5・儀式と水薬

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5・儀式と水薬

 頭から冷水をかけられた。どうやら気を失っていたらしい。  すぐに起き上がることができなかった。薄らと開いた目に景色はぼやけている。  夜が明けていた。  ルイは地面に伏した姿勢で目を覚ました。  いつも寝起きする仮設住居の屋根ではなく、遠く地平から昇る太陽の姿が見えた。屋外で眠っていたらしい。  身体が重い、頭には鈍い痛みがある。  その痛みで昨夜の出来事を思い出した。  ヴィントに頭を打たれ、ルイを捕らえようと伸びてくる監督者たちの無数の手。  しかし、ここは何処だ?  すぐに気を失ってしまったため、自分がどこに連れてこられたかすぐには解らなかった。  朝日が次第に周囲を照らし出していく。  高い場所にいた。ルイを中心に周囲は数百メートル四方の大地に切り取られていた。四角の端は傾斜をつけて大地に伸びている。  よく見知った場所だった。  ここは王墓の頂点だ……いや、王墓ではない、これは祭壇だ。何故こんな場所に連れてこられたのか?  切り落としの端に立ち、眼下に広がる光景に驚いた。  朝焼けの中、祭壇の周囲には奴隷たちが並んでいた。  皆が規則正しく列をつくり、祭壇の周囲に掘られた堀へと進んでいく。  儀式が始まろうとしている!  祭壇の傾斜を走り降りる。  走りながら、見慣れない一団が祭壇への道を歩いてくるのが見えた。  男たちが一列になって歩いてくる。列の中央には、男たちが数人がかりで輿に乗った人物を運んでいた。  あの輿に乗った人物が王。  列が近づくと、奴隷たちは左右に分かれて道を空け平伏した。  傾斜を降りきったルイは勢いのまま、王の列の前に立ちふさがった。  夜のうちに奴隷たちを逃がす計画は失敗してしまっている。  今、できることをする。  儀式を止めたければ、ここで王を討つしかない。 「何をしている!」  列の先頭に立っていた男たちが武器を構えた。  その言葉には応えず、無言のままルイは構えた。  戦いの経験などない。武器も持っていない。唯一、持ち得るのは自分の身体のみである。  王の列が止まり、先頭の男たちが武器を手に距離をジリジリと詰めてくる。  前方向かってくる人数は四人のみ。それよりも後ろに控えている男たちは武器を手に持ちつつも、様子を窺っている。  一瞬、力をこめ大地を蹴った。  二歩で相手との距離を詰める。相手はルイの急な接近に対応できていない。  武器を持つ手を打つ。勢い弾かれた武器が飛ぶ。驚き、引こうとした足を払い、体勢を崩し、無防備になった顔へ掌底を放った。  なすすべなく攻撃をうけた相手は、そのまま味方の方へぶつかり、前衛が乱れた。  その隙にルイは前衛を躱し、駆けていく。  向かってくるルイに、様子を窺っていた男たちも慌てて武器を構えるが遅い。  振るう武器よりも速く、相手の身体をはじき飛ばす。  勢いに飛んだ相手が、また列の後ろに控える相手にぶつかり列が乱れた。  列に混乱が広がる。  また一人、前方に立つ者をはじき飛ばす。前へ進む。しかし、数が多い。  数の多さで、相手も体勢を整え始めている。  前衛で攻撃を受けなかった者は、ルイを追走し始めた。  囲まれれば勝機はない。  武器を振下ろしてきた相手の腕を抑え、その服を掴んだ。  相手の身体を踏み台にして、背を蹴り、宙を跳ねる。  列の上を跳ぶルイをいくつもの視線が追った。  着地場所には人がいる。武器を突き出される。  寸でのところで身体を捻り、避ける。そのまま腕に絡みついて相手を倒した。  一撃をいれず、そのまま駆ける。まだ王の輿まで距離がある。  ルイの行く手を立ちふさがる人。武器は振り下ろされている。  攻撃を避けようとしたが、身体が思うように動かない。視界が歪む。  ルイの肩に激痛が走る。  斬られた!そう感じた。  肩をかばい、走ろうとするが、足が動かない。足を掴む手が見えた。  振り払おうとするが、次々に手が押さえつけてくる。  数十人の男がルイ一人を押さえ込んできた。  身体にかかる重さに思わず、顔が地面を擦る。土の味と血が口中に滲む。  ルイの様子など構わず、押さえ込む手の数は増え、さらに身体にかかる力が増す。  ここで止まる訳にはいかない。  身体を丸めようと四肢に力を込める。地面に顔を擦りつけたまま、爪を地面に立てる。  指の力のみで身体を前進させる。僅かに身体が動くと、足指を地面に突き立て力を込めた。  押さえ込む男たちからどよめきが起こる。  いくつのも手で押さえつけられているルイの身体が、数十人の男を引き摺ったまま、動いているのである。  