野菜めぐり

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野菜めぐり  上賀茂の住宅地の間を自転車で走っていると、ところどころ住宅が途切れて、背後に広々とした景色が広がる畑がある。むき出しの畑もあれば、ビニールハウスが建っていることもあるが、年中たいていは何か野菜の類を作っている。都市の中の農園。そんな風景に出会うと何だかほっとする。  そんな畑で作られる野菜のごく一部が、上賀茂一帯のところどころに設けられた無人の販売所に置かれている。私たちがほぼ毎週末、野菜をゲットするために自転車で回るのは、その中の六ケ所だ。  実果(みか)と一日交代の共同自炊を始めてから、この販売機の野菜は欠かせなくなった。なにしろ朝採りの野菜を生産者が直接置きに来るのだから、市販の野菜より新鮮で美味しい。おまけにかなり安いのだ。  私たちはキュウリがひん曲がっていようが、トマトが熟れてはち切れそうになっていようが、カボチャに傷があろうが、全然気にもならない。野菜は旬のものだから、いつもほしい野菜が販売機に出ているわけではない。それでも、一度上賀茂の野菜を口にすると、ほかの産地の野菜を食べる時もつい比較して、やっぱり上賀茂野菜でなくちゃ、と思ってしまう自分がいる。  最初の販売機は、植物園脇の地下鉄駅の角から真っ直ぐ北へ、深泥池の入口に近い交差点の少し手前にある小さな販売機。二十ほど覗き窓がついたボックスが整然と並ぶ、野菜のアパートだ。この販売機は野菜の名札もついていない。でも販売機の最上部に、all 100yen と手書きした紙が貼りつけてある。  最初は、上賀茂に住み着いた日本語のおぼつかない外人さんが、自分の畑でとれたものを置いているのかしら、なんて思っていた。でもある時、車がとまって、不精髭のおじさんが人参を何本か抱えて出てくると、ボックスのカギをあけて、乱暴に放り込むのを目撃した。外人さんじゃなかった!  「見て!見て!イチゴがあるよ!」  果物が大好きな実果が高い声を挙げた。彼女は私が支度する番の日には、食後に「果物ないのぉ?」と不満気に言う。彼女の実家は食後にはデザートに果物が必ずつくような、都会風のライフスタイルのおうちなのだ。「はいはい、お嬢様。申し訳ありません。きょうのデザートはそこの駄菓子で我慢してくださいまし。」  私の実家では果物は三時のおやつ、それもたまたまあれば、だ。食事のあとのデザートなんて洒落たものはなかった。けれど、イチゴはうちの畑で作っていたから旬のときにはよく食べた。  「これはまた可愛らしいイチゴねぇ!」  あんまり小さいので笑ってしまった。それも五つ六つ入っているだけだ。 「百円って高くない?一個二十円もするよ!  「でも食べてみようよ。ここのおじさんとこの、何でもおいしいよ。」  実果はもう百円玉をスロットに押し込んでいる。手早くボックスの扉を開いて取り出すと、早速ひとつつまんで口に入れる。  「うわっ、甘ぁ~い!メッチャ美味しいよ。」  私もひとつ口に入れる。これは・・・市販の大きな粒ではあっても気の抜けたような水っぽい味のイチゴとはなんと違うことだろう!五つ、六つばかりのいちごは、あっという間になくなる。  「この菜っ葉は何?」  実果はボックスの窓を斜め上から覗き込む。珍しく野菜の名と説明を書いたカードが張り付けてあるらしい。  「ら・ふ・ら・ん」  「ああ、ラフランか。」  「里菜(りな)、知ってるの?」  「うん、最近品種改良で作られた大根と同じアブラナ科の雑種野菜だよ。栄養価が高いらしいよ。大学と提携した農家が実験的に作ってるんじゃないかな。」  「じゃ、この間ここで遇ったおじさん、結構先端農業やってるんだ!」  「そうかもね。このイチゴだって、ただのイチゴじゃないかもしれないよ。どうみても市場に出して売れそうな見栄えじゃないもん。」  私たちはラフランをゲットして、次の販売所へ。すぐ先の交差点を西へ少し走ると、公園のちょっと先に、先ほどよりは大型の野菜のアパートが自動車道路の方を向いて立っている。