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石楠花幻想
くすくすと耳元で笑う気配を感じて目がさめました。いつの間にか居眠りをしていたようです。たくさんのピンク色の花がぼやけて目の前に広がっていました。
(なんだか演説でもしてるみたいだったわよ。)
(会議の夢をみていたんだ。)
(ご苦労様。会社をやめて二十年もたつのに、まだ仕事の夢をみるなんて。よっぽどストレスがたまってたのね。)
そういうわけでもないが、と言おうとして、ない・・わけでもない・・か・・・と思って言葉にはなりませんでした。
「京都は周囲の山々まで含めて全域が歴史的資産の宝庫です。しかし、それは展示室に並べて見せるお宝のようなものではありません。むしろ私たちが努力して新しい視点でその価値を見いださなくてはならないようなものです。京都に歴史博物館を作るとすれば、そんな活動のための拠点となるべきものだ、というのが市の博物館構想の理念だったはずです。」
五年にもわたって共に様々な困難と戦って構想案をまとめあげ、戦友のようにも感じていた座長に、なぜそんなことがわからないのだ、と私は感情的になっていました。
一介の事務局の手伝いの立場に過ぎない私をも含めて、数人のメンバーが全く対等な立場で、新しい博物館の理念を創りだそうと気持をひとつにして議論を戦わせてきた日々は何だったのか。
「しかし、ここに示された国立京都歴史博物館構想なるものは、千二百年の歴史を持つ古都であり日本文化の中心であるという既存の京都観に胡坐をかいた、国へのおねだりに過ぎません。霞ヶ関のお役人が読めば、時代錯誤の京都セントリズムだと鼻で嗤うに違いありません。」
「それは君、先生がこうおっしゃっているのだから!」
突然、予想外のところから飛んできた叱りつけるような声が、私の発言を遮りました。
それは座長の隣に座っている若手の委員でした。座長は腕組みをして目を閉じたままです。
私は驚いたものの、次の瞬間にすべてを覚りました。
市は、立派な博物館構想の答申を受けたものの、財政難に窮してこれを「一時棚上げ」とする一方、ホンネではこんな厄介なお荷物は永久に葬り去ってしまいたいと考えたのでしょう。
そこで、構想をまとめた中心人物である座長を担いで、国立での建設をめざす、という体裁を取り繕い、その要望書案を作ってこれを正当化するために、内輪の委員会を立ち上げたというわけなのです。
これは出来レースなのだから、おまえは黙ってやりすごせばいいのだ・・・
私の発言を遮った若手委員の高飛車な言い方からはそんなメッセージが露骨に伝わってきました。
(ストレスか・・・そうかもしれんな。)
(あのころはあなた、いつも無理をしては倒れてたもの)
(役所の仕事は締め切りがみな年度末に集中してたからな。頭を下げて猶予してもらったら、今度はゴールデン・ウィークがデッドエンドになってね。)
(倒れるのは決まって連休のとき・・)
彼女はフッと笑いました。今度の連休にはどこそこへ行こう、などと言っては、仕事が一段落ついたとたんに私が風邪をこじらせたり、肺炎まで起こしたり、まるで仕事とセットでスケジュール化されていたかのように倒れては、連休の間じゅう寝込んだものです。仕事をやめると、そんなこともふっつりとなくなって、彼女と出かけることも多くなりました。
(ここへ来たのもあなたが仕事をやめた年だったでしょう。)
石楠花の群落で知られるこの寺はまた、伊勢物語に在原業平とともに登場する惟喬親王が隠棲したとも伝えられ、一度訪ねてみたいと思いながら果たせずにいました。そこで、退職した年の四月の末、ちょうど石楠花の咲くころを見計らって長年の希望を果たしたのです。
(あのときも、石楠花が満開だったね。)
(私たち運が良かったのよ。あとで聞いたら石楠花の花の盛りは一週間ほどで、じきに散ってしまうんだって。)
二度にわたって、これほど見事な盛りの花が見られるのは、よほど運に恵まれたのでしょう。
「どうかされましたか。大丈夫ですか。」
男性の声でハッと我に返りました。さっぱりとした作務衣を着た歳のころ五十前後の男性が、私を覗き込むように身を屈めていました。私は志明院の山門を仰ぐ社務所の縁側に腰かけたまま、うつらうつらと夢の続きを見ていたようです。
けれどもどこまでが夢でどこからが現実なのか自分でも定かではない心持でした。あの会議で大演説をぶっていたのは夢の中の夢だったのでしょうか。
さきほどまで、石楠花の咲くあたりに大勢いた参拝客の姿はいつの間にか消えています。どれほどの時間がたったのか・・・
「あ、大丈夫です。一休みしているうちに眠ってしまったようです。」
「そうですか。なにかおっしゃっているようにも見えたものですから。」
上品で優しい顔立ちにかすかに笑みが浮かんでいました。
「胸の内で家内と喋っているのが、自分でも気づかないうちに声に出てしまうらしいのです。」
恥ずかしくなって、言い訳めいたことを申しました。
「奥様は・・・」
「三年前に亡くなりました。」
「それは・・・お寂しいですね。」
