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「ごめんごめん。マナーにするの忘れてた」
そう言いながら、藤嘉はちらりと画面を見る。
その奥二重の真っ黒な瞳が、ピクリと細まったのは一瞬だった。
藤嘉はすぐに画面から視線を反らし、側面のボタンを押して電子音を切る。
立ち上がると、静かになったスマホをまた尻ポケットに入れた。
「じゃあ、今日は帰るわ」
藤嘉はおもむろにガタガタと椅子を元の場所へ戻す。
鞄に手を伸ばして紐を、そのかっちりとした肩へと掛ける。
そんな藤嘉を見ながら俺は言った。
「え?帰んの?」
藤嘉はこちらを見る。
「椋」
「ん?」
問い掛けた返事の変わりに藤嘉は俺の名前を呼ぶと、一歩こちらへ近付く。
貸し出しカウンターに右手を置いて、俺の参考書を覗き込む様にして背中を屈めた。
近付いたことで、果実の様な香りが強くなる。
俺は思わず身を引いて、椅子の背もたれに背中をぴったりとくっ付けた。
藤嘉は左手を伸ばすと、俺のノートを指差す。
「そこ、間違ってる」
「え?」
藤嘉の指先が差していたのは、今さっき問いた数学の問題だった。
「え、嘘!?」
「本当」
「えー…」
自分が解いた数式を始めから見ていく俺の視界から、藤嘉の指先が消えた。
指先を追って、視線を上げる。
屈めていた背中を真っ直ぐに伸ばして立つと、藤嘉は静かに言った。
「f '(-2)=2・(-2)+1=-3」
それが今指摘された問題の答えだとはすぐには分からなかった。
きっと間抜けな顔をしいたのだろう、藤嘉は俺の顔を見て笑う。
頬にえくぼが浮かぶ。
「じゃあまたな、椋」
藤嘉は左手をひらひらと小さく振ってそう言うと、背筋がすっと伸びた背を向ける。
肩からずり落ちた鞄の紐を反対の手でまた肩へと掛け直しながら、図書室から出て行った。
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