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カタン、とカップがソーサーの上に置かれた音がする。音の発生源であるそっと隣に目をやると、彗先輩は露骨に嫌そうな顔で座っていた。俺は小さく唾を飲んだ。
「……なんで俺達が連行されて鬼頭薫がいねぇんだよ」
「あはは……ごめん、さすがに鬼頭レベルになると呼び出しにも応じないんだよ」
今度適当に捕まえて吐かせとくから勘弁して、と苦笑いで言った丁嵐先輩に、彗先輩が深い溜め息を吐いた。
あの後色々先生や先輩達とお話して、簡単なカウンセリングを受けたら落ち着いたので、俺は神崎先輩について行って風紀室に行くことにした。先輩達は2人とも無理はするなと言って止めてくれたけど、俺は本当に大丈夫になったので柊先生の許可をもらって2人を説得することに成功した。涙っていうのはデトックス効果が本当にあると思う。なんだかスッキリした気分。
風紀室に入ると丁嵐先輩が笑顔で迎えてくれて、ソファに案内され、紅茶まで淹れてくれた。ソファがふっかふかで沈み込みそうだったので正直はしゃぎそうだったけど、俺は学習する人間なので二度目はない。また田舎者とか思われても嫌だし。
関係者の事情聴取ということだけど、俺を襲ってきた不良達は全員一旦保健室に搬送されたらしく、彼らの監視のためか他の風紀委員は出払っていた。風紀室には丁嵐先輩と、神崎先輩と、俺と、彗先輩の4人がいる。
のだが、肝心の薫さんが当然のようにここにいないことに彗先輩は大層お怒りらしい。
というのも、話をするとどうしても登場してしまう薫さんの存在に俺がどうしようか悩んでいたところ、彗先輩が容赦なく薫さんの存在をチクったので結果的に風紀委員に全てをそのまま伝えることになってしまったのである。ごめん薫さん…普通にバレちゃったよ。でも容疑者ではないってちゃんと言ったから安心してください。
パシパシと瞬きを繰り返しながら、神崎先輩が無表情で紙にペンを走らせる。調書らしい。
「………あの鬼頭薫が人助けか…俄には信じ難いが、あの現場を見る限りそうなのだろうな」
「俄には信じ難い表情じゃないけどね、その顔。表情筋ぴくりともしてないからね」
「…………丁嵐」
「うわああああごめんて!!無言で拳固めんで!?」
叫ぶ丁嵐先輩はもはや完全におもしれー男になっている。少し地方っぽい言い回しだけど、もしかすると他県出身なのかも。今度聞いてみようかなぁ。
なんて全く関係ないことを考える俺を他所に、神崎先輩は静かに拳を下ろして丁嵐先輩をスルーするとペンを置いて俺の方をまっすぐ向いた。神崎先輩はさすが原作で風紀委員長なだけあってこうやって目が合うだけで勝手に背筋が伸びてしまう。
「成瀬、君に一つ聞きたいことがある。調書を書く上で…いや、君がこの学園で暮らす上で重要なことだから、正直に回答してくれ」
「え……わ、わかりました」
ごくっ、と思わず喉がなった。国家の機密事項を扱うかのような厳かで張り詰めた感覚に固唾を飲んで神崎先輩の質問を待つ。
な、なんだろう、そんなに大事なことって。
ドキドキしながら先輩の菫色の瞳を見つめていると、やがて先輩がゆっくりと口を開いた。
「君は、鬼頭薫と恋人関係にあるのか?」
「……うん???」
「ぶっ!!!」
「………ぁ゛?」
神崎先輩の隣と俺の隣からそれぞれ正反対の反応が聞こえる中、俺はピシリと固まった。誰だよ国家の機密事項みたいなとか言ってたの。1ミリも掠ってないし、というか最近こういう誤解系多いんだが^^
俺彗先輩ともそういうの噂されてるんですけどほんとにそうなら俺めっちゃ悪いやつじゃねぇか!!いろんな人誑かしてる感が半端ないのでそういう誤解はもういらないです、何もしてないし何も始まっても終わってもないけど謎の浮気感出ちゃうんでやめろください。
「違いますよ!!!!俺は薫さんとも彗先輩ともそーいうんじゃないですし、そもそもノンケなので俺!!薫さんとは昔からの知り合いなだけで、彗先輩とも先輩後輩のそれですから!」
思いっきり否定して3人分の潔白を主張すると、爆笑から復帰した丁嵐先輩がぽん、と彗先輩の肩に労わるように手を置いた。
「元気出せよな、氷室。ちょっと否定されたくらいで…」
「……くそウゼェ」
うわ、先輩のあんな嫌そうな顔初めて見た。鬼頭さんに向けたのは嫌悪と憎悪混じってる顔だったけど、丁嵐先輩にはウザいっていう気持ちが全面に顔に表れている。うーん、丁嵐先輩さっきからすごい死に急いでるなぁ。
っていう俺達を相変わらずガンスルーして神崎先輩が無表情でそうか、と頷く。
「学園内の人間関係は把握しておかなければ俺達が巡回や通報に対処しにくい。今のは確認のようなものだ」
「あっ、そ、そっすか……」
めちゃくちゃ真面目な理由だった……そうなんだ、風紀ってそんなことまで把握しなきゃなんないのか。
「鬼頭薫からも話を聞く必要があるが、奴は現れないだろう」