「喋る相手もないものですから、そんな習慣になってしまって、最近は昼間も一人でうとうとしていることが多いもので、夢の中で喋っているのか、起きて胸の内で家内と喋っているのかも分からなくなってきました。」
言いながら自分でも可笑しくて笑ってしまいました。目の前の男性も一緒に笑ってくれました。
「上にはおいでになりましたか。」
「はい、本殿にお参りだけさせていただきました。ほかはもうよかろう、と。二十年ほど前に家内と来たときには、ひととおり見どころは回りましたので・・」
「そうですか。上りの石段ばかりですからね。岩屋からこまで来られるのも大変だったでしょう。どちから?」
問われるままに答えると、彼は私をねぎらい、私が「こちらのかたですか」と訊くと、「ええ、ずっとここにいます」と言われたので、ご住職なのだろうかと思いました。
彼は私と並んで縁側に腰かけ、しばらくはただ一緒に、満開の石楠花を眺めていました。
「この石楠花は昔から自生していたものでしょうか。お寺は弘法大師が創建されたそうですが、そのころから石楠花は咲いていたのかな。」
私はふとそんなことを口にしてみました。
「ええ、この辺り一帯には古くから石楠花群落があったようです。」
「ではここに隠棲されたという惟喬親王もこの石楠花が咲くのをご覧になったのでしょうね。」
「よくご存じですね。」
彼は目を輝かせ、少し大げさに思えるほど感心した表情を見せてくれました。
「いえ、北区に引っ越してきてからは、玄武神社がお隣さんになりましたので。」
玄武神社は紫野にある惟喬親王をお祀りしたうちの近所の神社なのです。
「そうですか。お隣さんですか。」
彼は、私の「お隣さん」が気に入ったみたいに、嬉しそうな表情で繰り返しました。
「神社のある紫野雲林院のあたりは、若い頃の惟喬親王の御所があったようですし、あの一帯は惟喬親王には馴染の深い場所でしょう。雲林院の桜や紅葉をいつも楽しんでおられたのではないでしょうか。」
「雲林院の桜・・・」
彼は遠くを見るような眼をして聞いていてくれました。
文徳天皇の第一皇子で秀でた資質をもち、天皇も彼を愛して皇位を継がせようとしながら、時の権力者藤原良房の娘が生んだ第四皇子にその座を奪われ、後に病を得てこの北山に隠棲したという惟喬親王は北山一帯のほか各地に、貴種流離を地で行くような足跡を残し、様々な伝説を生んでいる方です。
しかし、実際に雲ケ畑まで来て見ると、市街地から車なら半時間の距離ですから、思ったよりずっと近い印象です。
紅葉狩りにでも訪れそうなほど都に近いのに、当時はその華やかな世界からはるかに隔たる異界のように思われただろうこの山中に、身近に語り合う友もなく幾年月もの間隠棲された惟喬親王がどのような気持でこの石楠花を見ておられたか、その孤独が偲ばれるような気がいたしました。
「惟喬親王も都人との華やかな社交の場からこの山中にこられたのですから、さぞかしお寂しかったでしょうね。」
「心行くまで語り合える友がそばにいないのは寂しいことですね。きっと美しい石楠花が皇子の心を慰めることもあったでしょう。」
ほかに人影もなく、久しぶりに私のとりとめない話を聞いてくれる人に出会えた嬉しさに、私は先ほどまで見ていた夢のこと、あの会議のこと、私たちが考えた博物館のこと、京都全域をフィールドミュージアムに見立てる構想のことまで、夢中で話していました。
「京都はどこもかしこも歴史のフィールドだというのは、その通りですね。この雲ケ畑のような周囲の山々まで含めた広大な空間そのものが、うまく読み解けば、そのまま千二百年を超える歴史的な時間に変換できるような都市なのです。そこに様々な物語が生まれ、人々はその物語のうちに歴史を見、過去の人々の息吹が甦るのを感じる。学者がつまみ食いする断片的な事実ではなく、民衆にとっての生きられる歴史をとらえようとするのが、あなたがたが構想された京都の新しい博物館だったのでしょうね。」
彼が、こんなにも私(たち)のかつての思いを受け止め、理解してくれたことに、私は思わず涙がこぼれそうになるほど感動して、ただありがとうございます、ありがとうございますと繰り返し呟くばかりでした。
そうして目を上げたときには、お隣に座って私の話を聞いていてくれた人の姿は、どこにもありませんでした。
あたりを見回すと、そろそろ山門が閉まる時刻なのか、幾組かの参拝客が、こちらへ降りてくるところでした。
「石楠花は堪能されましたか?」
さきほどの男性とよく似た作務衣を着たご老人が声をかけてくれました。少し言葉をかわすと、志明院のご住職だそうです。
「では、先ほどの方は息子さんでしたか」
ご住職は一瞬首をかしげ、
「いえ、そういう者はここにはおりませんが・・・」と言われました。
どうみても参拝客には見えなかったので、こういう方とこんなお話をしていたのですが、とついさきほどまでのことを事細かに申し上げました。するとご住職は、破顔一笑、本気とも冗談ともつかない表情でこうおっしゃったのです。
「それはきっと惟喬親王がお姿を変えて、わざわざここまで来られたあなたのお相手をして下さったのでしょう。」
(了)
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