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3. 蘭丸
「ただいまぁ、蘭丸」
トートバッグとお土産の紙袋を床に置き、私は窓辺の胡蝶蘭に帰宅を告げた。
正月に帰省しない私の顔を見に上京した母と、年末の東京を一日観光してきたのだ。この部屋には予備の布団などないので、母はホテルをとり、明日は学生時代の友達と舞浜に行くという。
「疲れた〜」
部屋が暖かいのは、蘭丸のために暖房をつけっぱなしにして出かけた今朝の自分のおかげだ。電気代は心配だが、帰宅したそばから快適なのは悪くない。
「温度よし、湿度よし。水苔もまだ、乾いてないわね」
胡蝶蘭を持ち帰って一週間。少しでも愛着が湧くようにと、美少年風の名前をつけてみたのは正解だった。
部屋で蘭丸が待っている。そう思うと、なんとなく心が温まり、早く帰りたくなる。まるでペットでも飼い始めたみたいだ。しかも、餌代もかからず、吠えもしない目の保養。まりもを飼う人の気持ちが、少し分かる気がする。
「幸せが飛んでくる、かぁ……」
その花言葉は、あながち迷信ではないかもしれない。
けれど私は、立派な胡蝶蘭を持ちながらも、幸せになれなかった少女を知っている。
「すみれちゃんって子、昔近所にいたじゃない?」
さっき、浅草の甘味処で私がそう切り出すと、母は露骨に顔を歪めた。
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