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《続いて玄奘三蔵殿》
観世音菩薩が静かに尋ねる。
《あなたは先程『上手く言葉にできない』と言っていたと思いますが、もしできるのであればあなたの得た悟りの何たるかを教えてもらうことはできますか?》
その問いに玄奘はじっと伽藍の床を見つめ、暫ししてから「羅什三蔵殿が翻訳された般若教には『空』という言葉がございます」と口を開いた。
「この『空』こそが般若心経の要であると分かってはいたものの、その真意が何処にあるのか。それの真なる答えを持つものはおりませんでした。故に、私はその答えを得るためにここまで参った所存です」
不確定さは憶測を呼び、迷走を引き起こす。必要なのは『真意』だった。
「私はこの数ヶ月、ずっとその『空』とは何かを考えて参りました。そしてふと思い立ったのです。『この私の旅の有り様こそ、空そのものである』と」
それは自分に押し寄せた運命との闘い。無力なままに翻弄され続けた中で得た悟り。
「それは例えば一陣の薄絹が空に漂うが如くにてございます。風に煽られれば遠方に舞い、凪いでは地に伏せ、雨に降られれば水を吸い、砂に被ればじっと埋もれる。そして時が満ちれば腐って土に還るでありましょう。何も感じず、何も想わず、その全てをあるがままに受け入れる。他者から己を定義されることもなく、己を以て己を定義することもなく」
抗うことによって苦痛を感じるのだとすれば、逆説的に全てをあるがままに受け入れたのであれば。そのことによって苦行の旅も苦でなくなって。
「然れば如何なる物も形はあれど本質はなく『空っぽ』の存在でありますれば、この世の全てに『こうであらねばならぬ』と決まったものは無いのでは。さすれば苦という思想もなければ楽という思想もまたない。……それが私の得た空の世界にございます」
《そうですか。されば……》
観世音菩薩が何かを言いかけようとしたとき、悟空が「待たれよ」とこれを遮った。
「儂は師匠の得た『悟り』を否定しようとは思わぬ。悟りとは個人が至るものであり、他者から押し付けられるものには無いからの。だが」
何処ともなく、じろりと悟空が伽藍を見上げる。
「しかしそれは果たして生きていると言えるのだろうか。人として、魂を持つものとして『如何にあらん』と考え願い藻掻き苦しむことが『生きる』ということそのものではないのか。釈迦や観世音菩薩のように解脱し、輪廻転生の理から外れ、その心すでに涅槃寂静に至るものに、儂はなれない。それは儂が生きているからだ」
《孫悟空よ》
観世音菩薩の声が広い伽藍に響いている。
《そなたはお釈迦様に投獄された復讐をするためとして、ここに来たのではなかったですか? お釈迦様はこの旅におけるあなたの功労を称え、今一度勝負をしてもよいと仰せです。如何にしますか?》
「いや」
悟空は伽藍の床にどっかりと腰を据え「それはもう止めた」と、ゆっくり首を横に振った。
「大いなる夢とは、現実から遠いほどにその価値を増すものよ。されど眼前にそれが現れたとき、その価値は急激に失われるのだ。人は手に入るものは欲しがらないものよ。……それと」
悟空が床に視線を降ろしたままで得心するかのように微笑んだ。
「……儂はこの旅で佛界や天界を否定するからこその儂なのだと分かった。儂が儂であるために、お前たちはまたお前たちであるべきで、そこに挑む理由がないと分かった」
「悟空……」
玄奘が悟空の顔を覗き込む。悟空の声と顔に覇気がない。何だか急激に歳をとったかのような。
《わが道を歩くということですか?》
観世音菩薩の問いかけに、悟空が下を向いたままくく……と嗤った。
「皆そうだった。天界も、妖も、お前たちも、皆美しくあろうとする。自らの信じる美しきものを追い求めようとしている。だが、他者の眼に映る己の醜さから逃げられはせぬ。美しさを求める限り、だ」
そしてゆったりと顔を上げ、にたりとひとつ笑ってみせる。
「今日という日は『斉なりし日』よ。皮肉なことにな」
「斉なりとは?」
玄奘が聞き返す。
「『斉』とは『等しき』の意味。お前は何と『斉』と申すのか」
「決まっておる」
悟空の声が掠れて聞き取りにくい。
「儂の嫌いな佛どもと『斉』なりし……」
「悟空?」
がくりと首の落ちた悟空の元に玄奘が駆け寄るがすでに息は絶え、その魂は涅槃寂静に至っていた。
完
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