1,スズランの毒

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サラを抱きかかえて洗面所に行って手を念入りに洗ったダンが、サラと一緒にテラスに戻ってきた。 「スズランは花粉にも毒がある。食卓なんかに飾ったら、とんでもないことになる」 「そうね、知らなかったわ。庭のスズランは、処分してしまいましょう」 この庭には、危険なもの不穏なものは一切あってはならない。ここは安らぎと平和の象徴なのだからと、カオリは唇を噛みしめた。 ダンはお気に入りのハーブティーを自分で淹れて、庭を見渡す席に足を組んで座った。 風が吹くと、庭から花々の香りが波のように寄せてきた。 妻が丹精込めて作った庭の精気が立ち上ってくる。 「ここは世界で一番落ち着く場所だよ」 ダンが頬を緩めて言った。 お世辞を言う人間ではないだけに、カオリはその言葉が身に染みて嬉しかった。 「パパ、何飲んでるの」 サラが、ケーキをほおばりながら訊いた。 「ハーブティーだよ。カモミールやローズヒップ、ミントなんかをブレンドしている。パパが栽培したハーブなんだ」 「パパもママみたいに、お庭作ってるのね」 「ハハハ、そうだな」 カオリとサラは、生物研究所の敷地にある薬草園に行ったことはない。百花繚乱のこの庭に比べると、薬草園は花は咲くものの、地味で華やかさがなかった。 しかもダンが傾注しているのが毒草とあっては、とてもサラを連れていける場所ではなかった。 寡黙で時に何を考えているのか測りかねるダンが毒草に惹かれるということに、カオリは何となく腑に落ちる気がした。 植物が隠し持っている毒、それは秘密と相通じる。 秘密は善であることもあり、悪であることもある。愛情のこともあり、憎悪のこともある。 しかしカオリにとって、ダンの人格に生来備わっている秘密は、決して立ち入れない部分だった。 それは植物が我が身を守るのに似て、それを守るために毒で武装するのも辞さないという風だった。 カオリの先祖は日本人で、薬草園の園丁をしていた。 その薬草園の記録がカオリの手元にあり、ダンはその図入りの薬草の記録を夢中になって判読した。 その結果、彼の薬草園にはアセビやドクダミ、センブリなども植えられている。 先祖が日本人と言っても、カオリの外見からそれはあまり感じられない。髪は明るい茶色で目はブラウン、肌はほとんど白人と言っていいくらい白かった。 その時、警報が街中に響き渡ったかと思うと、街の北側に爆弾が投下されたらしく、黒っぽい炎が天を突くように燃え広がった。 ミサイルも爆撃機もレーダーを避ける技術が向上して、警報が鳴ってすぐ着弾したり、警報すら鳴らない時もあった。 花々に彩られた幻のティータイムは、唐突に終わった。 カオリは、ティーカップが粉々に割れ中の飲み物が血のように流れる光景を、脳裏に思い描いた。 「戦争は短期決戦で、すでに最終局面に入っている。敵は大都市を狙っているから、ここにいるのは危険だ。どこかに避難することを考えた方がいい」 ダンは沈痛な面持ちで言った。 核シェルターは街中にいくつも作られ、区域ごとに割り当てられていたが、自宅から5分ほどのシェルターは大勢が収容されることになり、酸欠になりそうだとダンは難色を示した。 シェルターに避難するくらいなら、生物研究所のダンの個室にあらかじめ移った方がいいと彼は思った。 生物研究所は広いので、優秀な研究者には個室が与えられた。そこで研究をしたり宿泊をすることができた。 生物研究所は街から車で片道2時間以上の辺鄙な場所にあるので、数日宿泊して仕事に集中して、街の自宅に戻ってたっぷり休養するという生活パターンをとっている者もいた。 個室はベッド3台軽く入れる広さだったが、カオリはそこへ避難するというダンの提案にはためらいを表した。 まだサラが生まれる前、カオリはダンの案内で生物研究所を一通り見て回ったが、自分の知らない他人のダンの影が潜んでいるような恐怖に付きまとわれて、それ以来行くことはなかった。 カオリの先祖は園丁だったし彼女自身も植物は好きだが、同じ植物を相手にしているといっても、ダンの領域とは高い壁で隔てられていると思った。 「この間クリスに聞いたのだけど、平和主義者たちが国を逃れて森の中で共同生活を送っているんですってね」 カオリは、生物研究所から話をそらすように言った。 「クリスが?」 ダンは眉をひそめて、非難するような表情になった。
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