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前編 安田くんのひとりごと
「よし、終わった」
心の中だけで、俺はつぶやいた。
そう、あくまでも心の中だけ。なにしろ、今はテストの真っ最中なのだから。
高校三年になって、何度目かの実力テストだ。まだまだ大学受験は先の話だが、それでも実力テストとなれば、誰でも気合いが入るものだ。
俺が通っている高校は有名な進学校であり、毎年百人以上が難関大学に合格すると言われている。ただし現役合格はその半分なので、頻繁に行われる実力テストで五十番以内に入っていれば大丈夫、という話だった。
自慢じゃないが、この俺は、その実力テストで成績優秀者の常連。というより、ほぼ毎回トップに名前があるくらいなのだ!
ただし、別に俺は、いわゆるガリ勉でもギークでもない。勉強ばかりに没頭することなく「よく学びよく遊べ」を実践していた。
例えば、休み時間には、積極的に校庭に出て、みんなとサッカーに興じている。うっかり誰かが学校の外までボールを蹴り飛ばしてしまったら、俺が率先して取りに行くほどだった。
学校の外へ出るということは道路に飛び出すということであり、慌てたままでは危ないから、俺が代わりにその役を引き受ける、ということだ。まあ俺でさえも、ちょっと急いでいたために、車とぶつかりそうになった時もあるが……。こうしてピンピンしているのが、俺ならば大丈夫という証だった。
少し話が逸れたが。
この「よく学びよく遊べ」的な気持ちの切り替えは、テストの最中ですら行っている。これこそが、俺のテストの必勝法になっていた。
例えば、今現在は、俺の得意科目である数学の時間だ。一通り問題を解き終わって、見直しも一回終えた段階で、こうして他のことを考えている。
時間がある限り見直しを繰り返す、という人もいるだろうが、それでは気づけない間違いもあるのだ。最後の見直しの前に頭を一度リセットすることこそ重要、と経験から学んでいた。
そんな俺であるが。
実は最近、テストの点数が少し悪くなっていた。先ほど『毎回トップ』ではなく『ほぼ毎回トップ』と言わざるを得なかったのは、そのためだ。
どうも最近、テストの度に嫌がらせをされているようなのだ。俺のところだけテスト用紙が配られていなかったり、逆に机の上に邪魔なものが置かれていたり……。もしかすると、成績優秀者への嫉妬だろうか?
でも今日は、そうした嫌がらせも一切ないので、すこぶる調子が良い。うん、久しぶりに、清々しい気分でテストに臨めている。心が洗われるとか浄化されるといった表現は、こういう時に使うべきなのだろう。
そういえば。
他にも最近、成績優秀者であるがゆえの出来事があった。
有名な進学校のトップ常連というのは、他校にまで名前が知れ渡るものらしい。
数日前から、学校の帰り道で、毎日のように遭遇する女子高生。ちょっと洒落たブレザーの制服なので、どこかの女子校の生徒だろうか。茶髪で活発そうな見た目の女の子が、一人で電柱の影に立っていて、俺に妙な視線を送ってくるのだった。
そう、妙な視線だ。恋する乙女のような、熱っぽい視線とは少し違う。髪の毛を染めるような子は俺の好みではないが、俺だって健全な男子高校生だ。たとえ最初はタイプではないと思っていても、熱心に言い寄られたら、コロッと気持ちが変わるかもしれないのに……。
あの女子高生は、そういうつもりで俺を見つめていたわけではないらしい。ならば一体なんだったのか、ちょっと気持ち悪いくらいだった。
ああ、そうだ。いくら頭を切り替えるためとはいえ、そんな『ちょっと気持ち悪い』出来事を思い浮かべるのは止そう。
それよりも。
教壇に目を向けてみる。
試験監督として座っているのは、俺たちのクラス担任でもある数学教師、岡野ルリ先生だった。
この高校には珍しい女性教師であり、男子生徒には人気がある。ボーイッシュな髪型やスレンダーな体つきに、むしろ女性的な魅力を感じる、という声が多かった。
でも俺に言わせれば、それらはあくまでも外見的な魅力に過ぎないわけで、大切なのは内面的な部分のはず。そちらは、授業中の雑談などから想像できたのだが……。
その点では、むしろ苦手なタイプだった。彼女は数学教師であり、根っからの理系であるにもかかわらず、オカルトとかUFOといった非科学的なものを信じているようなのだ。そのうち変な宗教に傾倒するのではないか、という危うさすら感じるくらいであり、そんな女性を魅力的とは、とても思えないのだった。
あっ、しまった。
ルリ先生を見つめ過ぎたらしい。彼女がこちらを向いている。タイプであろうとなかろうと、若い女性教師と目が合うのは、なんだか気恥ずかしいものだ。
でも、視線がぶつかり合ったのは、ほんの一瞬。ルリ先生は、ぐるりと教室中を見回して、
「残り五分です」
と、なるべく感情を込めない、機械的な声で告げた。
そろそろテストも終了のようだ。
ならば、気分転換はここまで。最後の見直しに取りかかろう。
頭をまっさらな状態に戻した今でないと、見つけられないようなケアレスミスもある。それを最後の五分間で修正するのが、いつもの俺のやり方だった。
目を皿のようにして、全ての解答を読み直して……。
最後まで確認できた瞬間。
「試験終了です。筆記用具を置いてください」
ルリ先生の声が、教室中に響き渡った。
うん、大丈夫。最近の不調が嘘のように、今日の答案はパーフェクトだ。これならば、成績トップに返り咲くことだろう。
やはり……。いつもテストは俺が勝つ、という話だ!
手応え十分の俺は、心が真っ白に浄化されて、天にも昇るような気持ちになって……。
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