5. 奇跡を望むなら

1/1
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

5. 奇跡を望むなら

 一年後の年末、紗和の勤めるオフィスは仕事納めを迎え、長期休暇をどう過ごすかで、社員の話題は持ちきりだった。 「沙理奈は、彼氏と旅行するんだ? いいなあ」 「そう、念願のUSJに行くんだ。今から計画立ててるけど、徹底的に楽しむしかないって感じ」 「でも、その先には彼氏との感動のゴールが待ってるんでしょ? 」 「どうかなあ? 毎度毎度そのつもりでいるんだけど、いまいち歯切れ悪いんだよな」 「大丈夫だって、沙理奈の彼氏は誠実そうだし、そう遠くない未来にはゴールできるって」  楽しそうに話す沙理奈の後ろで、紗和はたった一人、残務整理を続けていた。いつもの年なら、仕事納めの日は誰よりも早く仕事を片付け、オフィスから出て行くのに、今年は一番片付けるのが遅い様子だった。 「あれ? 紗和は今日も残業? 毎年、仕事納めの日は誰よりも早く帰るのに」 「今年中にやっておかなきゃならないことが、結構あって」 「あらら、可哀想に。ま、紗和は結婚も恋愛も当面なさそうだから、せいぜいがんばりたまえ。じゃ、おっ先に~! 」  そう言うと沙理奈はクスっと笑い、コートを着込んで友人達とともにオフィスを出て行った。紗和はため息をつくと、一人残されたオフィスでもくもくと書類を整理していた。  今年の春、友成はニューヨークに旅立ってしまった。  その後はSNSでメッセージを送っても、国際電話をかけても、全く応じる気配が無かった。海外だし、仕事が忙しいんだろうし、無理に押しかけても仕方が無いと紗和は会いたい気持ちを抑えていた。  その時、紗和のスマートフォンが突如けたたましく着信音を鳴らした。  SNSのメッセージが到着した音である。 「誰? こんな時間に……」  紗和は、おそるおそるスマートフォンを開けると、そこには一件のメッセージが届いていた。 『お疲れさま。今日は仕事納めかな? もし仕事が忙しくなかったら、定禅寺通りの突き当りにある西公園まで来てくれるかな? 夜七時、スターライトウィンクの時間に、「奇跡」が起きるかもしれないから』  その送り主は、藤崎友成であった。  彼はまだニューヨークにいるはずなのに、一体なぜここに?  そして、彼のメッセージからまたしても「奇跡」という言葉が登場した。  今度は一体、どんな「奇跡」が紗和を待ち受けているのか?  紗和はメッセージに対して半信半疑ながら、慌てて残務を片付け、コートを着込んでオフィスを飛び出した。  地下鉄勾当台公園駅の出口を出ると、紗和はまっすぐ定禅寺通りを早足で歩いた。今日も、年末の風物詩「SENDAI光のページェント」を見に、多くの人達が歩道を埋め尽くすように歩いていた。見物する人達の歩みが遅く、なかなか前に進まない中「奇跡」の起きる時間は刻一刻と迫っていた。  そして、夜七時になる寸前、紗和はやっとの思いで定禅寺通りの突き当りに位置する「西公園」にたどり着いた。 「はあ……間に合った」  しかし、西公園には全く人の気配が無かった。  紗和は、公園の中をさまよい、人影を探したが、どこにも見当たらなかった。その時、定禅寺通りを明るく照らしていたオレンジの灯りが一斉に消えた。暗闇の中、通りを行きかう車のライトだけがゆっくりと目の前を流れていった。  辺りが暗闇に包まれる中、一瞬、紗和の片手に感触があった。真後ろに誰かが立ち、息遣いをしているのが分かった。後ろを振り向こうとしたその時、灯りが再び点灯された。灯りに浮かび上がった真後ろに立つ人影は、紛れもなく、友成だった。 「と、友成くん! 」 「やあ、元気だったかい? 」  友成は、しばらく連絡をしなかったことに悪びれる様子もなく、微笑みながら手を振っていた。 「無事スターライトウインクの時間に間に合ったようだね。さて、奇跡は起こったかな? 」 「奇跡? 何も無かったわ。アメリカに渡ったはずのあなたに会えたこと以外は」 「まあ、それも奇跡といえばそうだけど……」  友成は、紗和が片手に持っている物をそっと指さした。 「あ、そういえば…何なの、これ? 」 「さあ。開けてみれば? 」  紗和は、暗闇の中手渡されたものを自分の目で確かめようと、そっと自分の目の前に持ってきた。  それは、ブルーの包装紙に包まれた、小さな包みだった。  