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夕日が差し込む教室の、好きだった男の机に、わたしはこっそり手紙を入れる。
彼に他に好きな人が出来たのだから、仕方ない。彼にとって魅力的で居られなかったわたしが悪い。こんなわたしと付き合ってくれて、貴重な高校生活の煌めく時間を無駄にさせてしまったかもしれない。わたしとは対照的な、明るく友達の多い彼に似合いの人が、やっと見つかったのだ。
そうやって無理矢理自分を納得させながら、新しい彼女に悪いからと連絡先は消去した。
もう二度と話すことも出来ないのだろう。こうして最後に送る手紙は、今までの感謝と、彼の幸福を願うもの。
大人しく身を引いたわたしの、せめてもの想い。今時手紙なんて古くさくて、別れた女からなんて重いとは思ったけれど、どうにか形として残したかった。
深呼吸して、彼の机の中へと涙の跡の残る封筒を差し込んだ。しかしその瞬間、運悪く教室に来た人物に、怪訝な顔でその行為を見咎められる。
「……あれ。ここで何を?」
「! え、あ、えっと……これは」
それはそうだ、誰も居ない時間を見計らって、他学年の教室に侵入した泣き腫らした目をした思い詰めた顔の女。どう考えても怪しい。
しどろもどろになりながら事情を説明し、入れたのが不幸の手紙や嫌がらせの類いではないことを必死に弁明している内に、何だか自分が情けなくなって来た。
彼の幸福を願うことすら、きっとおこがましい。わかっているのに、こうしないと気が済まなかった。わたしは最後の最後まで、なんて女々しいのだろう。
「……こんなわたしの気持ち、迷惑なんだろうな……」
最後に独り言のように呟けば、今までわたしの話を黙って聞くだけだった目の前の彼は、少し悩んだようにしてから言葉を紡ぐ。
「あー……傷付いた分、痛みを知っている分、誰かに優しく出来るか……それともその痛みを、傷付けた相手に返したり、関係の無い誰かに与えて自分を癒そうとするのかは、その人次第だと僕は思う」
「……えっと、わたしの悲しみや痛みはわたしだけのものなので、誰かに押し付けたいとは思いません……。でも、どうしたらいいのか分からなくて……せめて彼だけは、幸せで居て欲しいと……」
そんなことを言いながら、手紙自体、自己満足の押し付けだ。そして傷ついたことを、一瞬でも許せないと思ってしまったことを、認めたくない言い訳だ。彼の幸せを願うことで、痛みの分叶う気がした。胸の内に広がる苦しみにも意味があったのだと、自らを正当化したかった。
「なら、そういう時には思い切り泣くといいよ。まあ、もうたくさん泣いたんだろうけど……涙が枯れるまで泣けば、奥底のもやもやも流れていくからね、少しは楽になる」
わたしの顔を覗き込みながら、彼はまるで自分が傷ついたような顔をして、僅かに眉を下げる。
「その傷も、いつかきみの糧となる……でもそれまでは泣いて、思い切り傷ついて良いんだ。迷惑だとか、相手のことを考えるより、まずは自分を労ってあげよう」
「自分を、労る?」
「うん……傷付いても尚、誰かに優しく出来るきみは、自分を傷付けた相手にすら幸福を願えるきみは、とても優しい良い子だよ。……良く頑張ったね」
そう言って微笑みながら肯定してくれる彼の方こそとびきり優しくて、躊躇いがちに、宥めるように撫でてくれる掌に抗えない。
じわりと、瞳の奥と喉の奥から涙の気配がする。一度溢れた涙は止まらなくて、まだ涙は枯れていなかったのだと思い知る。愛しかった思い出が走馬灯のように浮かんでは胸を締め付け、涙と共に流れ出した。
目の前で泣かれて困るはずなのに、彼の手は変わらず優しくて。自己肯定感が著しく下がっている現状に、こんなのは狡い。
涙と傷と、想いと温もり。傷付いたばかりなのに。もう恋なんてしたくないと思ったはずなのに。
失った恋の痛みも苦しみも全部投げ出して、手紙と共に彼に押し付けた気になって、楽になりたかったのに。
こんなの、どうしたってこの優しい温もりに、身を委ねてしまいたくなる。
「大丈夫。きみならきっと、もっといい人が見付かるさ。僕が保証する……、なんて、バツイチの僕が言っても、あまり説得力がないかな」
「いいえ……ありがとうございます……先生」
自信なさげに笑う彼、先生の薬指には、愛の証のように外されないまま未だに光る銀の指輪。
恋なんて苦しみを生む気持ちは捨てて、楽になりたかった。自分を捨てた男の幸せを願えるような、健気な女になりたかった。せめて先生の言うように、涙の枯れるまで前の恋を悼んでいたかった。それなのに、そのどれも叶いそうにない。
「ねえ、先生……また、泣きたい時には会ってくれますか……?」
「え……ああ、僕でいいのなら」
「ありがとうございます……先生がいいんです」
「ふふ、そうか。信頼してもらえたようで何よりだよ」
また傷付くと分かっていても、叶わぬ恋だと理解していても。今はただ、芽生えたばかりのこの気持ちを、彼の言うように優しい心で育ててみたい。
傷心の痛みを埋める新しい恋を自覚しながら、二人きりの放課後の教室の片隅で、差し込む夕焼けに鈍く光る指輪を眺め、ぼんやりと思った。
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