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クロエの両親は、世界有数の穀物メジャー「ヴォワザン」の創業者でかつ筆頭株主だった。なぜ過去形なのかというと、全財産を娘の名義に書き換え、突然行方不明になってしまったからだ。失踪の理由は今でも分からない。警察もお手上げの様子で、捜査は全く進展していなかった。クロエは、黒い重役たちの誰かが両親を殺害したと疑っている。両親は危険を察知して、咄嗟の判断で全財産を娘に残したのだと妄想もした。
ヴォワザンの黒い重役たちは大いに慌てた。クロエの妄想が正しければ、慌てたふりをした。いずれにしろ、わずか17歳の小娘の承諾がなければ、重要な経営方針を何一つ決められなくなってしまったのだ。重役たちは株式を全て買い取らせてほしいと何度もクロエに頼んだ。だが、彼らの黒い心がどぶ川のように泡立って今にも腐臭を放ちそうなのを見ると恐ろしくなり、クロエは首を縦に振らなかった。彼らは執念深く、なかなか諦めてくれない。今日も応接室でクロエの起床を待ち構えているはずだ。それを考えるだけで、クロエの神経はすり減った。
———やっぱり、コアンに会いたい……。
そう心決めてクロエは洗面所で顔を洗い、鏡の前で自分の色を確かめる。
———大丈夫。まだ黒くない。
子どものころ、人の目や体の周りに色が見えるのが不思議だった。パパはブルーで、ママはピンク。私は二人の子供だからか、グリーンだ。その理由を母に尋ねた時の会話は今も記憶に深く刻まれている。
「みんな性格が違うように、心の色も違うのよ。でも、心の色が見える人はそう多くない。だから、誰にも言ってはだめよ」いつもは穏やかな母の表情が心なしかこわばって見えた。
「誰かに言ったら、どうなるの」
「あなたの力を悪いことに利用しようとする人がいたら困るでしょ。あなたには特別な力があるの。黒い色の人に近づいてはだめ」
「……うん、わかった」
幼いころのクロエはエメラルドグリーンのように淡い色だった。大人になるにつれて次第に濃くなり、最近はビリジアン。やがて真っ黒になるのではないかと、鏡の前に立つたびに緊張する。
以前は、美人とは言えない顔とそばかすが気になり、髪を伸ばして顔に垂らしていたが、コアンに「個性的で素敵だと思うけど」と言われて気にならなくなった。今はコアンの澄んだ心の色に気後れする。鏡で自分の色を見るたび、幼いころの色を取り戻したいと溜息が出る。
コアンはほかの生徒と何もかも違った。黒い肌や、ばねのようにしなやかで長い手足、大きな目と唇はもちろんだが、何よりも、淡く黄金色に輝く心の色が、彼を特別な存在にしていた。彼が纏っている色は、夏の夜明けの陽光のように穏やかで暖かだ。吹雪の中で遠くに暖炉の明かりを見つけた遭難者のように、クロエは、コアンに吸い寄せられた。
コアンと出会ったのは一カ月前。両親が神隠しにでもあったかのように突然いなくなり、身辺が騒がしくなった頃だ。ある日の朝、執事がドアの隙間から挿し入れた書類がクロエの目に留まった。
「留学支援……?」
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