まぁいずれにしても殴ったのは鬼頭だからこちらがどう加害者を処理しようと構わないだろう、と神崎先輩が続けたので、俺は目を瞬く。
「え、あいつらからはまだ話聞いてないのに、被害者って断定していいんすか…?」
まとめて保健室で治療してるレッドホットチキン達からまだ話を聞いていないのに、俺の話だけで向こうを加害者って言ってもいいのかなと思って恐る恐る尋ねる。
だって俺も殴っちゃったしなぁ……。
すると、神崎先輩は涼しい顔で俺の疑問に答えた。
「この学園には監視カメラが各地に設置されている。寮の部屋やトイレなど、プライバシーが関わる場所にはないが、それ以外の場所には必ず最低一台は設置してある。それがたとえ旧館であっても、だ」
「あっ、じゃあ、もしかして俺が呼び出されてるところも……?」
「写っていた。彼らが君を呼び出し、暴力を振るい、強姦未遂したところまではな。ただ、旧館のカメラは破壊されている箇所も多く目に見えるところには設置されていない場合が多い。記録されたカメラも多少斜めになってはいたため写りがそこまで鮮明とは呼べない」
それでも、どちらが被害者か判断するか決めるには不足ない。
そう言い切って、神崎先輩はさらに俺の気にしていたことにも触れた。
「君がやったことは暴力ではなく、抵抗、すなわち正当防衛に当たると俺達風紀は判断した。これは公正な判断だから気にするな」
「…っ、はい」
正当防衛、か……。
よかったような、モヤモヤするようなそんな曖昧な気分になる。俺が罪を問われなくて良かったっていう安堵と、でも俺のも暴力なようなっていう猜疑心。立場が違うだけで、こんなに処遇が変わるのか。
微妙な顔を浮かべてつま先を見つめていると、神崎先輩が静かに言った。
「加害者5名の処遇については、彼らの調書も取りつつ後日知らせることになるだろう」
「………全員退学だろ、あんな奴ら」
冷然と言い切る彗先輩に気まずい空気を感じていると、丁嵐先輩が不意にパンパンと手を叩く。
「ほら!今日はもう寮の部屋に帰って良いよ今日はもう色々あって疲れたと思うし、寮に帰ってしっかり休むのが先だ、ほら帰った帰った!!協力ありがとうな、氷室、ちゃんと送ってやれよ!!」
そう言ってにっこりしながら俺と彗先輩を出入り口にグイグイ押した。バタン、と半ば強制的に扉が閉まる。彗先輩が隣で盛大な舌打ちをした。
丁嵐先輩って、なんかやっぱすごいなぁ、うん(語彙力喪失)。
***
「じゃあ、先輩。送ってくれてありがとうございました!!おやすみなさい」
丁嵐先輩の冗談に律儀に対応する先輩てぇてぇなどと要は考えながら寮の扉前で氷室彗に手を振って笑った。風紀室で取り調べを受けた後、友人達に無事とお礼を伝えるためにわざわざクラスメイトの部屋まで行った要に付き合っている内にすっかり夜になり、店で軽く夕食を買って食べた後送る頃には外は真っ暗になっていた。要は氷室にしきりに先に帰るよう言っていたが、まだ実は心配だった氷室は一歩も譲らずに要を寮部屋前までしっかり送り届けてみせた。
「……窓と鍵の施錠はしっかりしてセキュリティに気をつけろよ」
ぶっきらぼうに念を押す氷室に、要は素直に頷いて元気な返事を返すともう一度お礼を言って扉を閉めた。それを見届けて、氷室はようやくエレベーターで自分の部屋に向かう。
___たすけてくれて、ありがとう、ございましたっ
無理に浮かべたような、泣き笑いの笑顔とお礼が脳裏に蘇る。その一言と顔が頭にこびり付いて離れなくて、氷室は無意識に拳を握る。
いつも太陽のような存在に傷をつけ、あんな表情をさせてしまったことが何にも耐え難い苦痛に思えた。
要はすごく強い人間だ。保健室でも、彼は氷室達に負い目を感じさせないようにあんな風に笑って振る舞ってみせたのだろう。自分が一番大変なあの状況下で、他人を気遣う。氷室はそれがどれだけ難しくて大変で、貴いものか知っていた。
なのに、その貴い存在を守れなかった。
鬼頭薫の言った事は、悔しいが正しかったのだ。氷室は要を守ることができなかった。きっと、逆の立場なら要はすぐに氷室を助けに来ただろう。氷室とは違って、守ることに抵抗がないから。
守りたかったのだ、と今日初めて知って愕然とした氷室とは、根本的に違う。
鬼頭薫が要と昔からの知り合いだと聞いて、自分が焦っているのを感じた。
とられてしまう、ような気がした。
何か、たった一つの宝物を。
鬼頭薫はきっと要を手に入れるためならなんでもするだろう。あれで終わる男じゃない。あれは自分のものにするためならどんな悪行も悪い噂も広げてみせる男だ。
守らなければならない。
要を、鬼頭薫から。
今度は、今度こそ、俺が。
ゆらり、と青い瞳が蒼炎のように揺れる。エレベーターから降りて、廊下を踏み締めるように歩く。
その瞳には確かに、強い信念と決意が燃えていた。
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