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七品目:菜の花のツナ和え/姫乃井泰正
勤務を終え帰路につく。
最寄駅の駅舎を出ると通い慣れた商店街が出迎えてくれる。
何軒か店の前を通過して、とある店の前でピタリと足を止めた。
「お、やっさんじゃねぇか! いま帰りか?」
気配に気づいた店主が作業の手を止め振り返った。
店の看板に書かれた【八百心】の文字は、子供の頃から見慣れたもので、いま声をかけてくれたご主人は五代目だが、かつての同級生にあたる。笑った顔は何十年と経っても変わらない面影を残していて、あぁ、懐かしいなと当時のことに思いを馳せるのだ。
ちなみに彼の名前は丹波心一郎君と言い、このお店は代々〝心〟の文字が入った長男が継いでいるのだそうだ。
「こんにちは。今日は勤務明けなんだ。葉物を買って帰ろうと思って」
目の前に所狭しと並べられた、新鮮な野菜たちを見る。
大根は大ぶりだし白菜もふっくらとしていてみずみずしい。
こうやって見ていると、まだ寒さも堪えるし鍋が良いかとすぐ考えてしまうが、野菜があまり得意でない孫が得も言われぬ顔をしている姿を想像して、やはり鍋はやめよう──そんな風に思う。
「そうかい。じゃあいまとっときを出してきてやるよ、待ってな」
そう言うなり、心一郎君がうしろを向いてガサゴソと何かを探る音がする。
「ほらよ。やっぱこの時期はこれだろ!」
「……菜の花、かい?」
「ああ。育っちまうと苦味が強くて食感も悪いが、旬の時期は葉も茎も柔らかくって苦味も少ない。βカロテンや葉酸なんかも多いし、体にはもってこいの葉物だぜ!」
しっかりと束ねられた菜の花を渡される。
全体が青々としていて、しっかりと閉じた蕾がポコポコと顔を覗かせているのが可愛らしい。
そういえば、妻の葵が生きていた頃は……旬の時期によく食卓にのぼっていた。懐かしさがこみ上げる。
孫の尚斗は『苦くて好きになれない』となかなか口にしてくれなかったけれど、そんな彼も、もう高校生だ。少しは箸をつけてくれるだろうか。
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