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その名前に、藤嘉の長めの前髪の向こうで黒い瞳が揺れる。
俺は肩で息をしながら途切れ途切れに続けた。
「お前、何で、1人でいるんだよ?デートじゃ、なかったのか?」
その言葉に、藤嘉は一度長い睫毛を伏せた。
ぼんやりとした街灯からの灯りが、長い睫毛の影を藤嘉の頬に落とす。
藤嘉はすぐに睫毛を持ち上げた。
奥二重の瞳が俺を真っ直ぐに見る。
ふふっ、と微笑んでから、藤嘉は言った。
「何か、来れなくなっちゃったんだって」
それは、きっとそうだろうと予想していた通りの答えなのに。
藤嘉の柔らかな低い声で聞いたそれは、俺の腹の中に重く沈んでいく。
藤嘉は笑みを浮かべたまま、続ける。
その笑みは、俺と図書室でいる時に見せるそれではない。
寄ってくる女子を上手にあしらう時と同じ、よく出来た作り笑顔だ。
「まぁ、来れないなら仕方ないよね。でもせっかくだから花火は見てから帰ろうかなって思って。てか、椋は何でここに「ー…んじゃねぇ」」
藤嘉の語尾を遮っていたのは、きっと無意識だった。
よく聞こえなかったのだろう、藤嘉は首を傾げて聞き返す。
「…え?」
俺は整い始めた息を吸い、言葉にした。
「笑ってんじゃねぇ」
俺の言葉が届き、藤嘉の目がほんの少し丸くなる。
俺は続ける。
「デートだったんだろ?こっちに引っ越してきて、初めて会うんだったんだろ?楽しみにしてたんだろ?それを…仕方ないとか、笑ってんじゃねぇ!」
こんなことを、言いたかったわけじゃない。
きっと話を聞いてやって、慰めてやるのが正解なのだと思う。
思うのに、出来そうにない。
無性に苛々する。
音弥が来なかったことにも。
藤嘉が無理矢理笑うことにも。
藤嘉がそんな微笑みで俺を誤魔化せると思っていることにも。
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