3. 蘭丸

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「コチョウランになりたい」  昇降口に立てられた笹に、そんな願いを書いた短冊が吊してあったのは、小四の夏。左下の名前を見ると、その主は案の定、すみれちゃんだった。  組が分かれてから話すこともなくなった彼女が、新しいクラスで浮いていることを、私は友達に聞いて知っていた。  以前から、どことなく清潔感に欠ける子ではあった。けれど、暖かくなった頃から、それは「どことなく」という程度ではなくなっていたのだ。 「佳代ちゃん、久しぶり」  色とりどりの短冊が揺れる笹の前で、私はすみれちゃんに声をかけられた。頭皮に貼り付くような髪に、薄汚れてくしゃくしゃのTシャツ。彼女が目の前に立つと、河川敷で浮浪者とすれ違ったときのような匂いがした。 「久しぶり……」 「佳代ちゃんは、もっとピアノが上手くなりたいんだね」 「あ……うん」  私の短冊は、壁側の見えにくい所に付いている。わざわざ探して読んだのかと思うと、胸がザラリとした。 「すみれちゃんは、胡蝶蘭になりたいの……?」  ここでその話をしないのも不自然な気がして、私は尋ねた。するとすみれちゃんは唇だけで笑って、上目遣いに私を見た。 「パパとママ、あたしよりコチョウランの方が大事なんだもん」 「え……」 「あたし、食堂のテーブルの下で寝てるの。寝相が悪いから、コチョウランにぶつかるかもしれないって言われて」
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