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6・認識と現実
「まずはあなたに現実を見てもらう」
その言葉とともに、リリーはガラス瓶の液体をルイの顔に振りかけた。
目に入った液体は視界を歪ませ、頬を垂れて、口に入り、舌に付いた液体の味の酷さにルイは咳き込んだ。
「ああ、この水薬、味は酷いのよね」
悪びれた風でもなく、件の水薬を飲ませたリリーはルイの反応を面白がっていた。
「薬、なら、普通に、飲ませろ」
「それじゃ意味ないわ。この薬、点眼薬なのよ」
「点眼薬?」
「まずは現実を見てもらうと言ったでしょ?目の前を見なさい」
咳きも落ち着くと、リリーに言われた通りに眼下を見た。先程と変わらない景色だった。
堀に並んだ奴隷たち。王に帯同し列をなして歩いていた男たちも、堀の中へと進んでいく。
「は?……な、なぜ?」
男たちの姿を見て、初めて異変に気づいた。
男たちの格好はここにいる奴隷たちと変わらない。砂に汚れた衣服を身につけていた。
「兵士は?兵士はどこへ行った?」
「兵士?あんな武器で兵士は無理でしょ?」
あんな武器と言われて、改めて男たちが持っている物に意識を向けた。
未だ何人かの男たちは祭壇を見上げたまま、首に武器を当てていた。
王が討たれたなら、共に首を斬るように王が命じたからだ。
しかし、男たちが持っている武器はただの木の棒だった。
人を殴り倒すには十分な武器だが、首を斬ることなど不可能だった。
「まさか、俺は確かに斬られた」
「肩をかしら?その斬られた傷は?」
肩に触れる。確かに痛みはあった。だが、服は斬られておらず、ましてや出血もしていない。
「斬られていない……」
「そうね、それが現実」
「そんな、馬鹿な」
「じゃあ、どこまでが現実かしら?あなたが見ていた世界と現実の差が分かる?そもそも、あなたの行動もおかしいと考えなかった?」
「俺自身の?」
「輿に乗っていたあの男が話していたでしょ。王が討たれたなら、王の列の者全員が首を斬れ……これってあなたにしてみれば、願ってもないことじゃない?
王さえ、あの時に討てば、報復を受けることもなく、奴隷全員を救うことができる。
なのに、あなたはその言葉を聴いて抵抗するのを止めてしまったのよ」
指摘されてから、自分自身の行動の歪さに気づいた。同時に何故そのような行動を取ったのかを思い出した。
「そうだ……あの時、抵抗できなくなってしまったんだ。兵士だと思っていたのに、傷ついてはいけない人たちだから」
「彼らは誰かしら?」
ルイと同じ服を来た男たちだ。
それだけではない。男たちの中には見知った者もいる。
「兵士じゃない!あれは医務小屋にいた奴隷たちだ!」
王の列にいた男たちは、昨晩、医務小屋から消えた奴隷たちだった。
「じゃあ、あなたが王と言っていた男は誰?」
王が誰か?
ルイは背後をゆっくりと振り返った。動きに反して、鼓動は早くなる一方だった。
王はそこにいた。帯同した男たちも一緒だった。そこにいる人間は現実だ。
しかし、今、ルイの目に映る姿は、全員がルイと同じ服を着た男たちだ。
奴隷だ。この場に居る男たち全員。
ルイは王と認識していた男を見つめた。
「お前は……」
続く、言葉が出てこない。
そこにいたのは、二日前に医務小屋に運ばれて、ルイが食料を届けた奴隷だった。
◇
「お前が、王なのか?こんなことを仕組んだのか?」
ルイの言葉に対して、男は何の反応も示さなかった。
ただ、虚ろな目をしてルイたちを眺めていた。
「無駄よ。彼らはただの王役と兵士役なんだから」
「王役と兵士役?」
リリーは彼らの妙な様子にも動じていない。
「まず、ここを訪れた時から違和感があったわ」
リリーが語る。
「私たちには、奴隷たちが奴隷たちを働かせているように見えていた」
「監督兵がいたはずだ」
「監督兵という役をしている奴隷だったのよ。実際に彼らは他の奴隷とは変わらないわ」
「そんなはずがない!俺は今までも監督兵とも話したことがある」
「ここから眺めてみなさい。あなたがいう監督兵ってどこにいるのかしら?」
言われて気づいた。堀に集められた奴隷たち。しかし、いつもなら奴隷の動向に目を光らせている監督兵の姿が見当たらない。
しかし、奴隷たちの姿をよく見ると、腰に木の棒を身につけた奴隷が所々に立っている。
「まさか……」
「あの木の棒を持っているのが、監督兵役ってことね」
監督兵役の奴隷の顔には見覚えがあった。ルイが数日前に交渉を持ちかけた男だった。
「何故だ、何故誰も気づかない。俺もそうだ。今の今まで疑いもなく、気づきもしなかった……」
「目が濁っていたのよ」
あなた、濁った目をしているわね。
リリーが現れたとき、最初に言われた言葉である。
「あるのに見えていない。認識できない。そういう魔術を知っているでしょう?」
「あっ!」
思わず腕輪を見る。
「そう、あなたの腕輪や私の霞の帽子にかけられている不可知の魔術と同じよ。姿を正しく認識できないようにされていた」
ルイの腕輪はほとんどの人間には見えなかった。リリーの姿も一見しただけでは気づくことができないようになっていた。
だが、ひとつ疑問が残る。
「おかしくないか?全員が魔術にかかっていたなら、俺たちは全員同じ物を身につけていたということか?確かに服は同じだが……」
「何のために水薬を差したと思っているの?」
リリーは呆れた声音で答えた。
「目よ。あなたたち全員の目に魔術がかかっていたの。水薬は目に掛かっていた魔術を洗い流しただけよ」
「……現実を見ろとはそういう意味か。俺たちはいつの間にか魔術にかけられていたということか?