周囲にいた男たちは慌てて、引き摺られていく仲間を掴み止めようとするが、ルイの身体は止まらない。  何人もの人間が覆い被さり、それでもゆっくりと動いていく様はまるで巨大な蝸牛のようである。  異様な光景に他の男たちの加勢が止まる。  数十メートル進んだ先で、止まれ、と声がかかった。  ルイが見上げた先で、輿に担がれた王と目が合った。  この男が王。ひと目見て感じたことは空虚だった。  冷酷や残酷といった印象ではない。王の暗い目の中にはどの感情の色も見ることができない。  何にも感情を動かしていないような目。  ルイに対しても、今の状況に対しても、何も感じていない。  王が視線を外したとき、王の顔をよく覚えていないことに気づいた。目だけが強く印象に残る。そんな男だった。  こんな王が儀式魔術を行うほど何に執着するというのか?  祭壇を築かせた執念と目の前の王の印象のあまりの乖離に目眩がする。 「見ろ」  王は前に手を示した。  言葉に従い視線を向けると、王の列にいた男が平伏する奴隷に武器を構えた。 「やめろ!」  意味を理解し、咄嗟に叫んだ。  王は手を前に出したまま、ルイに目を向けた。  相変わらず、何の感情もない目をしていた。  勝ち誇った表情も冷酷な笑みもない。ただただ、無だけがある。  王は奴隷を何名か選び、王の列に加えた。選ばれた奴隷の後ろには武器を構えた男たちが一人ずつ付いて歩いた。  何かあれば、すぐに武器を振り下ろせる状態である。 「一人相手に何をしている」  王はルイを押さえつけていた男たちに冷たく言い放った。  その場にいた全員が緊張に身体を強ばらせた。王は全員に武器を持つように命じた。 「もう一度、その男を逃がした者はその場で首を斬れ。王が討たれたなら、王の列の者全員が首を斬れ」  男たちは命に従い、ルイの拘束を解き、自らの武器を首に当て、王の列に並び直した。  男たちはもう何の感情も発していなかった。異常なその命令に全員が従ったのである。  この光景を目の当たりにして、ルイは抵抗することができなくなった。  王は異常だ。  王が魔術に何を願っているのかは知らない。  だが、この王ならどんな願いをも叶えようとするだろう。どれほどの犠牲を出しても。それだけは確信できた。  王が何かを指示すると、輿が降ろされた。  ルイの前に王が立つ。 「王を討つか。ならば今が好機だな」 「……」  ルイは応えることができなかった。王を討てば、それで終わりではない。どちらにしても人が死にすぎる。  ルイの返事がないことなど、解っていたのか王は表情も変えずルイを見つめ続けた。 「貴様のことは知っている。石材運びのルイ。奴隷たちの中でも一番に働いたということもな」 「今は後悔している」 「何を造っていたのか知っていると?」 「祭壇」  睨み付けた目にはやはり、何の感情も見えなかった。 「歩け。貴様の話しに興味がある」  王が促し、王の背後をルイは列と共に歩いた。  列は祭壇の方向に、再び動き出した。 「こんな報告があった。昨夜、ある奴隷が監督者の住居に押し入ったそうだ」  ルイのことである。 「その奴隷はすぐに捕らえられた。奴隷には連れがいたらしいが、ここの者ではなかったそうだ。その連れとは何者だ?」 「知るよしもないな」 「自分を裏切り逃げた者の身を案じるか」 「脅したところで本当に知らないことは喋れない」 「もう一つ、昨夜のことで報告があった」  王は話題を変えた。 「昨夜、奴隷の中で逃亡を企てた者がいた」  背筋が凍る。 「オウリという奴隷は他の奴隷たちに逃げることを説いていた。無意味なことだ。見つかったときには自分の行いを素直に話した」 「オウリをどうした?」  気取られないよう抑えたが、声が震えた。  王は興味のないように、堀の一角を指した。  奴隷たちが列をなしている堀の中にオウリの姿を見つけた。暗い顔はしているが、無事ではあるようだった。 「殺しはしない。傷つけもしない。奴隷は王の所有物だ。使うべき命を一時の感情で使いつぶすべきではない」 「……使うべき命」  安堵もつかの間、王が放った言葉に怒りが灯った。 「奴隷たちを犠牲にして何を願う?この儀式は失敗する!奴隷たちの命を犠牲にしても、祭壇の規模が小さすぎるからだ!」 「誰がそんなことを話した?」 「リリーだ!昨日、監督者たちに捕まった女だ!あいつは王よりも余程儀式に詳しい。今すぐ話しを聴いてこい!そして、この馬鹿げた儀式を終わらせろ!」 「昨日、捕まった女などいない」 「は?」  不可解な言葉に、一瞬灯った怒りが萎んだ。 「何を言っている?報告を受けていないのか?」 「報告は聴いている。昨日捕まったのは、ルイ貴様だけだ」  王は何を言っているのだ? 