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1. また君に会える
「じゃね、沙理奈、先に帰るね」
仙台駅からプロ野球「楽天イーグルス」の本拠地球場に向かって東に延びる宮城野大通り沿いにあるオフィス。菅原紗和は、早々と帰る支度を始めた。
「あれ?紗和、今日は帰るの早いじゃん。いつもだったら、だらだらと残業してるのに」
同僚の遠藤沙理奈が、向かいの机から覗き込むように紗和が帰り支度する様子を伺っていた。
「いいじゃん。今日は仕事納めだし、残業しないで早く帰って何が悪いの? 」
「まあ、そうだけどさ。ちょっと不自然だなあって」
「ど、どういうことよ! 」
「というか、紗和だってもうすぐ三十歳でしょ? もう、コレがいてもおかしくないよね? 」
そういうと、沙理奈は小指を立ててニヤニヤと笑った。
「あのさ……私、結婚なんてまだ興味ないから」
「まあ、結婚はしなくても、今のところうちの職場で彼氏がいないのは紗和だけだよ。こんな不細工な私にすらいるんですからね。もうちょっと焦りなさいって」
「余計なお世話ですから! じゃあね!」
紗和は、沙理奈を振り切るようにオフィスを飛び出し、宮城野大通りへと飛び出した。
紗和は会社から出るや否や、スマートフォンを取り出すと、メッセージを打ち込んだ。
『やっと仕事終わったよ。友成君はもう仙台に着いてるかな? 約束した時間に間に合うかどうかわからないけど、急いで待ち合わせ場所に向かうからね』
今日は北からの風が容赦なく吹き付け、時折風に乗って雪が舞っていた。紗和は、大きなマフラーで口元までガードし、両手をコートのポケットに入れて、ゆっくりと歩き出した。
仙台駅に入ると、四方八方から雪崩のように帰宅ラッシュの人達が押し寄せてきた。紗和は、必死にその人波をかき分けて、地下鉄乗り場へと続くエスカレーターへと足を進めた。エスカレーターには、通勤客が数珠つなぎのように縦一列に並んで立っていた。
そして、構内では、次の電車が間もなく到着するアナウンスが流れていた。
「うわあ……急いでるのに!」
紗和は、エスカレーターの右側に空いた空間に出ようとしたが、大きなスーツケースを置いた人達が行方を遮って、すぐに下に降りることは出来なかった。
その時、地下鉄南北線がホームに入線し、ホームに溢れんばかりに立っていた乗客が、次々と車内に乗り込んでいった。ようやくホームにたどり着いた紗和は、全速力で車内に駆け込んだ。
その時、紗和のヒールが何かにぶつかり、紗和の身体はバランスを失って斜めに傾いた。
「え!ちょ、ちょっと!?」
次々と乗り込んできた乗客に背中を押されたまま、紗和の身体はうつぶせの状態で、床に向かって一直線に倒れ込んでいった。
「やばい、このままじゃ……」
その時、誰かの手が、紗和の背中をそっと支えた。まるで、何かにふんわりと包まれたかのように、紗和の身体は大きな腕の中に抱えられていた。
「大丈夫ですか?お怪我はないですか?」
野太い男の声が、紗和の耳元に入って来た。
「だ、大丈夫です」
紗和は顔を上げ、腕の中から身体をゆっくりと起こした。
その時、紗和の顔は青ざめた。
禿げ上がった頭、脂ぎった無精髭の残る顔に大きめの眼鏡、皺だらけのコートを着込んだ中年男性が、真上から覗き込むように紗和の顔を見つめていた。
「あははは……私もう大丈夫ですんで。ありがとうございます」
紗和はゆっくりと後ずさりするかのように、男性から離れていった。紗和を助けた男性は怪しげな風貌で、助けた後に痴漢でもしそうな雰囲気であった。
助けてくれたのは嬉しいけど、男性から離れるために一刻も早く電車から出たい気持ちであった。
「まもなく、勾当台公園、勾当台公園に到着します」
車内放送を聞き、紗和はようやく胸を撫でおろした。目的地の勾当台公園駅に電車が到着すると、紗和は鞄を抱えて、足早に電車から降りて行った。
時折後ろを振り返り、あの男性が後をついてこないかを確認した。地下鉄の出口を出ると、オレンジの灯りに包まれた定禅寺通りが目の前に現れた。
定禅寺通りでは、仙台の冬の風物詩『SENDAI光のページェント』の真っ最中である。
十二月中旬になると、定禅寺通りの真上を埋め尽くすように聳え立つケヤキ並木が、暖かいオレンジ色の電球で覆われる。
紗和は、仕事の取引で知り合い、現在は東京で暮らす恋人の藤崎友成と、この場所で一年ぶりに再会する約束をしていた。
紗和は腕時計を見て、約束の時間に間に合ったことを確認すると、ホッと胸を撫でおろした。友成に連絡しようとスマートフォンを開くと、メッセージ到着の表示が付いていた。
『こんばんは紗和ちゃん。もう少ししたら、イルミネーションの灯りが消える。その時、奇跡が起きるかも?それじゃ、慌てないで来てね 友成』
その時、定禅寺通りをまばゆく照らす灯りが一斉に消えた。
SENDAI光のページェントでは、三十分に一度、灯りが一時的に消えて再び点灯する「スターライトウインク」の時間が設けられている。
突如暗闇に包まれ、通行人のどよめきが起きる中、誰かが紗和の背中を優しく叩いた。紗和はビクッとして、後ろを振り向いたが、真っ暗で誰なのか見分けが付かなかった。
しばらくすると、灯りが再び一斉に点灯された。
紗和は再び目を凝らすと、品の良いコートを着込み、チェックのマフラーを巻いた友成が、紗和の後ろに立ち、手を振って優しく微笑んでいた。
「と、友成くん!? 」
「よう、元気だったかい、紗和ちゃん」
「何よ奇跡って?何が起こるのか、ドキドキしちゃったでしょ!? 」
「まあ、ちょっと驚かそうかなって思ってね」
「びっくりさせないでよ! というか、普通に『ひさしぶりだね』って言えばいいのに」
「気にするなよ。それより、今年も光のページェントを一緒に楽しもうか」
友成は微笑みながら、紗和の手をそっと握った。
紗和は最初ムッとした表情をしていたが、友成の表情を見るうちに次第に心が緩み、友成の手を強く握り返した。
「すごく逢いたかったよ、ごめんな、忙しくて年一回だけしか逢えなくて」
「私も逢いたかったよ、友成くん」
オレンジ色に輝く定禅寺通りを、二人は手を繋いでゆっくりと歩き出した。
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