10人が本棚に入れています
本棚に追加
「症状やライフステージあわせていくつか治療はありますので、緒方先生、そのあたりちゃんと説明してあげてください。あと、」
ほんの少し言いよどんでから、全然特別なことなんかじゃないというようにさっぱりとした声で続ける。
「もし気になる点などあればお母さんのときの治療と比較したデータを示すこともできます。できますよね、緒方先生?」
「は、はい」
先生は小さな子どもみたいにぴしっと背筋をのばしてうなずく。だけど妙に嬉しそうに中林さんを見てにこにこしている。
「うふふ。あ、すみません。先週も怒られたなって思い出しちゃって」
中林さんをみつめる緒方先生の気持ちが手に取るようにわかる。こんな風に心と表情が直結しているなんてうらやましい。正しいことだと思う。その真っ当さ。気持ちが消えてしまうなんて疑いもしていないのだろう。私はかすかな苛立ちみたいなものを覚えた。この人は勝手気ままにやりたい研究があって、こんなだらしない顔をしてしまうほど好きな人が(片思いだったとしても)いて。ずるい。そう思ってしまう。ねぇ、緒方先生。くだらないことでもたまに思い出して笑えるということは、とてもすごいことなんだよ。
「あの」
お兄ちゃんの落ち着いた声がした。
「母に起きたことは気にしていただかなくて構いません。もう10年前ですから」
もう10年前。私はお兄ちゃんの右手の薬指の爪の、あの真珠色をふと眺めたくなった。だけどお兄ちゃんの両手は膝の上で強く握られていて爪は見えなかった。
10年前。私は7歳であんまりわかっていなかったし、今でもきっとわかっていないのだろう。だけど、お兄ちゃんは13歳できっと大人が思うよりずっと世界を理解している年頃だった。お父さんだって大変だったのだとは思う。色んな苦しい気持ちが生まれて。つらくて。そうして、疲れ切って心を壊し切ってしまう前に、次の扉をあけた。
「あぁ、昔のことを振り返ってもいいことなんてないですからねぇ。じゃあ、治療についてですが標準治療とされているゲノム改変治療を・・・・・・」
「いえ、治療はしません」
緒方先生はほとんど姿勢を変えずに目線だけを兄に向ける。それから言われたことを吟味するように首をかしげる。兄に向けて見せていた資料のページをぱらぱらといくつかめくる。兄はかすかにうなずいたような仕草をした。
「・・・・・・なるほど。うん。人はそのうち死にますからねぇ。どうしたってこわれて死んでいく。海外行って大金払ってゲノム改変して人生をやり直す人もいる。あぁ、真珠病だけがカタログ治療の適応になってるのは、あれですよ、厚生労働省大臣の娘さんが真珠病になって特例承認すりぬけただけですよ。こんな治療が広がりつづけたら、ほら、誰も死ななくなる。あと十数年したら出生率もさらに下がって、一定年齢を超えたら問答無用でゲノム改変で人間リサイクルなんてこともあり得ますからね。いまのうちにゲノムなんていじらないで死ぬタイミングをご自身で選ぶの僕は大賛成、大大大賛成です」
緒方先生が満面の笑顔でうなずき、軽い感じにカルテに『治療希望せ』と打ち込んでいくのをみて、私の中の何かが爆ぜた。
「ちょっと待ってっ!!」
すぐに治療すれば治るのに治療しない? 死ぬのを選べばいい? 十数年後の未来のことなんて知らないしっ。言いたいことが溢れすぎて私は何にも言えなくて、ただ口がぱくぱくして、どうしていいのか分からなくて目が泳ぐ。机の上に開かれた資料。遺伝子(いでんし)と書かれた長方形のものがぷつんとふたつに切られた絵がのっていた。遺伝子の中には赤とか青とか黄色で丸とかぐるぐるの線とか描かれていて、その一部が切り取られている。ぐるぐるの線を見ていたらなんだか目がちかちかしてくる。目を休めたくて診察室をゆっくりと見渡す。白い壁、白いカーテン、白いシーツのベット。それは本当に、何にも変わらない光景だった。10年前と。10年前とはいえ、私もちゃんと覚えている。お兄ちゃんがいて、私の手を握っていて、お父さんが白衣を着た先生と何かを話していて。そういう全部がまだちゃんと残っている。あのときを思い出すと指先がすんと冷えていく。怖い。だけど。何もしなければ物理的な意味でお兄ちゃんはいなくなる。だけど。治療後の病室で、母を見た瞬間。私がはじめて何かをなくした。それから色んなものを持ち去られた。今度はお兄ちゃんを? こんなかさぶたを剥がすだけ剥がしてどんな理由でその傷ができたかなんて考えることのできなさそうな先生に?
ふわり、と暖かい手が私の肩に置かれた。中林さんの顔がいつの間にかすぐ横にあった。息が吹きかかるくらいに近い距離。どこか懐かしい匂いがした。お母さんの匂いに似ていると思った。自分の呼吸の早さに気づき、ゆっくりと息をつく。
最初のコメントを投稿しよう!