ルフェール~魔王の課外授業④~

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———間に合うかな……。  クロエは腕時計を見ながら修道院を目指して必死に走る。中世に建てられたゴチック様式の修道院は街のシンボルで、コアンとの待ち合わせ場所だ。  生徒の大半は車で送り迎えしてもらうが、寮で暮らしているコアンは徒歩通学だ。サッカーの練習をしながら通学するのは楽しいと彼は言った。だから、クロエも、周囲の反対を押し切って徒歩で通学することにした。長身のコアンは、既製品で一番大きなサイズを着てもをつんつるてんで、クロエが並んで歩くと、まるで大人と子供のように見える。 「ごめん、待った?」  クロエが息を切らせながら声をかけると、コアンがリフティングしながら笑顔で振り返った。「いや、ちっとも」。この笑顔にクロエはいつも癒される。  彼が蹴るサッカーボールはまるで何かの生き物が乗り移ったように正確に標的を捉えて弾み、彼の元に正確に戻って来る。将来はきっと世界的なクラブチームでレギュラーを獲得するだろう。  クロエは、ボールの軌道を眺めながら、コアンとおしゃべりして通学する時間が何よりも楽しい。コアンは、流暢とは言えないF国の言葉で一生懸命、アフリカの珍しい動物や、民族、習慣について話してくれた。両親が肩入れしていたアフリカがぐっと身近になり、いつか旅行してみたいと思うようになった。 「ねえ、あの本、どうだったかな。私のお気に入りなんだ」クロエが前髪を直しながら尋ねる。 「気に入った。いろいろと考えさせられたよ。故郷が懐かしくなった」  クロエは、大切に思っていることをコアンと共有できたような気がしてうれしくなった。「どうして大人になると、みんなお金とか名誉とかそんなことばかり言うようになるんだろうね」  コアンがリフティングする足を止めて寂しそうに言った。「名誉はよく分からないけど、お金は必要だからね。食べ物や薬がないばかりに、生まれてすぐに亡くなる子供がたくさんいるんだ、僕の故郷には。貧しいと日々の暮らしに追われて勉強できないから、いつまでも貧乏から抜け出せない。だから僕は勉強する。プロのサッカー選手になって稼ぐ。故郷のみんなも必死に変わろうとしているよ。大事なものは失いたくないけど、純粋な子どものままではいられない……」  コアンは「Le Petit Prince(星の王子さま)」を深く読み込んでした。クロエは、子どもの純粋さにノスタルジーを感じていただけの自分が恥ずかしくなった。コアンは、何不自由なく贅沢に暮らしているクロエに嫌味の一つも言わない。それも、クロエにはたまらなかった。できることなら会社の株や邸宅、持っている何もかもをコアンに差し出してしまいたかった。 「コアンはすごいね。私、なんだか恥ずかしいよ……」 「恥ずかしい? なんで? 僕はクロエこそすごいと思う。君が言葉を交わすのは善良な人たちばかりだ。観察していて気が付いた。君には、人の本質を見分ける特別な力があるんじゃないのかな。そんな君に親しく接してもらえるのはとても名誉なことだよ」 「そ、それは……」クロエは喉まで出かかった言葉を飲み込む。違うの、私は心の色で人を選別しているだけなの……。  コアンは、押し黙って歩くクロエを不思議そうに眺めて、またリフティングを始めた。強めに蹴ったボールが集合住宅のバルコニーの鉄柵に当たり、妙な音を立てて地面に落ちた。どうやら柵の先端で破れたらしい。
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