紗和は、包装紙をゆっくりと外し、その中に入っていた白い小箱に手をかけた。  そこには、可愛らしいデザインが施された指輪が入っていた。  紗和は驚きのあまり、指輪の入っていた箱を真下に落としてしまった。 「こ、これって……まさか!? 」 「ああ。そうだよ」  そう言うと、友成は箱を拾い上げ、付着した土を払うと、そっと紗和に手渡した。 「僕、今年いっぱいで勤めていた会社を辞めたんだ。今度、仙台市内の会社に再就職することになった」 「だ、だってニューヨークの仕事は? 会社からのご指名で赴任したんでしょ? それなのに、帰国して仕事まで辞めちゃうのって……」 「ニューヨークに赴任したけど、これで本当にいいのかって自問自答してね。それで、会社に直談判したよ。まずは早急に帰国させてください、そして仙台支社に再度転勤させてください、とね。当然、会社は僕のわがままなんか許すはずもない。どうしても仙台に行きたいんだったら、会社を辞めて仙台に移住しろ!ってさ」 「それで……辞めたんだ」 「うん。これまでの自分のキャリアを捨て去ることは、正直勿体ないと思ったけれど、不思議と後悔はしていないんだ」 「出世したかったんでしょ? 出世したいから、海外勤務を受け入れたんじゃないの? 」 「もういいんだ。あの人の言葉を聞いてから、僕の考えが少しずつ変わってきたというか」 「あの人の? 」 「石本さんだよ。あんなに面白くって、人情味があるのに、仕事のために奥さんとの時間を犠牲にした結果、ひとりぼっちになっちゃってさ……。あの時以来、自分がそれまで当然だと思ってたことが、グラグラと揺らいだ気がするんだ」  友成は、うつむきながら呟いた。 「今、引っ越しの準備をしてるんだ。新しい仕事も年明けから始まるからね。今までのキャリアを生かせそうな仕事を探してたけど、こっちはなかなか見つからなくてなあ……仙台支店時代の知り合いのつてで、こないだやっと見つかったんだよ。給料はグッと下がるから、紗和ちゃんには辛い思いをさせてしまうかもしれないけど」 「辛い思い? 」 「これからずっと、この僕と一緒に暮らしてほしいから……」  友成の言葉を聞いて、紗和の瞳には涙が溢れ出て止まらなくなった。  口元を押さえ、声を上げて嗚咽した。 「私、もう駄目だと思ってた。私、このまま一生、ひとりぼっちなんだって……」 「紗和ちゃん、ごめんね。ずっと待たせてしまって。でも、もう大丈夫だよ」  そう言うと、友成は紗和が手にしていた箱を開け、指輪をとると、紗和の右手の薬指にはめた。 「うん、サイズはぴったりだね。この指輪を選ぶとき、このサイズで良かったのかな? って悩みながら選んだけど、大丈夫そうだね」  紗和がつけた指輪は、木々を彩るオレンジ色の灯りに照らされ、まぶしい光を放った。 「さ、寒くなってきたし、腹減ったし、どっかで美味しい物でも食べに行こうか。とりあえず、『三吉』でおでんでもつまみながら」 「んも~、友成くんは三吉が好きなんだから」 「紗和ちゃんだって、僕より食べてるくせに」  友成は手を差し出すと、紗和はその手をしっかり握りしめた。 「ねえ、食べに行く前に、写真撮らない? せっかく光のページェントに来たのに、もったいないじゃん」 「そうだな、去年の石本さんに教えてもらったポーズで撮ろうか?」  近くの通行人にスマートフォンを渡して撮影をお願いすると、友成は片手を頭上に伸ばした。  紗和も指輪をはめた片手を伸ばすと、友成の掌に重ねた。 「はいっ、」  その時、二人の耳には、聞き覚えのある掛け声が聞こえてきた。  二人の視界には、禿げた頭の石本が、脂ぎった顔で微笑みながら手を振っているのが目に入った。  そしてその隣には、綺麗な女性が寄り添っていた。 「今の……石本さん!? 」 「多分、そうだよね?」  二人は石本に声を掛けようとしたが、その姿はもうどこにも見当たらなかった。 「石本さん、再婚したのかな。今は幸せに暮らしてるのかな」 「だろうね。いや、きっとそうだよ」  定禅寺通りを歩く人の数は、国分町が近づくにつれ徐々に増えていった。  紗和は友成に腕を絡めると、友成は紗和にもたれかかった。  小雪が舞う中、二人は寄り添いながら、どこまでも続くオレンジ色の光のトンネルの彼方へと歩き去っていった。 (おわり)
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!