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安寧
時間は分断された粒子の塊。
今まで考えたことがなかったイメージが、心に流れ込んできた。
街の風景が目に入らなくなり、考え込みながらいつもの通勤電車に揺られていた。
「もしかしたら、人間はずっと勘違いして生きているのかもしれない。
現在の行為が未来へ影響を及ぼさないとすると、人生観が変わるわ」
来週のキャンペーン初日から3日間、無理を言って休暇を取った。
仕事の山場はもう過ぎている。
正直つまらなくなり始めた、青春の夢の果てに思わぬ出会いが待っていた。
恐らく今後の人生に大きな転換を迫るのだろう。
それほどルージュの話にはインパクトがあった。
9月3日(土)
リビングにルージュがいた。
「今週もお疲れさまでした。
いよいよあと、一週間です。
準備の方は進んでいますか」
「はい。
旅行カバンに詰めました。
あとは着替えを入れるだけにしてあります」
天井を見上げるルージュ。
重要事項の説明を終えて、緊張が解けたのかもしれない。
「香苗さん。
私が再び現れてから、どんなことをお考えでしたか」
遠くを見つめるようにぼんやりと天井に目をやったまま、質問が投げかけられた。
「始めはパリに行ったら何をするか、過去に遡るとどんな危険があるかなどを他人事のように考えていました。
でも現実味を帯びてくると、仕事で抱える悩みが強くなったのです」
「ほう。
どんな悩みですか」
「企画関連職は、競争率が高くて、なかなかなれない理想の仕事です。
でも正直、仕事に描いた理想と現実のギャップが大きくて、今後さらに大きくなっていくように思われて倦怠感を抱いているのです。
理想が理想を産み出し、際限なく高みを求めて行ってしまいます。
最近は、仕事ばかりが人生じゃないと自分に言い聞かせるようにしています」
小さく頷いて、香苗の方へ向き直った。
「こんな話があります。
エッフェル塔にまつわる詐欺事件が何度か起きています。
建設当時はパリの美観を損ねるとして、反対運動が起きました。
元々20年後に解体することにしていたのです。
その鉄材を払い下げるとして賄賂を受け取った男もいます。
その男は巧みに人間の心の弱さを突き、事件にさせずに逃げ切りました。
もし私が詐欺師で、今までの話が全部ウソだとしたらどうお考えになりますか」
「それでも結構です」
香苗は即答した。
了
この物語はフィクションです
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