12・図書室での過ごし方

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それは、可愛らしい笑顔だった。 柔らかい、優しい笑み。 きっとクラスの奴らなんかは見たことがない表情。 音弥に会えるということが、藤嘉をそんな特別な笑顔にするのか。 音弥にしか出来ない、藤嘉の笑顔ー… 俺は、藤嘉から目を伏せた。 手元にあるノートに書かれた、自分の下手くそな文字が目に映る。 俺は呟くように言った。 「良かったな、藤嘉」 シャープペンを握っていた指先が掌に食い込み、じわりと痛んだ。 視線を伏せたままの俺に、藤嘉から声が掛かる。 「椋は?」 「え?」 「花火大会、誰かと行くの?」 「いや、特に予定はない」 「あ、そうなんだ?」 「まぁ、去年も行かなかったしな」 自分の下手くそな文字を、右手の人差し指でなぞる。 「地元の人だと案外冷めてる感じ?」 「そんなことないよ。彼女いる奴とかはやっぱり『花火大会デート』って盛り上がってる感じ」 「ははっ、青春」 「お前もな、藤嘉」 「ははっ」 藤嘉が軽やかに笑う。 俺は視線を上げられない。 どんな顔で藤嘉と話を続ければ良いのだろう、分からない。 顔を上げない俺に、藤嘉は続ける。 「椋は誰か誘いたい奴とかいないの?」 「……ぇ?」 藤嘉からの思いがけない問い掛けに思わず、顔を上げていた。 目の前の藤嘉は、頬杖をついてこちらを見ていた。 長い前髪の向こうから、奥二重の黒い瞳が俺を捉える。 頬杖のままで首を傾げた藤嘉の長めの髪の毛がさらりと揺れる。 言葉が続いた。 「指切り、したじゃん?椋がデートに誘いたい奴いるなら教えてくれていいんだぞ?」 ん?と言いながら、藤嘉がまた首を傾げる。 藤嘉の髪の毛がもう1度揺れ、果実の様な香りが漂った。 俺は唇を噛む。 俺が誘いたい奴がいるとしたら、それは多分きっと、目の前にいる。 けれどそんなこと、言えない。
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