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「ただいまー! 敦司、いるんでしょー⁉」
「………‼」
聞き慣れ過ぎた声が響き渡る。
がば、と体を起こす。首がもげそうないきおいで振り返る。
ドアのところには誰もいない。でも声は聞こえる。帰って来たから降りてらっしゃい、って。
ばばあ、声でけえよ。
心の中で思いきり毒づく。
「…うちのお母さんも、来たっぽい」
晃士はゆっくりと上半身を起こす。髪をかき上げて、つぶやく。
よく聞けば母親のよく通る声、低くてぼそぼそした父親の声と、もうひとつ、高くて早口な声がする。
俺はシーツに巻きつかれたまま、晃士の顔が見れない。
「帰らなきゃ」
晃士は俺の脇をすり抜けて部屋を出て行く。
「何やってたの?」
晃士は階段の踊り場の手前から下をのぞき込む。俺もその上からひょこっと顔を見せる。
「あんたのことだからどうせ悪いことしてたんでしょ」
「…しっ、してねえよ!」
俺の両親と晃士の母親が、扉を開けたまま三和土に立っていた。それぞれが提げた荷物もかさばり、狭苦しい。
「洗濯物を取り込んでました」
晃士が助け船を出す。にっこりと笑顔まで添えて、明るい声で。
「あらあ、晃ちゃんありがとうねー」
その呼び方やめろっての。
「ほら、ぼおっとしてないで新年の挨拶しなさい」
「今ちょうどそこで桜井さんとお会いしてな。ちゃんと食べていたのか? 敦司」
「おっきくなったねえ、晃士よりおっきいんじゃない?」
たたみかけてくる両親。晃士の母親は、まるで数年ぶりではないみたいに話しかけてくる。
久しぶりに会った親たちは異物だった。勝手に家に侵入してきた大人たち、に見える。
圧倒されてうまく話せない。
「敦司くん、来年はうちのお雑煮食べに来てね」
「はあ…」
来年の話なんて。
ぼそりとつぶやくと、晃士がちらりと振り向いた。何か言いたそうで、言うのを呑み込んだ。
晃士のラグランスリーブのシャツをつかむ。ぎゅっと握って、引き寄せる。
階段の1段下に立っている後ろ姿を、抱きすくめる。両腕を回して、がっと。
「ちょっ…敦司」
本当に驚いてあわてた調子の、浅い呼吸。
「だって欲しいんだもん」
駄々をこねる子どもだ、俺は。
晃士の鎖骨のくぼみに唇をつけたまま話す。
「料理が超絶下手なとことか、ほっぺたふくらませてる顔とか、冷たいみみたぶとか、全部」
晃士は何も言わなかった。
でも。
初めはがちがちに力が入っていて、でも、徐々にではなく急に、ある瞬間から体を委ねてくるのがすげえ好きだ、と思う。
今みたいに。
あっ、そうだ、これ。
やだ、食費はもういただいたでしょ。
でも悪いから、ついでだし。
どうかお気遣いなく。
大人たちは雪が降っていたとか温泉がどうだったとか、話している。
子どもの頃、近所を歩いていると、よく親が知り合いに会って立ち話を始めた。俺はその横で相手の子どもとこそこそ話したり、地面に絵を描いていた。
あれは晃士だったのかもしれない。
晃士は俺の手に自分の手を重ねる。なだめるみたいに。
「傷、治った?」
薬指の付け根の傷を指でたどる。
たちまち晃士の体がこわばる。
「…うん」
長く尾をひく溜息みたいな返事。俺がそうさせているのだと思うと、どろどろに甘くて、苦しい。嫌いになりそうになるくらい。
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