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こちらを覗き込むようにして立っているその人物の背中で、一つにまとめたミントグリーンの長髪がさらりと揺れる。太陽の光で耳元の金色をしたピアスが煌めいた。瞳と同じ色だ。
「…………ランフォード・モンセル」
短い舌打ちと共に、苛立ったように彗先輩が吐き捨てる。その外国名を聞いた途端、ぶわりと俺の記憶がページでも捲るように蘇った。
ランフォード・モンセル……そうだ、思い出した!
この人は、『破滅』で薫さんの忠臣だった人だ!!!
蜂蜜を煮詰めたような美しい黄金の瞳に、白い肌、そして高めの鼻。特徴的なのはなんといってもミントグリーンの淡い髪色で、西洋寄りの顔立ちと相まって神秘的な雰囲気がある。異国の王子を彷彿とさせるような繊細な美形だけど、なんとなく軽薄そうというか、危ない雰囲気を持っていた。
俺の記憶が正しければ、ランフォード・モンセルは薫さんの実家である五百旗頭組に所属していて、薫さんのお世話係だった。
薫さんに心底心酔しているので、原作では完全に薫さんの言いなりで颯斗と真澄の仲を妨害するようなシーンもあったはずだ。その内に真澄と関わるようになって益々薫さん側に引き入れようとするんだよなぁ。
で、それを知った颯斗がめちゃくちゃ怒って、この人もブラックリストに入ったんだったか。最期は、薫さんを殺しにきた颯斗から薫さんを庇って死んじゃうんだった気がする。いや死にすぎだろ、『破滅』。
改めて、目の前の人を見る。うーん本人で間違いないですねこれは。こんなハーフ美形何人もいてたまるか。
じっとみすぎたのか相手は俺の視線に気がつくと、笑みを深くした。甘い。砂糖を口から出しそうなほどの甘いマスクとスマイルである。夏木とは違う、百戦錬磨の色男感。そういえば、この人原作でも結構遊んでる描写あったような…薫さんとは正反対な感じなんだよな。
「鬼頭薫の『狂犬』……チッ、てめぇがここまで来たのもヤツの指示か?目的は要だな?」
彗先輩が上を睨みながら低く唸る。その問いにランフォード・モンセルは軽快に笑った。
「うーん半分せーかい、半分ハズレだね!
確かにボクは鬼クンの命令でしか動かないけど、鬼クンからはそこの成瀬クン?だっけ?を見つけて場所を教えろとしか言われてないんだよねぇ。
つまり、ボクが成瀬クンに接触しろとか連れて来いとかは命令に含まれてないんだよ」
だからね。
「今ボクがキミたちに接触してること自体が、ボク個人の私情ってことになるんだ」
にぃ、と狐のように怪しげに目が細められる。ピリ、と空気が一気に危なげなものに変化した。
これはもう、そうそうこの人薫さんのこと鬼クンって呼ぶんだよな、なんて呑気に思っている場合ではない。
なんかよくわからんけど薫さんが俺を探してるらしいし、この人は俺の場所をリークしようとしてるし、彗先輩は俺を守るために必死で時間を稼いでくれているみたいだしで、とにかく大ピンチである。唯一の出口である穴を塞がれるという完全に俺と彗先輩に不利なこの状況で殴り合いにでもなったらかなりきつい。現役のヤクザ相手だと、流石にその辺の不良と同じようにはいかないだろう。
先輩もそう思っているのか、横顔に焦燥感が滲んでいた。握られた拳を見るに、すでに戦闘体制のようだ。
「………っ、何が目的だ、ランフォード・モンセル」
「うーんそりゃあまぁ、成瀬クンとお話することかな?」
「……なんで、ここが分かった?この場所は誰にも知られてないはずだ。カメラから尾けるのも不可能だった」
「本当はね、鬼クンからは氷クンのことを監視するように言われてたんだよ。この場所が分かったのも、キミを探ってたから。氷クンは防犯カメラを避けてこの場所にやってきたみたいだけど、残念なことにキミにはボクのマークがついてたんだよね」
キミは成瀬クンがマークされる対象だと思ってたけど実際は君自身がターゲットだったってわけ、とランフォード・モンセルが言うと、彗先輩が大きく舌打ちをした。ぎゅう、と俺の手を繋ぐ。
「……犬のくせに主人に逆らっていいのか?鬼頭薫の言うことは絶対なんじゃねぇのかよ」
「あっはは!!!確かに鬼クンにバレたら、ボク死ぬかもしれないなぁ。でも鬼クンに殺されるなら全然歓迎!!
