落ちる。 熱のせいなのか、母さんを思い出しての事なのか よくわからない。わからないけど、 ずっと苦しい。ずっと、胸に穴が開いたように寒い。 お狐さんもずっと傍にいてくれてる。 おばあちゃんもお狐さんの事を小屋に入れてくれて、今も隣で丸まっている。はぁ、はぁと荒い息の中、母さんの顔が思い浮かぶ。 「辛そうね、ほら。あなたの好きな林檎をすったわよ。  食べられる?」 「今日はどうかしら、熱は下がった?」 「体起こせる?無理だったらいいのだけれど…」 「大丈夫よ。あなたの事は母さんが絶対守るから!」 笑顔の、優しい、強い母さん。 その母さんがもういないことに涙があふれる。 ごうごうとした火の中、小さく笑った母さんの顔が頭にちらつく。 ごうごうとした火の中、母さんがつぶれたあの音が耳を離れない。 ずっと、ずっと繰り返し繰り返し母さんが頭の中に浮かんで もうこのまま熱がどんどん上がれば、とでさえ思ってしまった。 あがって、死んじゃえば、母さんに会えるかなって。 母さんのお祈りの言葉が聞こえる。 わかってるよ、母さん。 母さんは僕がまだそっちに行くと怒るんでしょ。 …でも、ひどいよ母さん。まだ僕八歳だよ。なんで残して行っちゃうの。 「強く生きてね」 まるで、母さんあのお祈りの時から、僕にプレゼントを渡したときから わかってたみたいに。なんでそんなこと言うんだよ。 母さんのばか。 その後も、起きては涙を流し熱にうなされ意識を落としを繰り返していた。 それから二月の時が流れる。 僕はもうすっかり体も良くなって、小屋のちょっとした縁側みたいな所に 座ってまんまるな月を見上げていた。 「今夜は満月さね。なにかお祈りでもしてみたらどうだい?」 『…お祈り?お月様にお祈りすると、なにかいいことでもあるの?』 「お月様はお天道様より光は弱いが、あたしらのようなモンには  お月様のほうが性に合うのさ。  影を持った者に寄り添い導いてくれる。それがお月様なんだよ」 『へぇ…。……別にいいや。祈ったって、母さんは帰ってこないし。  それに祈るだけじゃなんも変わらないよ。動かないと。』 「……そうさねぇ。人は悲しいいきもんだ」 ちび、とお酒を飲むお狐さん。 僕は月を見るのをやめて、自分の足元に視線を落とす。 …僕があの時、この足でもっと速く到着出来ていたら。 僕があの時、この手で母さんを無理矢理にでも引っ張っていたら。 「でもね」 『?』 「人は悲しいいきもんでも、生きてられるんだ」 『生きていられる?お狐さんも、生きてるんじゃないの?』 「いや。あたしらは妖さね。人には、人にしか生きられないモンがあるのさ」 『……僕は今ずっと寂しいし、辛いよ。母さんに会えなくて。』 「それだよ。」 『それ?』 顔を上げてお狐さんの方を見る。 お狐さんは優しく、どこかいたずらっぽい顔でにぃっと笑った。 「その、他人を想える心。亡き者を亡き者で終わらせたくないと、  事実を認めたくないと思える心さ。」 『その心が何なの?』 「それが、人にしか生きられないモンってことだよ。  あたしらは事実は事実でしかないからね。  人よりもずっと長く生きる分、そこのふっきりが妙に良くなるのさ。」 『…ふぅん。なんだか寂しいね、それは』 「あたしらにとっちゃそれが普通なんだよ。  お前さんのその心が、あたしらからしたら特別なのさ。」 『特別……。』 ぎゅ、っとお守りを握り締める。 小さいけど、ちゃんと思いのこもった、母さんのお守りだ。 あの時、強く願った時、どうして髪留めの勾玉から鈴音がしたのかは わからないしこのお守りだけが飛ばされてきた理由もわからないけど。 「思い」は、人故のものなのかな。 その「思い」は、誰かに影響を与える力を持っているってこと? 思う心が、誰かの心に残って、また新しくなっていくってこと? …よくわかんない。 よくわかんないけど…… 『母さんが、僕のことを愛してくれていたから僕が今悲しいんだよね』 「そうさ。お前さんの母親は立派で強い人だった」 『…僕もメソメソしてられないな。  母さんが立派で強い人だったんなら、僕はもっと強くならなきゃ。  …頑張ったって、もう母さんはいないけど。  だからといって”(おもい)”を捨てることはしちゃいけないよね』 「そうさね。なんだい、言わなくてもわかってるじゃないか」 『ううん。お狐さんの言葉がなきゃ気づけなかったよ。  まだずっと悲しいけど、前みたいに明るくはいられないけど。  僕なりに、母さんがいなくても歩いてみるよ。  