……いや、不可能ではないか?奴隷たち一人一人にかけていたら、かなり時間がかかる。そんなことをしていたら、正気なうちにおかしいことに気づかれてしまうぞ」
「一人ずつかける手間なんて必要ないわ。これは水を媒介にして、認識を誤認させる不可知の魔術よ。なら全員集めて、飲み食いさせれば良い。水を飲まないで生きていける人間はいないんだから」
「まさか……普段の食事の中にすでに魔術が仕込まれていたというのか!」
「とても効率的だと思うわ。でも副作用もある」
「副作用?」
「そこは効率を重視しすぎた結果といった所かしら。強力にかかる者もいれば、かかりにくい者もいたのよ。その都度調整はしていたんでしょうけど。全員を継続してかけるのは難しかったはずよ」
「途中で正気に戻っていた者もいた?」
「少なからずいたでしょうね。でも、不可知の魔術が弱まったところで、認識と現実のズレでとても正気ではいられなかったはずよ。
魔術が切れた直後は意識は朦朧としていて、まともに動けない。重労働をしている環境じゃあ、それは疲弊している様子と区別をつけることは難しい。
魔術が切れた者は常に監視しやすい場所に集めていたでしょうね。例えば、兵舎の近くとかに」
兵舎の近くにある建物は、奴隷たちで知らぬ者はいない。
「医務小屋か!」
医務小屋は兵舎に並べて建てられていた。
王役の男も兵士役の男たちも、全員医務小屋にいた奴隷たちである。
「医務小屋に運ばれた奴隷たちは、再度、不可知の魔術にかけるか。それとも、真実に近づいた者はそのまま殺したのか……。多くの者は前者でしょうね。監督兵として使い回されたんでしょう。あとは不測の事態に備えての代役にも使えるでしょうしね」
医務小屋の奴隷たちが消えた理由は、代役に使ったということだろう。
しかし、まだまだ解らないことがある。とても重要なことが。
そして、おそらくリリーはその疑問の答えを知っている。
その前に、とリリーは前置きをした。まだ答える気はないらしい。
「その前に解決する事柄があるでしょう。きっとそのままにしたていたら、答えが解っても混乱するだけだろうから」
「なんだ?」
「すべての奴隷たちに不可知の魔術をかけて、祭壇を造らせた。ここまで念入りに魔術をかけているのに、いえ、不可知の魔術なんて使っている者が気づかないはずがない。肝心な儀式魔術は絶対に失敗するということにね」
そうだ、この祭壇を使った魔術は失敗する。
生け贄を使っても祭壇の規模が小さすぎるからだ。
リリーは言っていた。
祭壇に願う魔術は世界をひっくり返す魔術だと。そんな途方もない魔術が果たしてあり得るのだろうか。
そんなことをして、どんな願いが叶う?
ルイの内に浮かんだ疑問を察したのか、リリーが続けた。
「昨日、あなたは何故王は祭壇を造らせているのか尋ねたわね。世界をひっくり返す魔術を行うことは解っていたけれど、昨日の時点では、何を願ったのか?これは解らなかった」
リリーは目的は解らないと話していた。
「でも、今日になって王の願いは解ったわ」
「……圧倒的な力」
「それだけじゃ、願いの言葉としては不十分よ。王の願いは……圧倒的な力を望む。かつての奴隷国家の王のように。権力、武力、富、それを超える圧倒的な力を。魔術をもって叶えてみせる。これが願いよ。
あなたが言った言葉でしょ」
「何だと?」
唐突に放たれた言葉に虚を突かれた。俺が言った?
