15・笑ってんじゃねぇ

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藤嘉の手首を摑んで引き寄せ、藤嘉の首の後ろへと腕を回す。 その身体を抱き締めた。 甘くてほろ苦い、藤嘉の香りが強まる。 長めの髪の毛のぴょんと跳ねた毛先が俺の頬に当たり、そこを擽る。 抱き寄せた瞬間、藤嘉の身体から強張りが伝わってきた。 突き飛ばされるかと一瞬俺も身構えたけれど、藤嘉はそうはしなかった。 その身体からすぐに力が抜けていくのが、腕の中から伝わってくる。 藤嘉は俺の肩へとおでこを付け、その頭をもたげた。 初めて感じる藤嘉の重みに、拒否されなかったことへの安堵が胸に広がる。 藤嘉の髪の毛がさらりと俺の耳の辺りを撫でた。 抱き寄せてしまった。 抱き締めてしまった。 だって、藤嘉が可哀想で、可愛くて、だから、俺はー… 俺の耳元で、藤嘉の声がする。 「椋」 藤嘉は静かに俺の名前を呼んだ。 今までのどの瞬間よりも近い距離で聞こえたその声に、背中の辺りがぞくりとする。 首に回した手の力が緩んだのは反射的だった。 名前を呼ばれたその次に続くのはどんな言葉なのだろう? 文句?拒否? そんな考えが頭を過り、力が緩んだ指先が微かに引き攣った。 生暖かい風が吹く。 藤嘉の髪の毛が揺れ、甘い香りが立つ。 言葉を続ける為だろう、藤嘉が息を吸ったのが肩から伝わってきた瞬間だった。 夜空に花火が、上がったのは。 鮮やかな光と破裂音が、俺と藤嘉に降り注ぐ。 花火が上がる。 藤嘉が音弥と見るはずだった花火が、藤嘉を抱き締める俺の上に。 それが合図のように、俺は改めて指先に力を込めた。 すらりとした細い身体を抱き締める。 「ふふっ」 藤嘉は微かに笑って続ける。 「痛いよ、椋」 藤嘉の囁きが花火の破裂音の合間に耳に届く。 俺も同じように囁いた。 「……笑ってんじゃねぇって」 その言葉は藤嘉の耳に届いただろうか。 藤嘉はもう何も言わなかった。 俺ももう何も言わなかった。 俺は藤嘉を抱き締めたけれど 藤嘉の腕が俺の背中に回されることは、無かった。
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