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『あ』
その何かを掴むため、一歩前へ踏み出そうとした時だった。
す。
と、目の前に何かが現れた。伸ばした掌は、その何かに阻まれて、それから一瞬後、強く、掴まれた。
『…え』
だから、また、何も掴めなかった。
結んだ手には何も握られてはいない。確認するまでもなくわかる。
『なにすんだよ。もう少しで…』
その何かを見上げて、抗議しようとして、はっとした。目の前に立ちふさがった”その人”の向こう側を光が通り過ぎていく。
車のヘッドライトだ。同時に、喧しいクラクション。すぐに連なるように赤いテールランプが通り抜けて、遠くなっていく。
車が近づいていることになんて気付いてなかった。と、いうよりも、ここが車道の端であることも、いくら田舎で、深夜に近い時間とはいえ、高速の入り口に通じている道で、頻繁ではないにしろ車が通ることだってあるってことも、完全に頭から抜け落ちていた。
『危ないすよ』
どこか聞き覚えのある低い声。僅かにそれがどこでだったのか考える。なんだか、深い霧の中で何かを探しているようで、はっきりしない。
さっきから、わからないことばかりで、焦る。
俺は何をしていたんだろう。
掴みたかった?
何を?
星を?
それとも…。
暗い。
この人は…。
一緒に星を見てたのは…。
誰なんだよ。
『前にも、会いましたよね?』
ゆっくりと、一言一言噛んで含めるように。その人は言った。まるで子供を諭すようだと思う。だからなのだろうか、言葉は今度はしっかりと俺の中まで響いた。
それから、声の主は掴んでいた手を握手でもするように握りなおした。
あったかい。
『あのときも、夜だった。今夜は、星、見てました?』
握った手は大きくて暖かかった。よく響く声は、自分の心臓の音を聞いているような静かな響きで心地いい。
その人はすごく背が高いから、顔を見ようとすると見上げるような格好になる。半分もない月明かりが逆光になって顔ははっきりとは見えない。けれど、もう、その人が誰なのかは俺にはわかっていた。
『あ…うん。わり。ありがと』
間違ってるって意味ではなくて、いかにも慣れていないって言う感じの少しおかしな敬語。背の高いシルエットと、低い声と、節の高い細くて長い指。
あの眼鏡の青年だ。
『寝ぼけてた…かな?』
作り笑いを浮かべてそう言ったのは、変な誤解をされたくなかったからだ。別に車が来るのを見計らって車道に飛び出そうとか、そんなことを思ったわけではないから。
ただ。
ただ?
俺は思う。
ただ。の後に続ける言葉が見当たらない。
どうして。
何に。
手を伸ばしていたのか、自分でもよくわからない。
まるで。
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