「私は近くであなたを見ていた。あなたが王の願いを察して、王役の男がそうだと言った後、続く言葉はあなたが言い放ったのよ」
あの時のことを思い出す。
願いの言葉を言った後、__乾いた笑いがこぼれた。それはルイの声であることを、どこか客観的に感じているルイがいた。
自分が言ったことをどこか遠くから見ている様な感覚。
「自分が言った言葉を他人が言ったと思い込んでいた?……認識を変えられていた?」
「そうよ」
「何故だ?何のために?俺の認識を変えて、そんなことをして何になる?」
「あなたに願いを話してもらうため」
「だから!何のために!」
リリーは何でもないように答える。
「あなたが、王だからよ」
違う。そう応えるよりも早く、リリーは腕輪を指さした。
「王の腕輪。それが証拠よ。この場にいる王はあなたなのよ。王の腕輪は王が身につける秘宝だから。王の願いは、あなたの願いなの」
「俺は、王じゃない。ただの奴隷だぞ」
「あなたは生まれてからずっと奴隷として生きていたのでしょう?だから、自分のことを奴隷と思っている。
じゃあ、あそこに立っている王役の男は王かしら?
たとえ、全員の認識を変えて、全ての人に彼を王と思わせても、彼自身も王として振る舞っても、彼は王じゃない。つくられた偽物よ。王の腕輪という秘宝が彼を王と認めていない。これ以上の証拠はないのよ」
王の自覚があろうが無かろうが、望む望まずにかかわらず秘宝はルイを王と認めている。
「王はあなただった。でも、あなたは奴隷たちの認識を変えていない。あなた自身、認識を変えられていたしね。
つまり、奴隷たちに不可知の魔術をかけていた者の狙いは、
王のあなたの認識を変えて、自分から圧倒的力を願うという、願いを話させることだった。
他の人の願いじゃ駄目なのよ。王であるあなたの願いであってほしかった。すべてはあなたを標的にして行われているの。
でも、あなたの願いは叶わない。魔術は成功しない。
世界をひっくり返すなんて魔術に対して、あまりに祭壇が小さい。生け贄をいくら積もうと叶うことはない。なら、何故叶わない魔術を行おうとしているのか?
もう解りきったことでしょう?失敗することが目的だったのよ」
失敗することが目的?
「その説明には、魔術の知識が必要ね。大前提だけど、魔術を行うのは、叶えたい願いのためにしているということは理解している?」
「当然そうだろう」
「ずっと言っているけれど、魔術を行うには、願いの大きさに比例した祭壇が必要なの。願いの大きさと言われると、イメージが難しいでしょうけれど……そうね……例えば、人の目に映らないようにモノを隠したいと思ったなら、ここの祭壇くらいの大きさでも十分に叶うでしょうね」
「人の目に映らないように隠したい……それは不可知の魔術というやつか?」
「解ってきているじゃない」
リリーは三日月の笑みを見せる。
「不可知の魔術であれば、程度によってはここまでの祭壇は必要ないわ。実際、私の霞の帽子なら祭壇を造らずとも、陣をつくることで事足りるでしょうね」
「陣?」
聞き慣れない言葉である。
ルイの様子を見て、リリーが言葉を付け足した。
「魔術では陣や印といった言葉があるの。意味は解る?」
「解るはずがないだろう」
「簡単に言ってしまえば、陣は簡易な祭壇ね。祭壇ほど巨大につくる必要もない分、設置は容易ね。叶えられる魔術の規模も小規模になるけどね。想像できない?地面に紋様を描いて、呪文を唱えたりしている魔術師の姿って」
それは想像できる。ルイ自身、魔術とはそういうものだと考えていた。
「じゃあ、印っていうのは?」
「魔術がかけられたモノのこと」
少し思案して、言葉を付け足した。
「……そうね、魔術の本質というのは、モノに印を施すことなの。印を施された道具が魔術道具や秘宝と言われるモノなのよ」
リリーは帽子を脱いだ。糸のような髪が流れる。
「これが印よ」
リリーは帽子の裏側を示す。そこには、奇妙な紋様が刻まれていた。
「霞の帽子に施された印は不可知の魔術の印。この帽子を被っていれば、人に気づかれにくくなる。
でも、それ以上のことはできないの。何もないところから火は出せないし、空中で水を集めるなんてこともできない。
火を出したければ、火を出す魔術の印を帽子に施す必要があるわ」
ひとつ疑問が浮かんだ。
