5・本当に、来た

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そんな俺のことなど気にも止めずに藤嘉は小説に目を落とし、パラパラと捲り始める。 建て付けの悪い引き出しをガタガタと開けて、貸し出しカードをしまって閉める。 ちらりと藤嘉を見た。 睫毛を伏せて、小説に目を落としている。 時折瞬きをすると、長い睫毛が前髪に触れ、微かに揺れる。 広い図書室の狭い貸し出しカウンターを挟んで、男二人。 いつも一人きりの図書室に、今日は二人。 二人分の呼吸で満ちていくのに、一人きりの時と変わらない静けさが心地良い。 藤嘉の纏う空気感が、不思議と嫌ではないと思った。 小説を捲る藤嘉の向かいで、俺は鞄から参考書とノートを取り出す。 それらをカウンターに広げて、目を落とす。 不意に藤嘉から声が掛かった。 「勉強?」 顔を上げる。 藤嘉は開いた小説の向こうからこちらを見ていた。 「うん」 「偉いね」 「来年受験生だからな」 「あぁ」 そう呟いて、藤嘉の視線は小説へと戻る。 俺の視線は参考書へ戻る。 視線を捲る紙擦れの音と、ノートを走るシャープペンの音と、二人分の小さな呼吸。 暫くして、また口を開いたのは藤嘉だった。 「俺、邪魔?」 声に引かれて顔を上げたら、小説の後ろから少し心配そうな顔でこちらを見ていた。 「全然邪魔じゃないよ」 そう言ったら、ほっとしたように微笑んだ。 「良かっー…『ピリリリ』」 藤嘉の語尾を、無機質な電子音が遮った。 静かな空間に響いた電子音にちょっとだけ驚いた。 「びっ…くりしたぁ」 「あ、俺か」 藤嘉は持っていた小説を下げ、立ち上がると制服の尻ポケットからスマホを出した。 取り出されたスマホは一際元気に電子音を響かせる。
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