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雛、山寺にやって来る
ぷしゅー。
電車が溜め息のような音を吐いて、止まった。
開いた扉から、1人の少女が足を踏み出す。
履き潰したスニーカー、クマの柄の靴下。
フリルの付いたワンピースの裾が、ふわりとなびく。
肩に大きな旅行鞄が食い込んでいる。
揺れる花の影を映す瞳は、ぼんやりと虚ろだ。
「雛菊?」
呼ばれて、少女はゆっくり顔を上げた。
男の人が手を振りながら、近づいてくるところだった。
にこにこと優しそうに垂れた目尻、すらりと高い背、硬そうな黒髪。
目の前まで来たその人は、困ったように頭を掻いて、斜め上を見上げた。
「あー、と。俺のこと、忘れちゃった……よな?」
ぽかんと見上げていた雛菊は、小さく首を振った。
旭くん。
名前を呼ぼうとして、口を開ける。
乾いた空気が漏れた。
喉の奥に力を籠める。しかしそれ以上の音は出ず、ただただ、吐息だけが滑り落ちていった。
もうずっと声は出ない。
いつからかは分からないが、出し方が分からなくなってしまったのだ。
また、鬱陶しいと言われてしまうかな。
口を閉ざしながら、雛菊は強く目を瞑った。
しかし男ーー旭はぱっと顔を明るくした。
「そっかあ!」
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