だから氷クンには早くその子を渡して欲しいんだよね」
「誰が渡すかっ、要!!!俺の後ろから離れるな!」
彗先輩が叫ぶのと、ランフォード・モンセルが飛び降りるのが同時だった。俺はハッとして、言われた通り先輩の背後に隠れる。やってることがチキンな奴のそれだが、俺がこの人とやりあっても多分瞬殺なので仕方ない。
とす、と薄緑の髪を揺らしながら着地する。あの高さからなんの足場も経由せずに着地とか、やっぱり薫さんと主従関係なだけある。まさかこんなところに共通点感じるとは思いたくなかった。
「あーあ、ボクあんまり殴る蹴るは好きじゃないんだけど……でも仕方ないか、だって氷クンが物分かりが悪いんだもん、ねっ!」
言うや否や、弾丸のように床を蹴って一気に彗先輩と間合いを詰める。先輩がハッと息を呑んで俺は思わず叫びそうになった。拳が彗先輩の眼前に迫って、その当たるギリギリで先輩が間一髪避ける。するとすかさず左フックが飛んで来て、先輩がぐっ、と唸りながらそれを手のひらで受け止めた。バシン、と痛そうな音が倉庫に響く。すぐさま次の拳と蹴りがやってきて、先輩は避けて受け止めてで精一杯だった。
どっ、どうしよう、全然状況がよくわからんまま彗先輩と薫さんの臣下の戦闘が始まってしまった!!! なんかよく分からないけど全ての原因が俺にあるのに、なんで俺が原因になってるのかが分からない!!でもこのままだと戦ってる先輩が一番危ない。
ランフォード・モンセルは原作で薫さんにクソ犬呼ばわりされてるけど、実際は薫さんが最も信頼する男だと言われている。イギリス人の血が流れている影響か筋肉量が一般人より多いという裏設定があるので当然暴力は薫さんには劣るが一級品には違いない。だけど口も達者で、情報網が多いのでコネもたくさん持っている。まぁ、その有能さは薫さんにしか発揮されないので、ファンの間ではもはや歪んだ愛だと言われるほどだ。
あとこれは余談だが彼は公式が認めるハチ公……ということになっているので、薫さんとランフォード・モンセルの同人誌はそれはそれは二次創作界隈に溢れていた。どっちが右とか左とかはやぶ蛇なので割愛するけども。
まぁとにかく、昔から薫さんを守るために鍛えられた本場のヤクザと彗先輩&俺のような一般人では、文字通りレベルが違う。
防戦一方で攻撃を受け流していた先輩もすでに厳しいようで、荒々しい呼吸をしながら必死に防いでいたがスピードの衰えない拳に右パンチをくらってしまった。思わず叫ぶ。
「彗先輩っ!!!!!」
お、推しがとか言っている場合ではない。しかし、唇の端を切った彗先輩が駆け寄ろうとした俺を手で制した。先輩は肩で息をしながら、乱雑に親指で血を拭う。
「ッ、来んな……はっ、クソッ、化け物みてぇな体力しやがって……」
その言葉に、黄金の瞳がどろりと溶ける。そこには紛れもない愉悦と獣の獰猛さが滲んでいて狂気すら感じた。大口を開けて笑う。
「バケモノ!!あはははっ、それは久しぶりに言われたかもなぁ!ココでは他の人からは色んな名前で呼ばれるからなんだか楽しいね?鬼クンからは駄犬としか呼ばれないから。
あ、でも、それはそれでトクベツな響きがあっていいよね。ボクの全てが鬼クンの所有物だって言われてるみたいで」
ドゴッ、とまた鈍い音が響き、俺は下唇を噛んだ。ここから逃げるのが先輩にとって一番助かるんだろうけど、この戦闘の中、後ろを取って脱出するなんてできるだろうか。
………いや、でも、やらないと。
少なくとも、『お話』をするにしてもこんな狭いところじゃだめだ。ここを抜けて、外に出る必要がある。
素早く視線を走らせると、金色の瞳は彗先輩にまっすぐ向いていた。
────よし、今だ。
確認して、俺は自分が出せる最大の速さで一歩を踏み出した。なるべく早く、あの階段のような足場にいかなくてはならない。足場前に着くと同時に、俺はボールの入ったカゴに手を伸ばした。鉄の部分を手のひらで握る。ヒヤリとした金属の感触がした。
その時だった。
「あーあ、だめじゃないか、大人しくしてなきゃ」
鉄を握る手の上に一回りほど大きな手が重なる。背後から影が差して、心臓がどくりと嫌な音を立てた。吐息混じりの平たい声が責める。
振り返ると少し上にある金色が光を消していて、俺の頭にはゲームオーバーの文字がよぎった。
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