ありがとう、ずっとそばにいてくれて。』 「…そうかい。そらよかったよ。じゃああたしは旅にでも出ようかね」 くるっと一回転して人の姿に変わったお狐さん。 どこから出したのかわからないけど、旅人の格好をして こちらを振り返った。 「あたしの名前は琥珀。またどこかで会えたら、話をしよう」 『琥珀…』 名前を呼んだ時にはもうお狐さん…琥珀さんはいなかったけど、 去り際に風が吹いてシャリン、と鈴音が鳴ったのはしっかり覚えている。 僕のためにずっとそばにいてくれてありがとう、琥珀さん。 胸に手を当ててそう思い、手を合わせて静かに祈った。 『琥珀さんに幸運がありますように』 次の日。久しぶりに朝に起きて、布団を丁寧に片づけた。 んーっと背伸びをして外に出る。 鳥たちの声が今日も変わらず聞こえている。 『みさきおばあちゃん』 「あら、今日は早いのね。無理はしなくていいんだよ」 『ううん。もう大丈夫だよ、おばあちゃん。  僕のためにいろいろ頑張ってくれてありがとう。』 えへ、と笑うとおばあちゃんは少し目を開いた後、そうかい。 それはよかったね。と安心したような笑顔で笑って、僕を抱きしめてくれた。 やっぱりおばちゃんもずっと心配してくれていたんだ。 もう母さんはいないけど、これからも僕は続いていくんだ。 ちゃんと、生きなきゃ。 「朝ごはんにしようかね。といっても大したものもないんだけど…」 『ありがとうおばあちゃん。僕魚取ってくるよ。  得意だから、おばあちゃんは座ってて』 「…ありがとう。優しい子だねぇ」 『そんなことないって。ほらほら、ゆっくりしてて!』 みさきおばあちゃんの背中を押して、小屋の中へと誘導する。 そのまま手を振って、釣竿を借りて小川の方へ走っていった。 とぷん、と久しぶりに浸かる水は冷たくて、どこか新鮮だった。 うん、このくらいの温度だったら大丈夫かな。 水が冷たすぎると魚は泳いでないからね。 じゃばぁっと足を上げて、少し離れたところに移動する。 そこで釣りを始めた。 しばらくして、六匹くらいつれた時。 シャリン、と鈴が鳴って風が吹く。 その時なぜかあの奥の細道を思い出した。 村の人たちがいなくなってしまって、あそこでお祈りする人はいなくなった。 おばあちゃんはあの奥の細道を覚えているんだろうか。 …とりあえず、魚をもっておばあちゃんのところまで行こう。 ご飯を食べたら行ってみよう。 そう思って、魚を抱えて小屋に戻る。 『おばあちゃん!お魚沢山釣れたよ!』 「そうかい。今火をつけるから、捌いておくれ」 『うん。ちょっと待っててね』 ざくっと小刀で魚を斬る。 この白い小刀はあの村で生まれた赤子に一本の小刀を送るっていう風習に そって村のみんなから贈られた大切な小刀。 たとえ離れ離れになっても、この小刀がある限りみんなのことを思い出せる。 すーっとお腹に線を入れて中のものを取り出して血抜きする。 よく水で洗って、竹串にぐさぐさとさしていく。 コツは貫通しない程度に魚をぐねらせること。 さしたときに竹串が見えないようにするんだ。 『おばあちゃーん、できたよー』 「こっちも火はついたよ。簡単だけど、スープがあるからお飲みなさい」 『ありがと!今持ってくね~』 一本ずつ捌いて竹串に刺した魚をもって囲炉裏へ。 この小屋は今こそ物置として使ってるけど、元々あの村にお客様が来た時様に用意していた家らしい。だから縁側みたいなところも、囲炉裏も置いてある。 でも村から少し離れていておばあちゃんでは行くのが辛いから 長らく放置していたんだとか。 ここには米俵が三個だけ置いてある。それをちょっとずつ出しながら、 ちょっとずつ僕と二人で分け合って食べていた。 ご飯を食べ終わって、片づけをしていると おばあちゃんがいった。 「優斗君、これからどうするんだい。  おばあちゃんのところでずっと面倒を見てあげたいけど、  もう私も歳だからね。遠くまで働きには行けないし」 『そうだね。無理はしないでほしいから、それはしなくていいよ。』 ちょっと、怖いってのもあるし。 また、母さんみたいに… 少し暗くなった気持ちを祓うようにおばあちゃんに言う。 『僕がもう少し大きくなったらね、ここを出て旅をしようと思うんだ。  僕の夢が大きくなったら母さんと一緒にいろんなところを回って  旅をする、だったから。もう母さんはいないけど、僕も母さんの所へ  行ったときにたくさんお話してあげられるでしょ』 「そうかい。それじゃあ、おばあちゃんもそれまで頑張るね」 『うん、ありがとう。