「じゃあ、呪文を唱えて、魔術を使うなんて事はできないのか?」
「よくある想像ね。杖で魔術を使いたいなら、あらかじめ、杖に魔術の印を施しておかないといけない。
ただし、その杖でできるのは、施された印の魔術だけね。杖を振って、呪文を唱えれば何でもできるなんてことはない」
魔術って、不便なの。そういうと、リリーは再び帽子を被りなおした。一瞬、リリーの輪郭が曖昧に見えた。
「私が見える?」
リリーが声を出した途端に、曖昧だった輪郭がハッキリと捉えられるようになった。
「一瞬だけ、輪郭が曖昧に見えた」
「霞の帽子を被ると、不可知の魔術を使えるのに、今姿が見えているのは理屈が合わないわよね?」
言われてみれば、そうだ。今もリリーは霞の帽子を被っている。
「霞の帽子には不可知の魔術の印が施されているけど、魔術が解けてしまう条件が二つあるわ。一つ目は霞の帽子では影は隠せない。二つ目は話しかけると認識されてしまう」
ルイはリリーと出会った時のことを思い返した。
最初の出会いでは、屋根から伸びる影に気づいた。それ以後も、リリーが話しかけられたことで、リリーの存在に気づいていた。
「魔術が解けてしまう条件が一つでも揃うと、印は力を弱めてしまう。ここまでは理解できる?」
なんとかルイも話しについていく。
「霞の帽子は不可知の魔術の印だけが施された魔術道具。一つだけなら単純なものよね?ただし、いくつも印を重ねて、複雑な祝福と呪いが施された道具のことは秘宝と呼ばれるの」
祝福と呪いという言葉には心当たりがあった。ルイは腕輪に目を落とした。
「そう、あなたの王の腕輪には、霞の帽子よりももっと複雑な印が刻まれている。ただし、その腕輪の印は落ちかけているわ」
腕輪を見たリリーは、薄いと言っていた。
「秘宝の印を再現するのは至難の業よ。それこそ、失われたら二度と手には入らない……秘宝の印が落ちることはね、零落と呼ばれているの。」
リリーは腕輪を一瞥した。
「おそらく、王の腕輪の印が落ちる条件は、王としての資質を疑われる行為をすること。例えば、祭壇をつくり、人々を生け贄にしようとしたりね」
あ、と思わず声が出た。
「言ったでしょう?全てあなたを標的にして行われている。
儀式はあなたの願いで大量の犠牲を伴って失敗する。そして、失敗と同時に王の腕輪は零落する。
奴隷たちに不可知の魔術なんてかけた黒幕が、何故失敗する魔術を行うのかの答えはこれね。
目的は、儀式を失敗させ、王の腕輪を零落させることだった」
遂にルイは聴きたかった疑問を口に出した。
「こんなことを考え出した黒幕は誰なんだ?」
しかし、リリーは飄々と応える。
「ここにいる人よ。零落させる目的は魔術をかけた本人に聴いた方が早いんじゃない?」
「だから、誰なんだ!」
「まだ目が濁っているの?現実を見なさい。目を反らして見ないようにしたって存在はしているのだから」
不意にリリーは納得した様子でルイを指さした。
「あなた、髪が濡れているわよ。目覚めるときに水をかけられたんじゃない?」
思い出した。祭壇で目覚める前、冷水をかけられて目を覚ましたことを。
髪に触れた。まだ乾いておらず、しっかりと濡れている。
「その水が、最後の強い認識のズレを引き起こしていたのね。あなたの意識を分離して、あなたに願いを口に出させることができたのも、直前で直接水をかけて、認識を歪めさせたからね。
ただ、なりふり構わない奥の手だったんでしょうね。そんなことを常にしていたら現実と認識のズレで、最悪廃人になっていたでしょうし。
……それじゃあ、混乱を解くために最後の質問をするわ。
祭壇であなたが目覚めたときに、あなたに水をかけた人物はどこに行ったの?」
ルイはここで目覚めてから、一人で祭壇を下っていった。ルイ以外、誰も祭壇からは下りていない。
つまり、ルイに水をかけた黒幕は、ここにいる。
リリーは今は祭壇の中央を指さしている。そこにいるのは王役と兵士役の男たち。七人の人が立っている。
七人だ。
王は自分に帯同するように兵士を五人呼んだ。王を含めても、本来七人がこの場所に立っているはずがないのだ。
「バレちゃったね」
王役の隣に背丈の低い人間がいた。
悪戯がバレた時のように、無邪気な顔でフライアがそこで笑っていた。
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