第2章 黒土の熾火

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 最初に向かった干拓地の見廻りでは、大きな問題は見られなかった。  ただ余りにも広い平地で、馬を走らせても移動しているという感覚が追い付かない。 「稲なり綿なり、育っている時なら目に映る景色も変わろうが、ここまで同じ土ばかりの光景が続くと目が回る」  借りた馬に乗って同行している山崎も修之輔と同じ感想を持ったようだ。 「綿の収穫はもうすこし年明けまで持ち越すと聞いていたが」  修之輔が部下の時谷と坂口に向けた修之輔の言葉に、随行している付近の庄屋が反応した。 「先年はもう秋口から良い綿が取れましたから、質の落ちる綿で嵩増しする必要もなく倒しました」 「綿の茎は土に鋤き込まないのか」 「はい、綿は土の塩を吸い上げておりますので、畑の土にその塩を戻すわけにはまいりません。なんでも塩を含んだ綿の枝で火を熾すと面白い焼き上がりになるとかで、焼き物の窯を持つ者達が買い取ってくれます」  それはこれまで羽代城が把握していなかった動きだった。聞けば最近のことだという。後ほどこの庄屋にはどの程度の売り上げになっているのかを聞いておかねばならない。  もっとも、羽代城が出す資金だけで干拓地の開墾や土地の維持が充分に行えるとは思えず、足りない資金をどうにか捻出しようとする農民たちの工夫は推奨すべき行いだった。 「この辺りでは、争議が起きることはないのか」  修之輔のその問いに、庄屋は律儀に一礼してから答える。 「争議などはございません。この辺りに住むものは羽代の別の場所から寄り集まった者でございます。わしが取りまとめて年貢の世話などをしておりますが、争議を起こすほどのこだわりをこの土地に持っている者はおりません」  三十二歳だというその庄屋に詳しく話を聞くと、新たに開かれた土地なのでそこに住む農民に土地への執着はまだ浅く、争いよりもまずは集落としてまとまるための手段を模索している状態らしい。 「かくいうわしも羽代の東ッかたの方から移ってきた他所者です。わしだけではとてもとても他の者達を従えることなぞ難しく、代わりに矢根八幡様に来てもらってお助けいただいております」  あちらに、と庄屋が手で示す先に、小さいながらも新しい社があった。城下の矢根八幡権現から勧請された八幡神社の社で、毎月初めに矢根八幡から神官がやってきてここの神社で祭祀を行っているという。集落の者達は必ず寄り集まり、そこで最近入植した者の顔合わせや、羽代城から出されるお触れを知らされているということだった。  新しい社については既に矢根八幡権現の神主から報告を受けていた。なので修之輔が報告すべきこととして記録に留めたのは、八幡神社を中心にして新たな人々の繋がりができつつあるということだった。  商業作物として綿花をつくる者達と隣り合わせで米を作る者達はそこで顔を合わせ八幡神社を仲立ちにした関係を作り始めていた。  一日集落の様子を見て廻って夜は庄屋の家に泊まり、翌日、修之輔たちは一日かけて羽代の東寄りにある山間の地域に移動した。そこには(こしき)を用いて製鉄を行う民が集まって村を成している。 「たたらを止めるわけに参りませんので。このままで失礼いたします」  たたらの長が最初にそのように断った。鉄を溶かす温度の加減は人の勝手が利かないところにあるという。五間ほどの距離を開けつつ半円状に配置された三つの甑からは赤い鉄が溶けだしている。 「今年正月にたたら神様に奉納した一番鋼のあと、初めての鉄です」  三つの甑から流れた鉄は地面に掘られた溝を通って一つにまとめられ、まだ柔らかいうちに型に流し込まれていく。 「お城からご依頼のありました中筒を今、作っておるところでございます。この調子ですと胴部だけなら十は作れましょうが、仕上げまでもっていけるのはそのうちの半分といったところです」 「おお、これがそうか」  山崎が興味津々で覗き込み、途端に吹き出た熱風で尻もちをついた。気にせず土を払って、また覗き込む。  この中筒は山崎が希望していたものである。  戦国の昔から伝わる本邦の中筒に異国の技術を取り入れたもので、雨に濡れても点火でき、また固定式にも移動式にも使える。今、競って他藩が買い集めている異国の大砲は、日本に多い山や谷の地形のせいで、本来の射程距離が充分に出ない。そのような地形の攻略には昔から使われてきた中筒や大筒が威力を発揮する。    ——全てを新しいものに変えるより、前からあったものに新たな技術を加えた方が効率が良い。  けして豊かではない羽代の財政を鑑みて、弘紀は新たな道具の導入よりも技術の導入に力を入れていた。昔ながらの甑を使った製鉄もその一つである。  このところ異国から運び込まれた反射炉が製鉄の新たな手段として注目されている。羽代でもその検討が行われたが、  ——反射炉を動かすためにはある程度の消耗品が必要とされ、その消耗品は反射炉を動かすだけでは作出できずに常に異国から買い続ける必要がある。それは本末転倒だ。  弘紀はそう判断して羽代への反射炉の導入を見送り、代わりに農具や銃器に新たな機能を持たせる鉄の細工に注力することを決めた。古式ゆかしい甑から生み出される鉄は、最新式の洋式銃が備えている旋条のある砲身を形づくり、固い土を砕く農具を作り出していた。  銃器の生産を行うこの地域には、郡代が置かれ鉄鉱石の出入りや鉄製品の運び出しに目を光らせている。監視の目はあっても特別の技術を持つ集落ということで、年貢や税に優遇があった。共同作業が必須で四六時中たたらの運用に神経をとがらせる個々の集落の者達の結束は強い。  この地においても羽代の統治に反するような兆しは見当たらなかった。  ただ修之輔には聞いておきたいことがあった。 「最近、山に入って楠を切り出す者達がいると聞く。そのような者達と争いが生じることは無いか」 「確かに薪を山に取りに行くとこれまでより頻繁に他所の者に会うことがあります。けれど我らは楠をたたらにくべることはありません。なので利害は一致せず、特にどうということもございません」  長ははっきりとそう云ったあと、少々の逡巡する様子を見せた。 「何かあれば正直に申し出て構わない」  修之輔がそう言って話を促すと、長は頭を下げたまま口を開いた。 「彼の者達は山の神に参ることなく山の木を切っております。たたら神は、元は山から下りてきた山の神でございます。障りが無ければよいとは思っております」  利害は無くても心情的に許せないところがある。  たたらの長のその心情は、今後の争いの種になるには十分な物だった。
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