「リリーが捕まった。だから、ヴィントはオレに監督者たちの住居まで案内させたんだ」 「……」 「……そうだ。リリーが捕まった時、フライアが監督者を呼んだんだ。オレと一緒にフライアもリリーを見ている」 「フライアなどという名前の者はいない」  足下がグラリと揺れた気がした。 「フライアを知らないのか?明るい子供だ。他の者なら知っているはずだ」 「そんな者はいない」 「王は知らなくても、ここの者ならよく知っている」 「ルイよ、奴隷とは何だ?答えてみよ」  不意の質問に答えに詰まる。王は構わず続けた。 「……奴隷とは王の所有物だ。奴隷の名前を違うことはしない。フライアなどという名前の子供の奴隷はいない」  確たる自信を持って王は断言した。ルイは閉口するしかない。  やがて、王の列は祭壇の近くまで辿り着いた。 「五名は王と共に進め。その他の者はここで待て。……ルイ、貴様は共に来い」  自然と列から五名の男たちが進み出てきた。王の後ろをルイが進み、ルイの左右と背後を男たちが囲む形になる。  王は祭壇の斜面を上り始めた。  残された列の男たちは、首に武器を当てたまま王の動きを見守っている。  異様な集団に見守られながら、一行は祭壇を上っていく。しばし、沈黙が流れたが、王が口を開いた。 「貴様はかつて存在した奴隷国家を知っているか?」 「奴隷国家?」 「奴隷を多数従えた王が治めた国だ」  聴くだけでうんざりとする話しである。 「知らない」 「どの国でも支配者とは一握りの者のことだ」  それはそうだ。現に王はここに一人しかいない。 「奴隷国家もそうだ。国の兵の数よりも被支配者の数の方が圧倒的に多かった。被支配者が反乱を起こせば、それだけで王を討てるほどにな。……では、その国の王はどのようにして国を支配していたと考える?」  何となく、この話は今の状況のことを表しているような気がした。 「力を見せつけたんだな。反乱を起こす気すら起こさないほどの」 「その通りだ」 「……そうか……望みはそれか」  不意に王が祭壇にかける願いが理解できた気がした。そうだ、と王が続けた。 「圧倒的な力を望む。かつての奴隷国家の王のように。権力、武力、富、それを超える圧倒的な力を。魔術をもって叶えてみせる」  乾いた笑いがこぼれた。それはルイの声であることを、どこか客観的に感じているルイがいた。 「ここにいる奴隷たちを犠牲にして叶えるのだな」  王は正気なのだろう。自身の正義を疑っていない。きっと王は正気のまま、狂っている。  祭壇を上りきった。  太陽は地平から昇りきっており、ルイたちを朝日の中照らし出した。  祭壇からは奴隷場を一望できる。  祭壇の周囲の堀に、今は奴隷たちが全て入ったようだった。王の列が一人ずつ、堀へと進んでいく様子がよく見えた。 「貴様はそこで眺めていろ」  王はそれだけ言うと、男たちを連れ、祭壇の中心へと進んでいった。  もう、何もかも手遅れだった。ルイは地面に膝をついた。  何を間違えたのだろう?  医務小屋に早く行けば、奴隷たちは消えなかったのか?  フライアを見つけられず、オウリに皆を逃がすよう告げたことか?  ヴィントに不意打ちをくらい、監督者たちに捕まったことか?  今、王を討つことすらできなかったことか? 「相変わらず、濁った目をしているわね」  隣から軽やかな罵倒が聞こえた。  旅装束にツバ広の帽子、三日月の笑みを浮かべている。 「リリー?」 「今日は特に濁りが酷い」  何故、ここにいる?いつの間に隣にいた?  全て諦めたはずなのに、次々と疑問が浮かぶ。 「いつからそこに?」 「列に向かって突撃していくところから。ずっとあなたの近くにいたわ。言ったでしょう?私の帽子は霞の帽子。あなたの腕輪と同じ不可知の魔術がかかっている」 「何故ここにいる?何のために?」 「あなた、ヴィントに腕輪を譲る交渉をしたでしょう?」  リリーは腕を伸ばしルイに触れた。 「約束を守ってもらいに来たのよ」  そう言うと、片手でルイの顔を掴み、自分の方へと向けた。もう一方の手にはガラス瓶握られていて、瓶の中の液体が揺らめいている。 「まずはあなたに現実を見てもらう」  おもむろに顔を掴んでいた手が動き、ルイの瞼を押さえつけた。一瞬、目を抉り出されるのではないかと恐怖する。 「何を!」  咄嗟の抗議も意に介さず、リリーは瓶の中身を盛大にルイに振りかけた。  目に入り込んだ液体に視界が歪んだ。何度か瞬きをしている間に手は離されていた。そして。  リリーの言葉通りにルイは現実を目の当たりにした。
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