ここでは以前に若いお兄さんが野菜を入れているのを見たことがある。  ホウレンソウ、サニーレタス、小カブなど、朝採りの新鮮な野菜がいっぱい。同じ野菜が幾つものボックスに入っている。今日のような休日には車で買っていく人が多いのか、ボックスは過半が空っぽだ。ゴボウのとなりに名札のない根菜らしいものがはいっている。百円玉を入れて取り出してみると、ビートだった。ラッキー!お店でもめったに見ないから。頭の中に真っ赤なボルシチが浮かぶ。  さらにまっすぐ西へ自転車を数分走らせる。右手のマンションの前の駐車場の隅に、先ほどと同じような自動販売機がある。きょうはその前にバンが停まっている。良く日焼けしたおじさんがちょうど野菜を補充して、賀茂茄子をひとつかかえて車へ戻る所だった。  「野菜買いに来たんね?」  「はい!」と実果が自転車を下りると息をはずませて答えた。  「それじゃ、これをあげよう。」おじさんは手にした大きな賀茂茄子を差し出す。  「えっ?いいんですか?」  「ちょっと傷がいっとるけど、そこだけ落としゃなんも変わらんで」  実果経由で受け取った賀茂茄子はずっしり重かった。  「うわぁラッキー!ありがとうございます!」  私たちは車へ戻って行くおじさんに何度も頭を下げた。  「きょうは賀茂茄子の味噌田楽だね。シェフ里菜の腕の見せ所だ!」  実果が嬉しそうに言う。私は自分で料理することは嫌いじゃない。実果はメニューを考えるのが面倒だと言うけれど、私はこの野菜で何を作ろうかと考えるのが楽しい。料理は創造的な活動だと思う。  「味噌田楽はいつ食べても美味しいよね。でも賀茂茄子は煮物、揚げ物、焼物、炒め物、何でもできるよ。はさみ揚げでもニシンナスでも、チーズ焼きでも。」 「よし、里菜に任せた!」  私たちの野菜行脚はまだ続く。来るたびに、きょうはどんなものが入っているだろう?とワクワクする。販売所によっても違う。もちろん季節によって大きく異なる。私たちはあれがほしい、これがほしいと指定はできない。どんな野菜が置かれるかは生産者次第だ。それがかえって楽しい。  四番目の販売所は、おじさんのところから、西南方向にワンブロック、路地の角の少しくぼんだような場所にある庇のついた販売所だ。  「きょうもトマトがある!良かったぁ。」  トマト好きの私は、ここの若い奥さんのところのトマトが一番気に入っている。市販のトマトよりずっと濃い甘味と、同時に強い酸味のある、トマトらしい味のトマト。  「おむすび型でとんがった頂点から星のように細いスジが出ているやつだったね?」  実果がボックスの中を覗きながら、私が教えた美味しいトマトの見分け方を復唱する。毎朝、トーストに水平な切れ目を入れて、そこに沖縄のベーコンと、このトマト、レタスやスライス玉葱を挟んだ自家製サンドイッチを食べる。これが私たちの一日の活力源だ。  どうしてここのトマトはこんなに美味しいのか。きっと土が良いのだろう、育て方に秘訣があるのだろう。色々考えてみるけれど本当のところはわからない。  ここのトマトだけじゃない。私たちがツアーショッピングを楽しむ上賀茂の野菜は、どれも味が濃くて美味しい。流通を介さずにゲットできる朝採り野菜が新鮮なのは間違いないが、そもそも野菜自身のもつ味が他の産地のものとは違うような気がする。  賀茂茄子、スグキ、九条ネギ、鷹峯トウガラシと京野菜がブランド化されて全国に知られるようになったけれど、上賀茂でとれる野菜は、なんでもないものでも味が違う。  茄子、キュウリ、ゴーヤ、大根、カブラ、ニンジン、ゴボウ、キャベツ、白菜、ロマネスコ、トマト、セロリ、オクラ、トウガン、水菜、畑菜、菊菜、小松菜、京菜、菜の花、三つ葉、ホウレンソウ、ケール、ネギ、レタス、サニーレタス、モロヘイヤ、カボチャ、バターナッツカボチャ、タマネギ、紫蘇、枝豆、トウモロコシ、ジャガイモ、里芋、サツマイモ、ビート、ブロッコリ、アスパラガス、カリフラワー、スナップエンドウ、万願寺唐辛子、伏見トウガラシ、ピーマン、ラディッシュ・・・まだまだある。  