でも無理はしなくていいよ。  木の実や牧、魚なら僕とって来れるからさ。』 「ごめんねぇ…ありがとう。お洗濯とかはまかせてちょうだい」 『うん!』 じゃあ私は洗濯物を干してくるね、と言って外に出たおばあちゃん。 僕も手伝おうと思って一緒に外に出たけど その時に強い風が吹いて、一枚洗濯物が風に流された。 「あぁ…」 『僕とって来るね!』 返事も聞かないまま走り出す。あれはおばあちゃんの大事な手ぬぐいだから、 絶対取り返さないと。風なんかに持ってかれていいものじゃないんだ。 『まてー!』 ぱたぱたと走る僕をまるでどこかに誘い込むように ひらひらと舞う手ぬぐい。 風に連れられて、やっとキャッチできたのはあの、奥の細道の手前だった。 久しぶりに来てみれば、やっぱり日が木々で遮られて入らないこの場所は どこか寂しく、どこか別世界のような雰囲気がある。 シャン、と静かになった鈴音。 やっぱり僕を呼んでいるのかな。 …やっぱり?なのか? と自分で思った言葉に疑問を持ちながらなんとなく足を進める。 少しだけ、少しだけ。 そう思って足を進めれば、あの時と何も変わらない神社がそこにはあった。 やっぱり…ここのお使いはお稲荷様だ。 立派なお顔で、そこに座られている。 小さいけど、それでも十分立派なお社の前に立って ちょうど持っていたみかんをお供えする。 手を合わせて、目をつむった。 こんにちは、初めまして。 僕は優斗と言います。僕の母さんと村は、火に連れていかれちゃいました。 ここの村のものは、みんなそれぞれの場所で生活をしています。 みかん、食べてください。こんなものしかなくて、ごめんなさい。 また来ます。 挨拶をして、一礼する。 そして出口へと足を進めると、シャンッと鈴の音が鳴って うしろに誰かの気配がした。 振り返っても、誰もいない。 ただ、みかんの皮がちょっとだけめくれてて、なんだかそれがおかしくって 少し笑っちゃった。失礼だったかな?と思いながら おばあちゃんの手ぬぐいをしっかりと持って走り出す。 『おばあちゃーん、はい、手ぬぐい。』 「あらあら。ありがとうねぇ、いっぱい葉っぱつけて…」 『あのね、おばあちゃん。僕奥の細道の神社に行ったんだよ』 「…なにかいたかい?」 ドキドキしながらそのことを打ち明けると、 おばあちゃんはすこし動きを止めた後そう聞いてきた。 その瞳がとこか不安そうで、寂しそうで。 『みかんをお供えして、村の事と母さんのことを話したの。  そしたら最後にみかん食べようとしてくれて、皮がちょっと捲れてたんだ』 「その人は、怒ったりしてたかい?」 『ううん。全然そんな感じはしなかったよ。  また来ますって言ったら優しい風が吹いてね。  まるで、いつでも待ってるからねって言ってくれてるみたいだったの。  ねぇおばあちゃん。なんであそこは子供は入っちゃいけないの?』 そう疑問を投げかけると、おばあちゃんは言う。 「そうね。もう教えてもいいかもね。  あの村では、刀を赤子に贈る風習があっただろう?」 『うん!』 「それは、七歳までは子供は神様の子なんだよ。  だから連れていかれないように、刀でその身を護るんだ。」 『へぇ…それで?』 「奥の細道の神社には、あの村…というよりこの村を守ってくださる  山神様がいらっしゃると代々伝わってきたんだ。  ある時、子供が奥の細道まで迷い込んじゃってね。  あそこ足元が暗くて見えないのにぬかるんでいるだろう?」 『うん。危ないよね』 「それで転んで怪我をした子供があの神社に入り込んだら、  その子供は帰ってこなくなっちゃったのさ。  その子がまだたった五歳の幼子でね。」 『連れていかれちゃったの?』 「わからない。でも、それがあってから奥の細道には入らないようにって  言い聞かせてたんだ。その道中の道も危ないからね」 『そうだったんだ…。僕はもう八歳だから神様の子じゃないね。』 「そうだね。でも、油断はしちゃいけないよ。  気に入られたら連れていかれちゃうからね」 『うん。わかったよ』 …でも、そんな子供を連れて行っちゃうような感じじゃなかったんだけどな。 優しくて、どこか寂しいような、まるで母さんのような。 そんな安心感のある場所だったけど… 本当にその幼子は神様に連れていかれちゃったのかな? と首をかしげる。 揺れても音が鳴らない勾玉を見つめながら、 僕はお昼の支度を始めることにした。
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