将を射んとする者はまず馬を射よ

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将を射んとする者はまず馬を射よ

 ロアンとマリアは仲睦まじく、シュナウザー侯爵家が誇る自慢の薔薇の庭園の中へと入っていく。  それを横目で見ながら、ゆっくりと冷めていく紅茶を口に含んだ。  味なんてもうわからない。  身の内で暴れる怒りを腹の中で抑えておくのに必死だったからだ。  ──きっと今の私は、飢えた獣のような目をしていることでしょう。  だって、これから実の姉の婚約者を奪ってみせるのだから。  笑っていられるのも今の内よ。  今だけは思う存分、このつかの間の幸せを噛みしめているといい。その方が奪われた苦しみは何倍も何倍も強くなるのだから。 「────お二人が気になりますか?」  思考がプツリと切れる。  声のした方へ視線を向ければ、正面に座る栗毛の騎士───お姉様の婚約者、ロアンの補佐官だとか──が、間を持たせようと話しかけて来た。  二人きりになりたいと望んだ婚約者同士は、付き添いのあぶれた二人にお茶でも飲みながらここで休むように望んだ。  獲物に集中していて、目の前の男の存在を忘れていたわ。  気を取り直して口端を緩く持ち上げる。 「いえ、仲睦まじい様子がとても素敵だと。つい、羨ましくて……失礼ですが、補佐官様のお名前は……」 「こちらこそ失礼いたしました、私はクレイン・ロットワイラーと申します。魔獣討伐部隊ではグレイデン隊長の補佐をしておりますので、今後も何かとお目にかかる機会も多いと存じます。ぜひお見知りおきを」  クレインと名乗った男は、わかりやすすぎるほどの”色”を含んだ視線を不躾にも投げてくる。  その視線の色には見覚えがある。侯爵令嬢である私を誘い出そうという色だ。  この男は女に断られることなど微塵も想定していないのだろう。栗毛の髪は軍部にしては遊びを残しており、面差しも優美で貴族令嬢が好みそうな軽薄そうな笑みを貼り付けている。  もしこの場に友人の令嬢たちがいたら、瞬く間に頬を染め夢心地のように視線を返すだろう。  そこまで想像して。クレインの薄い言葉を冷めた気持ちで流し、視線を再び庭の奥へと進む二人に向けた。  こういう男は男女の距離感に慣れているから、”あなたと話す気は無い”と態度で示せば十分だった。  そうすれば今まで通り、これ以上は距離を間違えないはずだった。 「────将を射んとする者はまず馬を射よ、と言います。是非、私とも仲良くしてください」  だが、予想に反してクレインはよほど気を引きたかったのか、追ってきた。  カップをゆるく握っていた手に、クレインの汚れ一つない白いグローブが重なった。  気安く触れる無礼な手にちらりと視線を流し、お望み通りクレインに視線をやる。  するとクレインは形の良い目を細め、蜂蜜のようにトロリと笑んだ。 「おや? 今度は震えないのですね」  色気を含んだ笑顔とは裏腹に、形の良い唇からは毒が吐かれる。  あぁ、先ほど姉の婚約者であるロアンの腕の中で震えて見せたことを言っているのだと思い至り、そういえば庭園には最初からこの男もいたのかと遅れて気付く。  獲物しか視界に入っていなかったため、最初からこの男が傍にいたことにすら気付かなかった。 「まぁ。本当に、このように殿方に触れられることなんて慣れていないのです。お戯れは、どうか……」  社交向けの表情を作り、もったいぶった仕草で不躾な白いグローブに触れた。  優男のなりをしているが、手に触れればよくわかる。  この男も魔獣討伐部隊の一員とは名ばかりではないのだと。  そして自分の手とは作りが全く異なる、剣を振るう手の背をゆっくりと撫で上げる。呆けたように力が緩んだところで、掴まれていた手を引き抜く。  手を撫でられると気があるように感じるのか、その先を期待して手の力を緩める男たちが多かったのだ。先なんてありはしないのに。おめでたい頭だ。  クレインはその所作を最後まで見届け、手が離れる瞬間、獲物を捕らえる蛇のようにアンナの細い手首を掴み上げた。  今までにない荒々しい展開に、アンナは目を瞬かせた。 「アンナ嬢、まどろっこしい話は終わりにしましょう。あなたは隊長を……いや、あなたは実の姉の婚約者を略奪するつもりなのか」  自由を奪う手を辿り、クレインを真正面から見据える。 「まぁ。そんなひどいこと、考えたことも……」 「私は隊長の補佐官。いわばお守り係ですよ。誰よりもロアンのことに詳しいのです。もしかしたら婚約者であるマリア嬢よりも……ね」  思わずピクリ、と反応してしまったことを見逃すほどクレインは間抜けでは無かったようだ。その証拠に、獲物の尾を踏んだとばかりに唇が徐々に吊り上がっていく。  ────アンナは見誤っていた。ロアンを一心に見つめるあまり、このクレインという男の本質に。  一瞬の隙が死へ直結する戦場において、軍を率いて時には先陣を切るロアンが唯一背中を任せることの出来る男こそ、このクレインという補佐官なのだ。  クレインは息を潜め魔獣の巣へ近づくかのように、ただ静かに、獰猛な目を光らせじわじわと近づいてくる。 「ロアンのことが、知りたい?」
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