これらの販売機で旬の季節ごとに売られる野菜はどれも他の産地のものとは一味違うような気がする。  「それは水と土のせいじゃないかな。昔から、賀茂川が氾濫を繰り返して、有機物がタップリ含まれ肥えた土をこのあたり一帯に運んできて。それが何百年だか千年だかの単位で蓄積してきたんだ。」    「この辺の畑もみんな賀茂川から水をひいているでしょう?」 「スグキを生み出した社家町でも、賀茂川からわかれた明神川の水を石組みの水路で邸内に引き入れて生活用水に使っていたそうだよ。」 「賀茂川の恩恵は絶大だね。」  「上賀茂野菜の美味しさの秘密をたどれば、賀茂川の源流だっていう雲ケ畑の方まで遡りつくんじゃないかな。」  「時間的にも確実に平安京以前にさかのぼるだろうなぁ。」  五番目の販売所は東西に走る自動車道上賀茂本通に面したスーパーの角を曲がってすぐ、「野菜特売」の幟を立てた二列六段の野菜のアパート一つの小さな無人販売所だ。  「これ何?野菜らしくないけど」  実果が不思議そうに、最上段のボックスを覗き込む。私は或る予感を覚えてワクワクしながら百円玉を入れ、ふさふさした葉のついた小枝の先みたいなものを手に取ると鼻の先へもっていった。  「ディルだ!ハーブだよ!」  「へぇ?そんなものまで作っているんだね。何に使うの?」  「どんなお料理にも使えるよ。カボチャスープにも、パスタにも、肉料理にも、ポテトサラダにも、お刺身にだって。ちょっと載せるだけで凄く存在感があるんだ。肉や魚の臭みが消えて素適なアクセントになるよ。」  「この袋に入ったのもハーブのようね。」  実果が指すボックスにセロファン紙の袋に入ったハーブらしいものが見える。ハーブ好きの私はコインを三つ入れるのももどかしく袋を取り出す。袋にはbouquet garniとイタリック字体で書かれたおシャレなシールが貼ってある。ローレル、タイム、オレガノ、フェンネル、パクチー、ルッコラ。万歳!  「ハーブの香りが苦手じゃなきゃ、これから私が当番のときはたっぷりハーブを効かせた美味しいメニューを考えてあげるよ!」    私たちが訪ねる最後の野菜のアパートは、保育園の前の誰かの家のガレージの中に立つ二列九段の大型販売機二台。よく保育園の送り迎えのお母さんが自転車を停めて覗いている。私たちはいつもここは最後にまわるので、旬の野菜はほかでゲットしていることが多い。それでも、時にはほかの販売機で出払ってしまった旬の野菜が残っていて嬉しくなることがある。  最後の販売所をチェックしてそのまま西へ自転車を走らせると、じきに上賀茂神社をすぐ右手に見る御薗橋の東詰めに出る。この神社の境内では時々フリーマーケットや展覧会のようなイベントが開催されるので、そんなときは覗いてみることもある。きょうは少し鳥居を出入りする人が多く見える程度で、いつもと変わらないようだ。私たちはそのまま御薗橋のたもとから川辺の遊歩道へ降りて川の流れに沿って走る。  遊歩道にはいま、シロツメクサが絨毯のようにびっしりと咲いている。川の縁にはアカツメクサの群落もある。川の中洲にはまだところどころに菜の花が咲き残っている。一時は中洲全面を鮮やかな黄の色で覆うほどで、素晴らしい光景だった。  この菜の花は誰が植えたわけでもなく、畑の水が流れこむ中に混じって上流から多くの種が流れ着いたのだろう。畑で菜の花が咲き始めるころには、野菜のアパートにも毎日のように菜の花の束が入っていたものだ。ところどころにいまにも開こうという黄色い花がちらほら見えるその菜は柔らかく、なんでもないお浸しにして食べて美味しく、春の香りを楽しむことができる。  私たちは北山橋で土手にあがり、二人でシェアしている学生用マンションの部屋へ戻る。きょうは私が炊事当番。その日その時に恵まれる野菜をどう使って夕餉のテーブルに載せるか、それが腕のふるいどころだ。さあ、きょうはどんなメニューにしようか。 (了) © 2022. Sei Matsuno, All right reserved.
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