愛に溶かされるくらいなら

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 静まり返った広場の中央には、長老たちの祝詞が朗々と響いていた。婚姻の儀式の日にだけ焚かれる香は、清涼感のある独特な香りがして落ち着かない。じゃらじゃらと全身に着けられた金の飾りもあいまって、まるで生贄のようだとラースは自嘲した。  アナテマの一族と呼ばれる彼らは、代々血を操る特殊な力を受け継ぎ、比類なき戦闘能力を誇ってきた。どこの国にも属さぬ彼らは、要請に応じて帝国にも共和国にも力を貸す。傭兵集団とも揶揄される一族の中では、力こそがすべてだった。  今夜の婚姻をもって、ラースは一族の長となる。二十そこそこの若造が、ただ誰より強いという、そんな馬鹿みたいな理由で一族の王となるのだ。 (本当に、馬鹿げている)     ラースは本物の王を知っている。一度戦場で見かけたきりだが、鮮烈に印象に残っている。集団を治める才覚もなければ、言葉で人々の心に火を灯す力もない己が、立場だけでも彼の人と同等に並ぶなどなんとおこがましいことだろう。 「ラース。緊張しているの? 大丈夫よ」  冷たく強張ったラースの手に、横からたおやかな手が重ねられる。幼馴染であり、今夜を境に妻ともなるマルタが、気遣わしげにラースを見つめていた。姉のように慕う彼女に気を遣わせて、何が王か。ぎこちなく笑みを作って、ラースは小さく横に首を振った。苦笑したマルタが姿勢を正す。 「これにて婚姻の儀は成った。新たなる長ラースよ。血の誓いを」 「是」     厳かに告げられた言葉に頭を垂れて、儀式用の短剣を両手で受け取る。そのとき、にわかに広間の外が騒がしくなった。軍靴の音と、馬の足音。空気は一気に緊張感を増し、儀式を囲んでいた戦士たちは一斉に表情を引き締めた。 「何事か! 神聖なる儀式に割って入るとは、なんと無礼な!」 「――何。今宵の主役は一族きっての美人だと聞いたものでな。初夜権を行使しようと伺ったまで」  声を張っているわけでもないのに、その場の全員の意識が一斉に引きつけられる。麻薬のようなその声の持ち主は、言っている内容の暴虐さなど微塵も伺わせない穏やかな笑みを口元に称えて、優雅に馬から足を下ろした。 「――っ」  息を呑む。立っていたのは王の中の王。たった一代で領土を倍にまで広げた帝国の若き征服王・ヴェルメリオであった。燃えるような赤毛を獅子のようになびかせて立つ姿はまさに威風堂々を体現しており、その目で見据えられた途端、不覚にも体が強張った。 「なあ、花婿殿。いや、若きアナテマの長殿か」 「……年はそう変わらぬと記憶している。征服王」 「そうだったか? まあいい。噂通り美しいな。真珠のごとき白い肌。空を写し取ったかのような空色の髪。瞳も同色だと聞いているが、この距離では分からぬな。氷のような冷たい肌という噂も気になるが……アナテマの一族はまこと美しい。寝所でじっくりと眺めるとしようか。名は?」  頭から足先まで無遠慮にこちらを眺める視線に体が強張る。しかし、たとえ分不相応な王と自覚していようとも、長となった以上は、一族を軽んじるような真似を許すわけにはいかない。マルタを庇うようにラースは前に出る。
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